米NEDと「カラー革命」(連載その2)
ウクライナ戦争は、なぜ、どのようにして勃発したのか?
マイダン・クーデターの帝国主義的本質を暴く

はじめに

(1)連載その2では、ウクライナを取り上げる。というのも、元々、米帝国主義が、政権転覆=「カラー革命」を起こして暴れ回ったのが旧ソ連圏であり、最も成功したのが2014年のウクライナのマイダン・クーデターだったからである。
 ウクライナ戦争は2022年2月のロシアの軍事侵攻に始まったのではない。その8年前のマイダン・クーデターから始まったのだ。もっと言えば、このクーデター自体が、ソ連崩壊後の米・NATOの「東方拡大」の最終段階だったのである。この米・NATO帝国主義の露骨な介入の歴史を知ることなしに、ウクライナ戦争の階級的本質――ソ連崩壊後の米・NATO帝国主義による「東方拡大」の最終段階としての対ロシア「代理戦争」――を捉えることはできない。それは、米・イスラエルによるガザ大虐殺戦争が2023年10月7日に始まったのではなく、1948年の「ナクバ」(大惨事)に歴史的起源を持つのと似ている。

(2)米欧帝国主義は、1991年のソ連崩壊後、親欧米派エリツィン政権の手でロシアを自己崩壊させようとしたが、プーチンの登場で失敗する。当時、米帝一極支配を確立するには「ユーラシア覇権」は必須だった。そこで、米帝が打ち出したのが「ブレジンスキー・ドクトリン」である。社会主義崩壊後も核大国、資源大国として邪魔になるロシアを打倒し、多民族国家をバラバラに分裂させ、その核を完全に廃棄・解体し、資源を自国の石油メジャーに呑み込ませるという壮大な帝国主義計画だ。その柱がNATO・EUの「東方拡大」である。2000年のセルビアにおけるブルドーザー革命を皮切りに、2003年グルジアのバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命、2005年キルギスのチューリップ革命などで、「不正選挙」をでっち上げ、武装反乱を含む群衆暴動を煽動し、ロシア寄りの政権を次々打倒した。その最終段階がマイダン・クーデターであり、現在のウクライナ戦争なのである。

(3)戦争をマルクス主義的に分析するには、国際的連関と歴史的連関を捉えることが不可欠である。ところが、左翼・共産主義者の一部は、ウクライナ戦争を、米帝の「三正面戦争」の一環として捉えず、単にロシアとウクライナの二国間戦争と捉える。米・NATO帝国主義がすっぽり抜け落ちるのである。その根底には、世界を「独立主権国家の集合体」と捉えるブルジョア的・没階級的国際関係論への同調がある。言葉としての「帝国主義」を使う場合でも、そこには本質的な意味でレーニンの「帝国主義論」はない。彼らは、米帝一極支配に逆らうプーチン・ロシアを「悪魔化」する西側の反露・嫌露プロパガンダを鵜呑みにし、米帝と西側帝国主義を糾弾するのではなく、プーチンとロシアの側を憎悪し、糾弾する。
 ウクライナ戦争は、なぜ、どのようにして勃発したのか? 以下、3つの段階を辿る形で、暴露していく。参考にしたのは、ウクライナとドイツの共産主義者の分析、独立系メディアやジャーナリストの調査報道を参照した。

[第1段階]
米・NATO・ファシスト主導のマイダン・クーデター

(1) それは、2014年2月22日、民主的に選出された親ロシアのヴィクトル・ヤヌコビッチ政権がオバマ政権のクーデターによって打倒された時に始まった。ウクライナは大混乱に陥る。600万人のウクライナ難民がロシアに逃れた。
 米国国務省は、「ユーロマイダン」というこのクーデターの組織者であった。
――米大使館が主導:クーデターの前年2013年8月、オバマ政権大使ジェフリー・パイアットがキエフに到着すると同時に、親露政権打倒計画を実行に移し始める。
――反露プロパガンダ・メディアを設立:まず、ユーロマイダン街頭デモを構築するために「フロマツケTV」への助成金を承認した。米政府が2001年に作った政権転覆組織「CEPPS」(選挙と政治プロセス強化のためのコンソーシアム)を始動させる。それはNED関連グループ、全米民主党国際問題研究所、国際共和研究所、国際選挙制度財団とUSAIDとのプログラムだ。ジョージ・ソロスのNGOも加わった。NEDは大衆扇動の司令塔・マスメディア研究所に資金を提供した。また、フェイスブック、X(旧ツイッター)、インスタグラムなどのソーシャル・メディアを利用して偽情報を拡散し、ウクライナの民族的緊張を高め、ウクライナ東部の民族対立をあおるため、数千万ドルを投入した。
――ユーロマイダン暴動の開始:13年11月、ヤヌコビッチ政権は、ロシア主導のユーラシア経済連合(EAEU)との関係維持を支持し、欧州連合(EU)協定を拒否した。数時間のうちにフロマツケTVはオンラインになり、扇情的な反露プロパガンダを開始した。これがユーロマイダン暴動の合図となる。
――ファシストの組織化と動員:13年11月、米大使館主導で、ファシスト・グループが、後に武力暴動を引き起こすネオナチの武装組織「プラヴィ・セクトル」協会を設立した。彼らは警察官や特殊部隊との間で意図的に衝突を起こし、遂に12月には、大統領府を警備する警察と争乱状態に入った。彼らはデモ隊防衛の名の下に、抗議運動を乗っとった。彼らは警察官を攻撃し、国会議事堂や政府の建物を占拠し、警棒で治安部隊を殴打し、火炎瓶等を投げつけ、バスやトラックに火をつけた。

