前号(『帝国主義と中国の発展』(上)~帝国主義のレンティア帝国主義への転化と歴史的没落の始まり)に続き、『帝国主義と改革開放戦略』(ジャン・クロード・ドローネー)の後半(下)を紹介する。前回が、1970年代の戦後帝国主義最大の危機をきっかけに、帝国主義が生産による利潤追求ではなく金融的略奪による利潤追求構造(「金融化された蓄積」)に変貌し、「レンティア帝国主義」に転化したと論じた。そしてレーニンが『帝国主義論』で論じた「寄生性と腐朽性」が異常な完成形態を見せ、米帝主導の西側帝国主義が覇権を維持するために戦争に訴える危険な存在になったと結論づけた。
今回は、そのような戦後の米帝主導の帝国主義の発展・頂点・没落過程とは全く真逆の過程、つまり社会主義中国が革命を成功させ、建国後の急速な社会主義建設と失敗、改革開放による建て直しを経て、今日の世界第二位の経済大国、製造業大国にまで成長した到達点までを辿る。そして金融的略奪により歴史的に腐り果てる帝国主義と、価値を生産し続けグローバル・サウスと共同発展を追求する中国社会主義との弁証法的歴史展開を見事に活写する。
(編集局)
[2]「改革開放」戦略への歴史的転換
中国共産党は1945年に日本帝国主義を敗北させ、1949年に蒋介石国民党政権を敗北させ、10月1日、中華人民共和国建国を宣言した。毛沢東とその同志たちは、農民に土地を与える土地改革を完了すると、中国の人口と資源の広大さと豊かさを見て、ソ連よりも速く社会主義を建設できると信じた。建国から9カ月もたたぬ間に勃発した「朝鮮戦争」と中国の参戦を背景にして、1950年から始動したソ連の対中経済・技術援助は、中国重工業の基礎作りに大きく貢献した。だが、「フルシチョフ報告」(1956年)を契機に中ソ対立が激化し、60年のソ連の技術者・専門家の総引き揚げでその援助は完全に断たれた。これらの対米戦争と対ソ対立は指導者である毛沢東に、当初予定した人民民主主義段階を飛び越えて、社会主義確立を急ぐ国際的要因となった。さらに逆の方向からの国内的要因が加わった。建国後の復興と第一次五カ年計画の予想をはるかに超えた7年間の成功(これ以前の100年間の生産額を上回った)が、社会主義へ向かう機運を一気に高めたのである。
著者は、50年代末の時期から毛沢東の死去(1976年)までの間に実施された中国の発展政策は不適切であり、それは「大躍進」(1950年代末)と、その勢いの中で創設された「人民公社」という二重の失敗となって現れたと指摘する。
同時に、中華人民共和国の成立から25年の間に、中国は確かにいくつかの重要な成果を達成した。1950年から1953年にかけての朝鮮戦争(「抗米援朝戦争」)に勝利し、米国の覇権的傲慢を打ち砕いた。さらに1964年には核保有国となった。しかし、中国は依然として包括的な発展の闘いに勝利しておらず、多くの分野で遅れを取っていた。1976年以降、中国の指導者たちは新たな発展戦略の必要に迫られた。
(1)1976年以後の中国の発展戦略~農業が工業に資金提供できなければ誰がそれを提供するのか?
毛沢東の死と「文化大革命」の終結を経て、重い空気を振り払い新しい扉を開く任務を託されたのは、毛沢東の同志であった鄧小平である。著者は、「中国人は自らの過ちから学ぶ術を知っており、理論よりも更に実践を重んじる文化を持っている。鄧小平は毛沢東と社会主義の記憶を捨て去ることなく、過ちを考慮して判断することを成し遂げた。彼は我々フランス人がスターリンに対して行うべきだったことを実行した」と高く評価する。
1970年代の中国には3つの主な特徴、課題があった。
1.この国は人口過剰に悩まされていた。社会主義が責任を負うべき少年少女で溢れていた。この人口をどうやって養うべきか、どんな未来を彼らに与えるべきか?
2.工業的に未発達な後進国のパラドックスは、革命が農民によって遂行された点にある。彼らはカブを育てるために革命を起こすが、工業を発展させるためではない。彼らを一般的な発展にどう統合できるだろうか?
3.工業発展の資金を調達するために農業生産性を急激に高めようとする試は失敗した。では一体どこに資金源を頼るべきか?
