ベネズエラを責めるな
米帝国主義を責めよ
燃え盛る米帝攻撃の時代の真の国際主義的連帯とは?
強大な米帝国主義の軍事的脅迫、過酷な制裁・封鎖と真っ向から闘うロドリゲス大統領代行政権を、裏切り呼ばわりする偽国際主義が横行している。殆どは、帝国主義諸国の左翼活動家や共産主義者である。もちろん、「建設的・同志的批判」は必要である。今回の国連総会前のトランプとの首脳会談でのロドリゲスの「ピース」やイスラエル領事館の開設などに対してはベネズエラ国内からも批判がある。
だが、侵略し制裁・封鎖に加担する帝国主義で活動する側の「批判」は、節度と歴史的脈絡を踏まえなければならない。今年1月3日以降のベネズエラ政府の苦境の根本原因は先進国革命の歴史的な立ち遅れにある。ロシア革命後の殆どの革命が後進国革命であり、経済的に収奪されるため経済建設が困難であるだけでなく、絶えず米帝主導の西側覇権による侵略と軍事覇権、ドル・金融覇権と制裁・封鎖、政権転覆策動にさらされ続けてきたことを深く理解しなければならない。問題はベネズエラにあるのではなく、極悪非道の敵を倒せない自分たちにあるのだということを。時空を超えた、自分たちの空想する「革命」に反するからと安易に批判することは許されない。
しかし、西側にも、ドロリゲスの戦術的後退に理解を示し、真の国際主義連帯とは自国帝国主義と闘うことではないのかと主張する人々もいる。われわれもその一部をなす。以下、そうした人たちの2本の論説、そして3本目に現地コムーナ活動家の手厳しい批判をごく簡単に紹介する。全体は紹介者の文章で、執筆者のものは引用符で示した。出所と日本語訳はWEB版に掲載した。
1本目の「ベネズエラ:被害者を責めるな」は、ロジャー・ハリス氏ら米英加でベネズエラ連帯活動に全力を挙げてきた活動家の共著である。2本目の「包囲下のベネズエラ:進歩派は何をすべきか?」はロジャー・ハリス氏単独の執筆である。同氏はカリフォルニア在住。反帝国主義・人権擁護団体「Task Force on the Americas」、「Venezuela Solidarity Network」、「US Peace Council」に所属する。3本目の「『炉の時』――困難な時代におけるインターナショナリズム」は現地「エル・パナル・コミューン」のシラ・パスクアル・マルキナ氏の論説である。
(編集局)
ベネズエラ:被害者を責めるな
本稿の冒頭は、「革命の強靭さが米国のさらなるエスカレーションを招いた」から始まる。1月3日の極悪非道な軍事行動は、昨秋からの「侵攻に先立つ2ヶ月間、石油輸送を封鎖しても政権が倒れなかったから」余儀なく侵攻したと評価する。ところがその後、マドゥーロ大統領が排除されても、「ベネズエラは崩壊することも、無秩序状態に陥ることもなかった。チャベス派の指導部は、憲法に基づく円滑な継承を行い、デルシー・ロドリゲス副大統領が大統領代行として就任した。国民議会と最高裁判所の支持を得て、最高指導部の結束は揺るがなかった。軍民連合、コムーナ、草の根のチャビスタ組織も政府を全面的に支持した」。
当時、大統領を奪われた権力に米国は「最後通牒を突き付けた」「ロドリゲスに電話をかけ、米国と協力するか、さもなければ軍事的な破壊と彼女や他の指導者たちの殺害に直面するか、と」。その時点での「軍事衝突は石油産業の破壊を含む全滅を意味した」。ロドリゲスは、「圧倒的な武力を前にして戦術的な撤退をおこなった」。これを「裏切り」と非難する者は「一戦を交えよ」と言うのであろうか。
次に、「ベネズエラは降伏したのではない」ときっぱり断言する。筆者は、その証拠を挙げる。「チャビスタの国家機関や革命を支える強力な草の根組織は依然として健在である」「現在の交渉は、危険にさらされている国家の存続そのものを守るための不可欠な行為である。もしそれが失われれば、他のあらゆることについての議論など無意味なものになってしまう」。問題は権力を再建し握り続けることなのである。筆者らは言う。「特筆すべきは、チャビスタの中核指導部、軍、社会主義統一党、そしてコムーナ組織が、結束を崩そうとする巨大な圧力の下で、なお団結を維持していることである」と。
筆者らは、マドゥーロを欠いた大統領代行権力の下での即座の団結によって、「米国は方針を転換した」と言う。「ベネズエラ政府を正当な政府として承認した。ボリバル革命のプロジェクトは、存続しただけでなく、最大の敵対国に一定の妥協を強いることになったのである」。「裏切り」批判を騒ぐ者たちは、「炭化水素法改正法」の可決を売国法だと非難する。しかし、同法はマドゥーロ時代の懸案であり、一部とは言え、石油収入は地震災害救援や復興資金に使える。「1月3日の攻撃直前に課された全面的な石油封鎖よりはまし」であり、「いくらかの息抜き」になるのだ。
