帝国主義フェミニズム批判(その1)階級闘争の最前線に立つ反帝フェミニズムに連帯しよう | コミュニスト・デモクラット
シリーズの第2回、前回に引き続き、帝国主義フェミニズム批判の最新の論説をもう一つ紹介したい。「現代イランにおける女性の地位向上への比類なき取り組み」(C・B・フォード・「インターナショナリスト360°」、2026年5月1日)、である。 現代イランの女性の進歩への比類なき献身 – INTERNATIONALIST 360°
この鋭い論説は、西洋フェミニズムが「しばしば帝国の手先であり、米帝の同盟国の残虐行為の盾」となっている現実を厳しく指弾している。イスラム圏の女性たちを黒いベールとチャドルに覆われた閉鎖的で憐れむべき救出の対象であるかのように描き出す偽善に対する鋭い批判だ。帝国主義本国で、その欺瞞的な反動的キャンペーンが日々垂れ流される中にいる私たちの目を覚まさせてくれるものである。
帝国主義フェミニズム、ブルジョア・フェミニズムによる悪質な反イランのデマ宣伝は、今年2月の米=イスラエルのイラン侵略の際にも大々的なキャンペーンが張られてきた。「進んだ西洋・欧米と、遅れた途上国」という硬直した偏見を刷り込み、西洋化・欧米化することが「正義」であり「哀れな女性たちを救済」してやるのだというのが、その主たる内容である。
もちろん、イラン国内で政治・経済・社会問題が山積し、米帝をはじめとする西側諸国の制裁・封鎖によるインフレ・物価高など諸矛盾が深刻化しているのも、その中でイラン人民が現政権に対して様々な要求を突きつけて闘っているのも事実である。しかし同時にイラン人民は、米・イスラエルがこれを利用して侵略目的を遂げようとすることを、断固として拒絶している。イラン女性の解放はイラン女性自身の手で成し遂げられるべき課題であり、そのことを彼女たちは明確に自覚し、現に実行している。
「人権のない、虐げられたイランの抑圧された女性たちを救え」というプロパガンダには、真の女性解放の視点など微塵もない。CIAやモサドが暗躍する「反乱」「暴動」と政権転覆に期待を寄せる、悪意に満ちた反動的キャンペーンと対をなすものである。米帝・西側諸国のいう「人権」とは、米帝に忠誠を誓う傀儡政権樹立のための「カラー革命」を扇動する道具の一つに過ぎない。このような傲慢に凝り固まった帝国主義フェミニズムと意識的に徹底的に闘うことなしには、私たちは一歩も前に進めない。以下は、論説の要約である。
「教育革命」と自ら闘い取った社会進出
論説は冒頭の2つの節「教育革命-イランが娘たちに贈ったもの」と「政治参加-完全な市民としてのイランの女性たち」で、西側メディアが決して語らない「わずか40年の間に成し遂げられた人口動態と文化における地殻変動」を克明に活写する。現代イランの女性たちは、「救助を待って」などいない。なぜなら彼女たちは、「血塗られた野望を抱く外国勢力による救済を待つ犠牲者」などではなく「自らの運命を切り開く建築家であり、医学から工学に至る様々な分野でのパイオニアであり、国を内側から再形成した政治勢力」だからである。
1979年イラン・イスラム革命の前には、イラン女性の識字率はわずか15%に過ぎなかった。パフラヴィ王朝の「近代化」とは、西洋化された一握りのエリート女性だけのものであり、大多数の女性たちとは無縁のものだったが、1979年の革命はこれを根本的に覆した。現在、イラン女性の識字率は80%に至り、若い世代ではより高くなっている。全ての分野の大学生の60%を女性が占め、科学、技術、工学、数学の分野での女性の割合が最も高い国となっている。女性が医師の40%を占め、大学教授の34%を占めている。これらは、西洋プロパガンダが描く「女性蔑視の国」の虚偽をはね返すに十分であろう。
イラン議会は、イスラム革命以来、一貫して女性議員を擁している。女性は、イランの諸都市の市長として、副大統領として、閣僚として、イランの国益を代表する大使としても勤務し活躍してきた。地方レベルでは、イラン全土の市議会で女性が議員を務め、農村部では女性保健医療従事者が不可欠なサービスを提供し、世界で最も急速な保健医療の改善をいくつも達成し、妊産婦死亡率と乳児死亡率の大幅な減少に貢献してきた。これらは政策を通じて達成された解放であって、外国の介入を通じてではない。
「女性・生命・自由」運動と西側の歪曲