(2) ヤヌコビッチ大統領は2014年2月21日、前年11月以来の政治的危機を終息させるため早期の大統領選挙実施を呼び掛けた。これがクーデターの導火線となった。
 米政府は勝負に出た。ヴィクトリア・ヌーランド米国務次官補の指示の下、暴力的クーデターを推進し始めた。彼らは、政権打倒のためには犠牲者の数が100人以上になる必要があると殺害を煽った。ファシスト・グループは、両陣営の人々を射殺し始めた。混乱の中で正確な犠牲者数は不明だが、数百人の死傷者が出た。プラヴィ・セクトルが支配する建物から発砲した狙撃兵が、警察とデモ参加者併せて25人を射殺した。350人以上の市民が負傷し、250人以上が入院した。ウクライナ保健省の公式データによると、2月18日から21日まで77人が死亡した。殺戮は、ヌーランドとジョン・マケインが指揮したネオナチ「プラヴィ・セクトル」が実行したにも関わらず、欧米マスコミは、ヤヌコビッチを非難した。
 プラヴィ・セクトルらファシストたちはヤヌコビッチに、22日午前10時までに大統領職を去るよう要求した。プラヴィ・セクトルの指導者ドミトリー・ヤロシュは、ヤヌコビッチが辞任するまで暴力的な蜂起を続けると主張した。ファシストは、大統領府、議会、閣僚、内務省を襲撃した。完全な暴力的・組織的なクーデターである。2022年2月21日の夜、ヤヌコヴィチは、最高議会と大統領府の首長とともに、キエフからクリミアに逃れ、クーデターは完了する。
 2月27日、ヌーランドは、一躍ウクライナの「陰の大統領」となった。彼女が選んだ米の傀儡ヤツェニュクが首相になった。この取引で、全国選挙で2%の得票率も得ることが出来なかったネオナチ勢力は、欧米の全面支援を受けて、国防省や内務省を含む6つの主要な内閣省庁を与えられ、権力の中枢を奪取した。
 ロシア側が「非ナチ化」を和平条件にする理由がここにある。今日のゼレンスキー政権を含むクーデター後のキエフ政権の軍・警察・諜報機関はファシストが握っているのだ。西側メディアも、一部左翼も、このキエフ政権の本質=ファシスト政権という事実を徹底して覆い隠す。許しがたいことだ。

[第2段階]
キエフ=ファシスト政権による東部・南部での民族浄化戦争

(1) 争乱はこれで終わらなかった。権力を握ったキエフ=ファシスト政権がロシア系住民(以下、ロシア語話者を含む)に対する血みどろの大虐殺や民族浄化戦争を開始したのだ。ロシア系住民は自己防衛を始めた。2014年4月、ルガンスク市の共産主義集団が、ウクライナ国家警察庁であるウクライナ保安庁(SBU)の地方本部を占拠した。彼らは、ウクライナの憲法基盤を支持し、投獄された仲間の釈放を要求した。防衛行動は、命や生活の危険を体験したロシア系住民が住むクリミア、ドンバスの二つの州、ルガンスクとドネツク、さらにオデッサや他の都市・町を含む、ウクライナ南部と東部に急速に広がった。
 8年間に及ぶ内戦が勃発する。この中で、キエフ=ファシスト政府は1万4千人ものロシア系住民を大量虐殺した。座視できなくなったロシアが、ウクライナや欧米との和平交渉を繰り返し提案した。

(2) クリミアとドンバスのロシア系住民の大多数は、2014年3月~4月、国民投票でロシア連邦への編入に賛成票を投じた。クリミアの編入要求はロシア下院によって受け入れられたが、ドンバスの編入は拒否された。その後、ドネツクとルガンスク人民共和国は独立を宣言した。キエフ政権と欧米の政府・マスコミは、ロシア系住民の自己防衛闘争を〝分離主義者〟と呼んで徹底的に弾圧した。
 2015年2月25日、ドンバスのロシア系住民が武装防衛に勝利した結果、キエフ政権は、ようやく「ミンスクⅡ」和平協定に署名した。これには、ルガンスクとドネツクの包括的な自治措置が含まれていた。国連安全保障理事会は、わずか5日後に全会一致で合意を承認した。しかし、特にフランスとドイツは〝保証人〟として署名したにもかかわらず、実行するつもりはなかった。実際、2022年12月、前ドイツ首相メルケルは、この和平協定はキエフ政権の軍事的再建のための「時間稼ぎだった」と破廉恥な発言を行った。