中国における第一の主要な開発決定は人口政策であり、出生率を可能な限り迅速に抑制することであった。第二の点は農業に関するもので、社会主義的工業発展は農業生産性の向上を基盤とすべきとされ、それは必要な労働力を供給しつつ工業を財政的に支えるはずであった。しかし毛沢東によって開始された変革は、中国の農業生産性を向上させる代わりに混乱に陥れた。
農業が工業に資金提供できなければ誰がそれを支えるのか?中国の指導者たちは、失敗から学び、帝国主義の危機から生じた経済の多国籍化(1970年代)を基盤として、外国からの資本を導入して自国の工業発展を図ることができると構想した。他方、米国の指導者たちは、中国の労働コストの低さと予測可能な市場の規模を考慮すれば、中国が米独占資本にとって高利潤の生産拠点となり得ることを確信した。
したがって、「市場経済」の選択は、二つの補完的な要件の結果であった。一つは、社会主義部門がすべてを担うのではなく、中華民族と人民にとって最も重要な任務に限定されるべきだという考えからであり、もう一つは、発展が外国資本を利用して得られるのなら、その外国資本を安心させる必要があるからであった。
1970年代末、中国の発展戦略は強力な公的部門に依存しつつも、能力に差のある外国企業と中国企業からなる民間部門に大きな役割を与えることが構想された。農業部門自体も市場によって部分的に機能するはずだった。とはいえ、多くの疑問も提起された、中国は社会主義に背を向けているのではないかと。
著者によるこの社会主義中国の異常な諸困難の析出は、著者がフランス人であると同時に、現在中国に渡り、しかも少数民族チワン族の自治区に住むマルクス主義者であり、現地での実地の調査・研究および中国の研究者との共同研究を積み重ねた結果、得たものである。ただ「教条」を振りかざし中国を批判する西側マルクス主義研究者とは全く違う。
(2)1990-2010年 中国の輸出主導型発展戦略の推進~国際的ケインズ主義

1978年第11期3中全会で打ち出された改革開放戦略は、政治闘争重視の毛沢東路線から経済発展重視の鄧小平路線への歴史的転換点であった。しかしそれが実際に動き出すのは1990年代に入ってからである。1992年初頭の鄧小平の「南巡講話」は、停滞しかけた中国の改革開放を、鄧小平が自らの権威で再始動させた決定的メッセージであり、「社会主義市場経済」へ本格的に舵を切る決定打となった。「改革開放を止めるな」「発展こそが絶対的な道理」「計画経済か市場経済かは、社会主義か資本主義かの本質的違いではない」「一部の人々が先に豊かになり、先に豊かになった者が後の人々を豊かにし、最終的に共同富裕を実現するのだ」と。
しかし資本主義は社会主義体制を蝕んでいくのではないか?経験が示したように、「社会主義は悪魔と食卓を共にする際には長いスプーンを持つ」(危険な相手と交わる際には必要な知恵や手段をもつ)必要がある。それが、すなわち人民の独裁である。
著者は、中国の指導者たちは外国投資家が活動を展開するための経済特区を設けるという英知を持っていたと評価する。図1が示すように、資本の流入は1990年代、江沢民が改革開放政策を実施する権限を与えられた時期になってようやく始まった。
1990年から2010年にかけて、中国が輸出主導型発展戦略を推進した時代は、帝国主義が栄光の頂点に達した時期でもあった。中国と米国との間には、一種の「国際的ケインズ主義」が確立された。中国は毎年、自国に設立された企業と共に生産計画を始動させる。これにより中国国内に雇用と所得が創出される。したがって、中国の生産、所得、雇用の水準を決定しているのは米国の銀行システムなのである。中国の生産を国際的に刺激するこのメカニズムは、中国経済を米国の金融・財政政策の囚人とし、中国が外貨準備の必要性を超えてドルを蓄積することを想定していた。
この「ケインズ型国際メカニズム」(Keynesian-type international mechanism)の中で、様々な通貨が運用され、この数年の間に「別のメカニズム」(another mechanism)が形成された。中国は、東南アジア諸国から商品を集約するプラットフォームとなり、得られた製品を富裕国の市場で再販売する役割を担った。これがいわゆる「三角貿易」(ASEAN+/中国+/米国(欧州)、triangular trade)と呼ばれるものである。図2に示す通り、この戦略は成功した。それは中国が15年の交渉を経て2001年にWTO条約に署名した時点から始まり、帝国主義体制の深刻な危機が発生するまで続いた。