論説は次節で「女性・生命・自由」運動に言及する。2022年9月、22歳の女性マフサ・アミニが服装規定違反を理由に道徳警察に拘束され、拘留中に死亡した事件に起因する。この「平等と身体の自立性を求める要求は、アメリカのドローンやイスラエルの爆弾からではなく、イラン社会内部から生まれたものだった」。女性たちは「イラン全土の160の都市で結集し、性差別、経済格差、国家による暴力に抗議した」。「抗議活動を主導した女性たちは、外国勢力の代理人ではなく、イラン市民社会の真の声として、自らの政治体制内部からの責任追及と改革を求めた。彼女たちは、CIAやモサドに操られる傀儡ではなく、自らの信念に基づいて闘ったのだ」。だが、この運動は、イラン国内から自発的に生まれた大衆蜂起であったが、「西側諸国はこれを即座に、冷酷な政治的目的に武器化した」。
抗議行動後の顛末についても、西側報道は、「神権独裁国家」の恐ろしい弾圧の物語として拡散し続けている。しかし、論説は、「国民の懸念に無関心な政権の行動ではなく、宗教法と現代の社会的現実との間の緊張に苦悩する、複雑かつ応答性の高い政治システムの行動であった」と肯定的に描く。「誇張されているような画一的な弾圧ではなく真摯な内部議論と政策の進化をもって対応した」。「イラン議会はヒジャブ着用義務化法について広範な公聴会を開催し、あらゆる政治的立場から女性議員が改正を要求した。司法当局は拘束されていた抗議者数千人を解放し、政府は『道徳警察』部隊を廃止した」と。イラン女性たちは外国の干渉を明確に拒否し、自らの力で道を切り開き、改革を闘い取ったのである。
サウジ・UAEの前近代的な女性抑圧体制
論説は、次に「サウジアラビア-制度化された女性嫌悪が横行する『ベールに包まれた王国』」と「UAE-『女性のエンパワーメント』というきらびやかな蜃気楼」の2つの節で、湾岸の2つの反動王政の女性抑圧を免罪する西洋フェミニズムの二重基準を暴露する。イラン政権を貶めるための帝国主義的プロパガンダに対する、説得力のある反証がサウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)である。「なぜイランの女性はイスラエルと米国による爆撃と大量虐殺によって解放される必要があると繰り返し言われる一方で、サウジアラビアとUAEにおける女性の抑圧には沈黙が貫かれるのか?」その実態を暴露するだけで、プロパガンダの「偽善は完全に崩壊する」
政治的な権利で言えば、イラン女性は1963年から投票権と立候補権を享受しているが、サウジアラビアで女性に投票権が与えられたのは2015年である。今なお男性後見制度が社会の基盤となっており、「女性は出生から死亡まで男性親族の法的保護下に置かれ」ている。「会議に参加するために海外に行くことも、パスポートを取得することも、愛する人と結婚することや生殖医療にアクセスすることもできず、男性の後見人の許可なしに家を出ることすらできない。法的にも実際上も、永久に未成年者扱い」なのである。女性たちは、この信じがたい人権侵害・抑圧の下に、車の運転や自由な移動を要求しただけで逮捕・投獄される。「不服従」の女性のための秘密の「介護施設」では、拘束者に「むち打ち、隔離、処女検査」を課している。
UAEもまた、男性による後見人制度があり、「男性による、女性親族の処分の権利、結婚、離婚、親権、相続における権利の不平等」の下にあり、「家庭内暴力や後見人制度について、あるいは女性移民労働者を標的とした労働人権侵害について声を上げる女性たちは、監視、いやがらせ、逮捕、強制送還に直面する」のである。
「イラン女性の自由」を声高に要求する西側諸国はなぜこうした事実に沈黙するのか。論説は、次節「冷笑的な地政学-外交政策としての石油、武器、そして二枚舌」で、両国は「中東における米国とイスラエルの外交政策の中核をなすもの」であり、「その答えは3文字の単語にある。O―I―L(石油)だ」と断言する。「西側諸国による『女性の権利』」は、「敵(反米・反帝諸国)を叩くための棍棒であり、同盟国を抱擁するための覆い」である。
イランの女性は「犠牲者」ではなく「変革の担い手」
次に論説は、「真の連帯に必要なこと」で、「最も重要なこととして、この地域の女性たちの声に耳を傾けるべきだ」と主張する。その声とは「外国の介入を望まないこと、家族を貧困に陥れる制裁を望まないこと、そして自分たちの闘いが地政学的な目的のために利用されることを望まないこと」だと。
論説の結論はこうだ。イランの女性を「犠牲者」ではなく「変革の担い手」、「自らの運命を切り開く能動的な主体として称えなければならない」「彼女たちはすでに、あらゆる困難を乗り越え、いかなる外国の爆弾も成し得なかった以上の成果を自らの力で成し遂げてきた」「イランの女性は救出を待っているわけではない。彼女たちは研究所を運営し、大学で講義を行い、議会で議員を務め、詩を出版し、自分が始めた仕事を引き継ぐ子どもたちを育てている。彼女たちは、より脆弱な社会なら崩壊していたであろう試練に立ち向かい、過ぎゆく十年に応じて、より強く、より教養豊かに、より力強く成長してきたのだ」