[第3段階]
2020年12月のドンバス攻撃~ウクライナ戦争の直接の導火線

(1)周知のように、ゼレンスキーとキエフ政権は、ウクライナ戦争の発端から現在まで、自力で権力機構、財政・経済、軍事力を運用できない状態にある。米・NATO軍が戦況を分析し、偵察を行い、ウクライナ軍に作戦指示を出している。金権腐敗と汚職が権力を腐らせ、軍・官僚の入れ替わりが激しい。ウクライナ戦争に関する情報はほぼ全部がデマで、これも米英の謀略機関が筋書きを書き、西側メディアを通じて世界中に垂れ流している。「ウクライナ軍優勢」報道が何度も世界を駆け巡った。日本でも、自称「専門家」がこのデマ情報を盛んに流した。ゼレンスキーは武器調達と財政・金融支援で絶えず世界中を回っている。国家元首がこんな状態で国が回るわけがない。要するに、ウクライナ戦争は、米・NATO丸抱えの対ロシア「代理戦争」なのである。
 重要なのは、こうした米・NATO丸抱え構造は、マイダン・クーデターと東ウクライナに対する内戦を通じて形成されたことである。ウクライナ軍はNATO式装備に一新され、米CIA特別プログラムに参加した。大規模演習が定期的に行われ、新設された国家警備隊は、米国国務省のグローバル安全保障緊急時対応基金(GSCF)によって資金提供された。米・NATO諸国はウクライナに武器を供給した。米国の軍事援助は2014年から2022年2月までに28億ドルに膨れ上がった。2018年からはジャベリン対戦車ミサイルが大量供与された。戦争勃発後の最新鋭攻撃兵器の大量供給は、我々もよく知るところだ。

(2)2016年7月のワルシャワNATO首脳会議で、ウクライナのNATO加盟が新たな段階に入った。米・NATOとウクライナ軍は、対ロシア戦争の本格準備を開始した。
――加盟のための包括的支援パッケージ(CAP)が始まった。これにより、ウクライナの国家と軍の構造がさらに再構築され、NATOと互換性を持つようになった。CAPの一環として、NATOの戦略的アドバイスにより、訓練、セミナー、装備などが、ウクライナ国家に設置された。また、コンピューター機器、指揮・通信構造、医療機器、スタッフの育成に資金を提供するために、数多くの信託基金が設立された。
――2017年6月、ウクライナ議会は、NATO加盟を外交政策の優先事項と宣言する法律を可決した。
――2018年4月、ロシアを戦略敵とする「ウクライナ統合軍事作戦」が始まった。
――2019年2月、ブリュッセルNATO本部会談の後、ウクライナ国防相は、米・NATO軍と共に、ロシアを封じ込めるために海軍の黒海プレゼンスを大幅に増やすと発表した。
――2019年10月、最高会議は、ウクライナ軍をNATOの基準に合わせる新法を採択した。軍の階級編成は米軍のそれに合わせられた。等々。

(3)こうした一連の軍の再編強化を踏まえ、遂に2020年12月、米・NATO・ウクライナはドンバス住民に対する残忍な攻撃を開始した。これがウクライナ戦争の直接の導火線となった。
――21年1月の声明で、ドネツク人民共和国(DPR)の代表団は、ウクライナ軍がミンスク合意で禁止されている武器を使用して共和国の領土に砲撃を強化した、停戦違反と我々の領土への地雷の数は、現在、停戦措置が発効する前の数に匹敵する、と警告を発した。
――同時に、米・ウクライナ軍の協力が急速に拡大し始めた。ウクライナ国家警備隊は、NATO式の運用ドクトリンの作業を開始した。21年2月、米政府はクリミアがウクライナ領であることを再確認し、3億ユーロの軍事援助を発表した。ウクライナ軍はまた、ドネツク人民共和国に対する攻撃を想定し、市街戦訓練を発表した。「ドネツク人民共和国に対する攻撃不可避」なるキャンペーンが一斉に流され、これに反対する人々への政治弾圧が始まった。
――21年3月、ゼレンスキーは「クリミアとゼヴァストポリ市の占領解除と再統合」という国家安全保障防衛会議の戦略を実行する法令を発令した。これは基本的にバイデン政権の承認なしに決して行われなかった対ロシア宣戦布告である。ロシアはこれを非常に深刻に受け止めた。2021年3月末、ロシア連邦は西部国境に軍隊を集結させた。
――2021年末までに、米英がウクライナに対する武器供与と資金を大幅に増加した。ウクライナは2000人の米国人を含む4000人のNATO兵士の駐留を許可した。さらに2022年に黒海でNATOの演習を10回行うことを法的に許可した。
 こうして、ドンバス民族浄化戦争をきっかけに、米・NATOの「東方拡大」は最終段階に入った。米・NATO・ウクライナ軍の対露戦争挑発はまさにロシア国境を突破せんとした。プーチン・ロシアは先制攻撃で機先を制しようとした。これがウクライナ戦争である。


(MK)

(参照記事 本紙111号)米NEDと「カラー革命」 (その1) 米帝は内政干渉、政権転覆活動をやめよ

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