(3)2010年代初頭の諸矛盾の爆発~習近平による「新常態」戦略への転換
経済学者フランソワーズ・ルモワンヌは、21世紀初頭の中国は、20世紀初頭の米国、あるいは1950年代のフランスや1960年代の日本と同程度の水準にあったと推定している。中国は、発展途上国(一人当たり指標)でありながら、先進国(総合指標)でもあるという二重の特徴を持っている。
この中国の発展は苦労して勝ち取ったものだ。中国人は労働を宗教のように崇める。資本主義的労働関係の容赦ない厳しさを経験した。外国大企業は彼らの先進技術を普及させなかった。外国の経営陣は、中国の労働力が持つ農村の新鮮さと、村に数元を持ち帰りたいという稼ぎへの欲求を利用し、絶対労働時間制のもとで可能な限り過酷に搾取した。2010年、スキャンダルが明るみに出た。深圳にある台湾系鴻海精密工業工場で、約20人の若年労働者が自殺を図り、大半が死亡した。アップル、ヒューレット・パッカード、IBMなどの企業に代わって、iPhoneやiPadを製造するこの企業の労働環境と生活環境は過酷なものであった。
この時期、多くの矛盾が顕在化した。経済発展は東部沿海地域と特別経済区の人々の生活水準を平均的に向上させた。しかし西部諸省の人々は自らの発展がますます遅れを取っていると感じ、不満の温床を形成した。この不満は外部勢力によって利用され、2008年のチベットや2009年の新疆における暴力的で反中国・反社会主義的な行動へと変質させられた。
江沢民と朱鎔基によって推進された改革開放戦略は、中国の生活を根底から変えた。2004年から2013年まで国を率いた胡錦涛は、この戦略によって生じた傷、特に農村部における傷を癒そうとした。実際、都市化は土地を貪り食う。農民はこの過程で特に大きな被害を受けた。腐敗は当時、中国の産業発展とともに深刻な現象となっていた。一方、中国の民間企業は、自社がどれほど外国企業に支配されているかを痛感し、そのほとんどは下請けとして、指示通りに生産するのがやっとの状態だった。
現実の発展を遂げつつも数多くの強い矛盾に晒されていた状況の中で、2008年の金融危機が勃発した。輸出主導型発展戦略が依然適切なのかどうかを自問することが急務となった。これらの問いへの答えと「新時代」に向けた改革の方向転換は、2014年以降、習近平とそのチームによって示された。
レミー・エレーラとそのチームは、40年間(1978-2018年)にわたる米中貿易における双方の利益を測定した。第一に、中国と米国の輸出に含まれる労働時間を評価すると、この期間中、米国の労働1時間に対して中国の労働40時間が交換された。1990年代末以降、米国の労働時間1時間は、次第に短くなる中国労働時間の価値と等しくなったが、2018年にはまだ米国の労働時間1時間は中国の労働時間7時間に相当した。
第二に購買力平価による貨幣価値評価で見ると、米国はこれらの取引から全体的には相当な金銭的利益を得ていた。だが中国はセクター別にみると20%で利益が逆転し、コンピュータおよび医薬品では中国有利となっていた。米国はデジタル革命の主力製品における比較優位を徐々に失いつつあった。
帝国主義体制の中で中国が発展を遂げたことは厳しい試練であった。しかし依存と従属の時代は終わった。中国人にとって、もはや製品の組み立てではなく、設計と製造が課題となった。これがいわゆる中国経済の新常態(ニューノーマル)、つまり高成長から中成長への転換である。「帝国主義体制の中」から離脱したことによって、中国の軍事外交戦略は、鄧小平の「韜光養晦」(実力を隠して力を蓄える)から、習近平の「有所作為」(積極的に主張し世界に影響を与えていく)への転換が始まった。
(4)世界史の転換点~社会主義は価値を生産し、帝国主義は価値を略奪する
著者は、世界史の現段階を、中国社会主義と米帝主導の西側帝国主義=レンティア帝国主義の行動が真逆であると特徴付ける。社会主義は価値を生産するが、帝国主義は価値を生産せずにただ略奪するだけだ、と。