筆者らは、現ロドリゲス代行権力が「直面する力関係はチャベス政権時代よりもはるかに不利な状況にあるため、その妥協をチャベス時代の理想化された基準で判断するのは誤りである」と「変化した政治情勢」に言及する。「裏切り」非難者は「チャベスは決して妥協しなかった」「敵とは交渉しない」と言うが、「2002年のクーデターの際のフィデル・カストロからの『ウゴ、自滅するな』という有名な助言を忘れている」と「幼稚な左翼の主張」を嘲笑する。
筆者らは、「団結」の決定的意義を強調する。「ボリバル革命にとって最も危険なのは、現指導部が革命の大義を裏切ったという見方、そしてそれに取って代わる真の左翼的な『第三の道』を育成できるという主張である。カラカスとワシントンの両方を拒絶するこうした「第三の道」論は、「往々にして、ベネズエラ国民がこの歴史的局面で現実的に何ができるのかという点に触れておらず、何が間違っているかは長々と語るものの、実行可能な代替案はほとんどない」と厳しく批判する。
筆者らは最後に「連帯に求められるもの」として、西洋の左翼活動家や共産主義者に自己批判を迫る。「建設的な批判と連帯活動は対立しない」。だが「異論は、脈絡を踏まえ、共通の目標を推進するための協働努力の一環として表明される」べきである。ベネズエラ人民は「『獣の腹の中』(先進諸国)に生きる人々の革命的願望」を満たすために活動しているのではない。「それは、言うまでもなく帝国の中核にいる人々の課題」なのである。全くその通りだ。
さらに深い自己批判は続く。現地の革命家の言葉を紹介する。「あなたたち米国人は、革命のやり方を指図してくるが、私たちの問題は、あなたたちが自分たちの革命を起こせなかったことにある」と。
包囲下のベネズエラ:進歩派は何をすべきか?
筆者は、チャベスが革命を起こして以降、全期間を通じて絶えず「実際に進行している革命プロセスへの連帯と、その妥協に対する批判との間の緊張関係」があったと言う。まず、チャベス政権下。「最初に袂を分かった左翼勢力の一つがアナーキストたちであった」。次いでマドゥーロ政権下。2013年3月にチャベスが死去した後、「米国はハイブリッド戦を激化させ、原油価格が暴落し、オバマ政権下の2015年、さらに厳しい制裁措置を発動した」。「2019年までに急激な悪化(フリーフォール)に陥り、インフレ率は10万パーセントを超えた。現代の平時において、これほど経済が縮小した例はかつてなかった」。この最も厳しい時代に音を上げたのがフィゲラ派ベネズエラ共産党だ。経済崩壊を回避するための「民族ブルジョアジー」との妥協・協力に猛反発し、与党連合から離脱し、反マドゥーロ・反ボリバル革命陣営に転換した。
そしてロドリゲス代行政権による「交渉による主権」の道とそれに対する批判である。「その妥協は、革命計画の完全な放棄ではなく、不利な状況に対する戦術的な対応」だと強調する。
筆者は、「進歩派は何をすべきか?」と問う。「国際連帯活動家にとって、中心的な課題は、こうした状況下で反帝国主義闘争を前進させる立場をいかに構築するかということである。国家主権と民族自決を支持する我々は、ベネズエラが苦しんでいるのは、我々が自国の帝国主義者を抑制できなかったことに起因すると理解すべきである」と。先進国の活動家の責任を厳しく問う。
その上で、幾つかの課題を列挙する。「標的を絞る」「帝国主義の中心地に暮らす我々は、(ロドリゲス政権)に撤退を余儀なくさせた状況そのものに、主たる打撃を与えるべきである」。つまり米帝に主敵を向けるべきだ、と。「進歩主義者間の相違」、例えばアレックス・サーブの国外追放やイスラエルとの領事関係の樹立への批判は、「正当なものかもしれないが、ロドリゲス政権が置かれている並外れた制約条件を考慮して評価されるべきである」「批判を脈絡に位置づける」ことだと主張する。「代替案を検討する」。ロドリゲスを指弾するなら、「適切な問いは、より望ましい政権を想像できるかどうかではなく、実際に既存の政権に取って代わることのできる勢力は何か」「実際の選択肢は何か」ということだ。批判者はそれに全く答えない。「地域動向」。ロドリゲスの戦術的後退は、最近のラ米カリブでのネオファシズト政権の相次ぐ誕生という反動的な脈絡の中で理解されるべきである。
筆者は最後に「結論」として、こう主張する。「カラカスの決定に対して進歩派がどのような異議を抱いていようとも、それらの決定を下す権利は最終的にベネズエラの人々にある。我々の第一の責務は、ベネズエラの政治的進路を指図することではなく、自国政府がベネズエラに対して行使している強圧的な力に異議を唱えることである。ベネズエラの人々は我々に「革命をどう進めるべきか」を指図してきたりはしなかった。我々もまた、彼らに対して同様の姿勢をとるべきである」
「炉の時」―― 困難な時代におけるインターナショナリズム
