今年の3月5日はチャベスが亡くなってちょうど10年にあたる。この記念すべき年をマドゥーロ大統領とベネズエラ人民は、米帝の全面封鎖をはね返しながら、かつてない前進と高揚感の中で迎えている。2022年、ベネズエラは2桁台の奇跡的な経済回復を遂げた。ハイパーインフレも沈静化している。国民議会を牛耳ってきた反革命野党も分断し、議会を奪還した。今年1月12日、マドゥーロ大統領は、国民議会で全人民への年次メッセージを発表し、次のように述べた。「誰が嫌おうと、私はベネズエラ・ボリバル共和国の正当な国民議会の前にいる! 世界で誰が叫ぼうとも、新旧の帝国(米英)が何を言おうとも関係ない!」と。
チャベスは不滅 「私はチャベスだ!」
チャベスは1999年2月2日の大統領就任から生涯を終えるまで、大統領としてベネズエラの歴史に全く新しい時代を切り開いた。反米・反帝の最先頭に立つ闘士として、帝国主義の新自由主義的植民地支配と闘い、米のクーデター、内政干渉、制裁などのありとあらゆるハイブリッド戦争、卑劣な政権転覆策動と闘い、社会主義指向の革命権力を守り抜いた。人民主義に貫かれた包括的な社会・経済政策により、ベネズエラの人々に尊厳と誇りを取り戻し、国の社会的現実を一変させた。
さらにチャベスは、かつてのラテンアメリカの英雄たちの思想と理想を受け継ぎ、帝国主義の支配から完全に解放されたラテンアメリカ=「我らのアメリカ」の実現に向かって踏み出した。ボリバル同盟(ALBA、2004)、南米諸国連合(UNASUR、2007)ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC、2010)を創設、2005年にはラテンアメリカ諸国人民初の放送局teleSUR、カリブ諸国への石油供給機関(ペトロカリベ)を立ち上げ、米支配の地域同盟機関に対抗して、ラテンアメリカの統一と統合のために闘い続けた。
3月5日はベネズエラ国家と人民にとって、ラテンアメリカの諸国と人民にとって、そして世界の人民にとって特別の日となった。ベネズエラでは何千何万もの人々が首都カラカスの街頭でチャベスに敬意を表し、彼の反帝国主義と社会主義の遺産を守る決意を表明した。労働者、学生、政治団体、社会運動、労働組合のメンバーがカラカス市内のさまざまな場所に集まり、チャベスの遺骨を納めた霊廟のあるクアルテル・デ・ラ・モンターニャまで行進した。「チャベスは死ななかった、増殖した!」「私はチャベスだ!」「チャベスは生きている!」のスローガンが唱和され、街に響き渡った。
デモ参加者への途中のインタビューから、チャベスが人民に何をもたらしたか、その一端を知ることができる。カラカス都市計画組織のひとりのメンバーは語っている。「私たちはマドゥーロが引き継いだチャベスの遺産を誇りに思っている。私たちはボリバル革命に感謝している。自然災害の後、チャベスは空いている土地のどこにでも家を建てるようにと命令し、私たちはそうした」と。
ある教師は語っている。「今日のような日は、私たちベネズエラ人にとって、私たち教師にとって忘れられない日だ。ベネズエラが非識字から解放されたと宣言されたのは、永遠の司令官の素晴らしい手腕のおかげだ。チャベスと彼の政策のおかげで、小学校、中学校、高校、さらには大学レベルの入学者数が増加したことは忘れることができない。それが現在マドゥーロ大統領によって続けられている。ベネズエラでは誰もが勉強する。ベネズエラでは教育は無料であり、良質だ」と。
キューバのラウル・カストロ、ボリビアのエボ・モラレスとルイス・アルセ、ニカラグアのダニエル・オルテガ、エクアドルのラファエル・コレア、セントビンセント・グレナディーン諸島のラルフ・ゴンサルベスといった中南米各国の国家指導者が、共にチャベスの墓に花を捧げた。
ボリバル革命の重要性を説く国際会議に55カ国から結集
偉大な革命的指導者を称える活動の一環として、「21世紀におけるウゴ・チャベス司令官のボリバル思想の重要性についての国際会議」が開催された。世界55カ国147名の代表が招待された。さらに国内の労働組合や民衆運動の指導者、知識人ら何百人もが会議場を埋め尽くした。このイベントは3月3日から5日にかけて開催された。議論されたトピックは、ラテンアメリカ統合におけるウゴ・チャベスの歴史的遺産、新しい多極的世界のビジョン、脱植民地化、人民の力とコミューンのビジョン、メディアの民主化、民・軍連合、そして21世紀の最高の幸福モデルとしての社会主義の有効性である。