われわれは、この対比を見て、2025年1月にNGO「オックスファム」が作成したレポート『略奪者であって生産者ではない―植民地主義の不公正な貧困と不当な富』を思い出さずにはおれない。このレポートの表題原文は「Takers not Makers」。まさに帝国主義の最新形態「レンティア帝国主義」を途上国支援のNGOの立場から表現したのである。レポートは1955年の「バンドン会議」におけるインドネシアのスカルノ大統領の演説から始まる。曰く、「『植民地主義は死んだ』とよく言われる。それにだまされたり、なだめられたりしないようにしよう。植民地主義はまだ死んではいない。アジアやアフリカの広大な地域が自由でない以上、植民地主義は死んだとどうして言えようか。・・・簡単には略奪をあきらめない。いつでも、どこでも、どのような形であれ、植民地主義は邪悪なものであり、地球上から根絶されなければならないものである」。そして、帝国主義的植民地主義の過去と現在を包括的に描く。植民地の遺産―不公正な貧困と不当な富、超富裕層の富と植民地の過去、植民地主義の継続中の影響、植民地搾取の支柱、超富裕層の貴族制を打倒し、経済を脱植民地化するための共同行動、等々。これは途上国からの告発レポートだ。マルクス主義を標榜する者が「植民地主義は消滅した」「世界は帝国主義のピラミッドになった」と帝国主義的植民地主義を否定し美化するのとは正反対である。
GDPの水準が国家の力を表すと仮定するなら、2023年の米国のGDPは25.4兆ドル、中国は17.8兆ドル。しかし購買力平価(物価面で米国と調整)で計算した中国のGDPは、2014年に既に米国を凌駕している。したがって両者の相対的な強さは不明瞭だ。中国人にとって、中国の人口が米国の4~5倍である以上、中国の生産量が米国を上回るのは当然の成り行きである。しかし、どの国もその規模にかかわらず、存在し尊重される権利があり、唯一の違いは、大国ほど世界の行動においてより大きな責任を負うということだ。
レンティア帝国主義が世界の単独覇権を目指す一方、中国社会主義は世界全体を前進させようとする。レンティア帝国主義は、生産から価値を奪い(takes from production)、そしてその発展を阻害する(prevents it from developing)。中国人は可能な限り自国の農業・工業生産を発展させている。彼らは世界生産の発展のために行動する。科学的知識の発展のために「頭脳流出」に依存したりはしない。彼らは若者を多様な科学分野で育成し、それらの大学からは、杭州のDeepseek社が最近示したように、優れた人材が輩出されている。
レンティア帝国主義は孤独(solitary、独りぼっち)である。侵略や制裁で暴力的な覇権を乱用するからだ。対照的に中国人は人々を結びつけようとしている。社会主義中国主導のグローバル・サウスの「集団的台頭」だ。2024年9月に開催された第9回中国・アフリカ協力フォーラムでは、53のアフリカ諸国がこれに参加した。中国政府は世界規模の主要プロジェクトを複数立ち上げた。2013年の「一帯一路」構想、2022年には新型コロナパンデミックが猛威を振るう中で国連と協力した「グローバル開発イニシアティブ」、2023年には「グローバル安全保障イニシアティブ」の提唱、2023年3月の「グローバル文明イニシアティブ」構想を発表した。さらに中国政府は自国領土における自然保護と気候管理の効果的な政策を展開している。
一方、レンティア帝国主義は、あらゆるものが自らの所有物であるか、あるいは良心も領土も住民も全て売り物だと信じ、完全に利己的で略奪的な目的を掲げる。これはまさに現在のトランプ政権によるベネズエラ侵略とマドゥーロ夫妻の拉致・拘束やイラン侵略で石油資源を略奪しようとする米帝国主義の所業を、著者がトランプ就任早々の時点で既に予見していたかのようである。
著者は本論文の「結語」で改めて今日の帝国主義と社会主義中国との根本的な体制的対立を浮き彫りにする。帝国主義は略奪的性格を帯び、支配し制裁を加えるが、もはや価値を生産することはない。すなわち、価値の生産とその略奪との間に明確な分離が生じているのである(A clear separation has occurred between the production of value and its capture)。だから本稿では、この現象をレンティア帝国主義と呼んでいる。
社会主義中国は、退廃したレンティア帝国主義とは対極にある。レンティア帝国主義は、少数の社会階層の利益に奉仕する覇権的かつ好戦的な世界的関係の源泉となっている。これに対し中国は、国家的基盤を持ちながらも地球的視野をもってすべての民族がその成果を享受できるようにすることを目標としている。
われわれは著者のこの理解に基づき、こう確信する――人類史は決定的な転換点にある。一方で、米帝主導の西側帝国主義は戦争と制裁、破壊と略奪しかできず腐り果て没落していく。他方で、社会主義中国は多極化世界の構築と反帝・反植民地主義の世界、人類運命共同体を目指し、グローバル・サウスと共に成長していく。未来は社会主義のものである。