現地コムーナの活動家の筆者は、もっと辛辣だ。主に、真の国際主義的連帯について深刻な問いを発する。「20年以上にわたり、ベネズエラは、世界各地から集まった人々が出会い経験を共有し、共通のプロジェクトを構想することができる政治的・物的な空間を開いた。しかし、こうした連帯のあり方には限界があった」「革命に伴うリスクを分かち合うことなく、あるいは封鎖によってベネズエラの労働者階級が直面していた日々の深刻な困難を分かち合うことなく、革命に参加することを可能にした」「政府は、数千人の来訪者を受け入れ、イベントを主催し、宿泊施設を提供する体制を整えた。その結果、海外からの来訪者は、ベネズエラの人々が耐え忍んでいた苦難の影響をほとんど受けることなく、またしばしば、草の根レベルで交わされる活発な議論の外にいて、革命を体験することができたのである」「それでも有益なものであった」と筆者は言う。
「事態は劇的に変化した」「1月3日、米帝国主義がベネズエラ国内の標的を爆撃し、ニコラス・マドゥーロ大統領とシリア・フローレス副大統領を拉致して以来、ボリバル革命のプロセスは、戦術的な後退、新たな諸矛盾、そして革命によって切り開かれた道の一部を狭めるような展開を特徴とする、極めて困難な局面に入っている。
その上で、真の国際主義連帯、「相互主義的・実践的連帯」を提起する。「最良の形でのインターナショナリズムとは、組織された勢力間における、相互的ではあるが必ずしも対称的ではない、政治的責務の相互関係を指す。それは、自らを組織化した人々が、互いの闘争が共通の歴史的活動の一部であるという認識によって結びつき、その間で能力を交換し合うことである」と。「国際主義者はコムーナに目を向けるべきである。なぜなら、そこにこそ革命の戦略的予備力が生きて健在だからである」
筆者は、短期間の表面的な「連帯」でやってきた「国際主義者」が、今や「ここ数ヶ月の後退を裏切りと見なし、即座にベネズエラ人がなすべきことを遠くから説教する者たちがいる」と呆れかえる。しかし、コムーナ活動家の筆者は断固として主張する。「コムーナそのものは、革命プロセスとの決別を求めるのではなく、こうした矛盾の中を切り抜けていくという困難な作業に取り組んでいる。ベネズエラに身を置く私たちからすれば、課題は異なったものである。それは、真に困難で、真に矛盾に満ちていながらも、真に私たち自身が切り開いていくべきである諸条件の中で、いかにして前進の道を築くことができるかを理解することなのである」と。
筆者は、「国際主義にとっての危急の事態」として、国際主義をベネズエラだけではなく、より全世界的な国際主義の中に位置づける。つまり、ベネズエラ、キューバだけではなくラ米カリブ地域だけでもコロンビア、エルサルバドル、チリ、アルゼンチンでネオファシズムが台頭している。パレスチナやイランも同じだ。筆者はこの状況を、ホセ・マルティが規定した「(燃え盛る)炉の時」と呼ぶ。「今その熱は、大陸全土に、さらにはそれを遥かに超えて広がっている」
筆者は、ここで「チェ・ゲバラの国際主義の概念」に言及する。つまり、「反帝国主義闘争が、究極的には閉ざされた国家という枠組みに分断されない」という確信である。「ある所での勝利や敗北は、他の所における情勢を変化させた。キューバの革命的国際主義の形態は、医師、教師、技術者、兵士、政治活動家を島外の遠隔地へと派遣することで、この原則に極めて具体的な形を与えた。キューバの国際主義は、一つの革命によって生み出された資源や知識を、他の諸国人民も利用可能なものへと繰り返し転換していったのであり、それは、たいてい『ブリゲード』と表現された」。筆者は、1月3日以降のコムーナと連帯活動を強めた3つの「ブリゲード」を紹介する。「これら3つのブリゲードは、共に、国際主義について考える際の一つの道を指し示している。それは、会議とホテル型のモデルとは異なる、古くからの革命的な理念に近いものである」「北から押し寄せた灼熱の業火のような危機的状況から脱却するための戦略を模索して共同生活を組織し続けているコムーナの人々と時間を共にしている人々」「革命的な自律的に組織化されたブリゲード」である。
「ベネズエラの革命について大上段に構えて語り、労働者階級のベネズエラ人が何をすべきかを遠くから指図する『いわゆる国際主義』ではない」「ひとつひとつ譲歩を監視し、発言を解釈し、政治的過ちを指摘し、そしてついには革命は基本的に終わったと宣言する」左翼知識人のそれではない。
筆者は最後にこう言う。「国際主義的な関係とは互恵的なものでなければならない」「連帯は与えることと同時に学ぶことも含んでいる」「課題は、このような運動がおこなっているように行え、ということである」―― ここで「このような運動」とは、「革命的政党、草の根組織、労働組合、農民運動など、自分たちの現実的な政治的実践を伴っている組織化された勢力のことである。つまり、自国で革命運動を実践している部隊との連帯である。「自らの経験を携えて来なさい。学ぶ準備をして、また貢献する準備をして来なさい。・・・コムーナへ来なさい」。「今はまさに「(燃え盛る)炉の時」である。そして今何よりも重要なのは、どのような光を私たちが共に灯すかということである」