会議の冒頭討論でミランダ州知事エクトル・ロドリゲスは語った。「チャベス司令官のおかげで、帝国主義に対して、世界の人々は集団的良心を持ち、主権と偉大な祖国の夢を放棄することを拒否している。チャベスは私たちの現在と未来の一部である。彼のおかげで、また集団の努力とマドゥーロ大統領のおかげで、ベネズエラはカタコンベ(集団墓地)から生まれ変わった」と。それは革命家の指揮官への最高の賛辞である。
コミューン大臣のホルヘ・アレアサは、チャベスの権力の到来は代議制政治を行う古いやり方を壊したと指摘し、「チャベスは組織化された人々の力、参加、リーダーシップと、最大の社会的幸福のための政府の行動の形とを結合させて、民主主義のプロジェクトを具体化した」と述べた。
ブラジル出身のジョアン・ペドロ・エステベスは、「チャベスがラテンアメリカ左翼の勢力を再編成し、米州自由貿易協定(FTAA)の覇権に反対してALBAを設立した唯一の人物であり、ベネズエラは大衆民主主義の大陸の先駆者だ」と述べた。
スペインの作家でジャーナリストのイグナシオ・ラモネは、「帝国主義プロジェクトは、北による南の垂直支配である。チャベスは、アラブ、アフリカ、ラテンアメリカ諸国を結び、主権と独立のための石油の反帝国主義ビジョンを創造した」と称賛した。
ウラジミール・パドリノ・ロペス国防相は、「チャベスはボリバル主義とベネズエラ建国者の旗を持ち帰った。ベネズエラには人民と軍との堅固な同盟があり、軍には反オリガーキーの性格がある。チャベスは新しいヒューマニストのビジョンを軍に注ぎ込んだ」と語った。
ボリビア前大統領エボ・モラレスはこう強調した。「フィデルとチャベスは、帝国主義、資本主義に反対して発言することへの恐怖を打ち砕いた。私にとっては、帝国は敗北している。帝国は冷戦の中でラテンアメリカの諸国民に敗北したのだ。チャビスタの思想は、天然資源を略奪するために我々を制圧しようとする資本主義との闘いにおける塹壕だ」と。
ラウル・カストロ元司令官は、米国の攻撃に抵抗してきたベネズエラの人民の革命的精神に拍手を送った。「我々は、ボリバル・プロセスを転覆させるための侵略と経済戦争を目撃してきたが、ベネズエラ国民は勝利の守り方を知っており、チャベスに背いていないことを誇らしく目撃してきた」と。
同様にマドゥーロ大統領も、「私たちはこの10年間、あらゆることにウゴ・チャベス方式を適用してきた。それは、あらゆる節目で人々を結び付け、動員し、活性化する方式であった。常に民衆とともに、民衆なしにはありえない、喜び、希望、批判とともに進んでいく」と強調した。それはまさしく、代議制を超えた参加型民主主義の真価と力を発揮し、米帝国主義に対して不屈に粘り強く闘い抜いてきたことに対する自信に満ちた言葉である。
ボリバル革命を受け継ぐマドゥーロ大統領
1999年12月15日、大統領就任から10か月後、ラテンアメリカの統合、徹底した人民主義、参加型民主主義、女性解放、先住民族の尊厳を柱にすえた憲法草案が承認され、ここに全く新しい憲法が制定された。また同時に、この新しい憲法の基盤となったシモン・ボリバルの教義に敬意を払い、国名をベネズエラ・ボリバル共和国に改称した。ここからチャベスのボリバル革命は始まった。
チャベスは、国民の食料・住宅へのアクセス、医療・教育の無償化、雇用機会の促進、社会保障の拡充を重点とする政策を直ちに推進した。彼の政権下で、ベネズエラでは飢餓、極度の貧困、貧困の割合が50%以上減少した。高等教育や大学教育も、すべてのベネズエラ人民の権利となった。ベネズエラ住宅大作戦(GMVV)と呼ばれる社会住宅プログラムを通じて、これまでに400万戸以上の住宅が低所得者に、収入に応じて安価または無料で提供されている。人口2800万人の国にあって驚嘆すべき数値である。
しかもこれらの社会プログラムの前進は、米と帝国主義同盟国がベネズエラに対して行った凶悪な経済制裁と経済封鎖の下で、ベネズエラ人民の不屈の集団的努力と苦闘を通じて闘い取られたものである。チャベスが始めたボリバル革命は、マドゥーロ大統領率いるベネズエラ社会主義統一党(PSUV)政権によって、引き継がれ拡大している。
(渉)