グローバル・サウスの歴史的な集団的台頭
中国グローバル・サウス戦略の世界史的意義

 2024年は前年に続き、中国がグローバル・サウスと固く団結し、BRICSカザン・サミット、G20、APECをはじめ、世界政治を動かした記念すべき年となった。世界は、グローバル・サウスの歴史的・集団的台頭と、米帝一極支配の歴史的没落と巻き返しの対抗関係で動き始めた。われわれは、この歴史的ダイナミズムが自然発生的に偶然にそうなったと思い込んでいる。しかし、そうではない。それは社会主義中国の考え抜かれた反帝・反植民地主義のグローバル・サウス戦略の十数年にわたる努力の結果なのだ。その壮大な外交戦略の意義について考える。

(渉)

中国主導のグローバル・サウスが新植民地体制からの脱却の時代を切り開く

 第二次世界大戦後、旧植民地体制は崩壊し、植民地・半植民地は次々と政治的独立を遂げた。だが米欧日の西側帝国主義は、資源と労働力と市場を収奪し続けるために、独立した国々を今日に至るまで長期的な「周辺国」状態に置き、政治的・経済的に支配してきた。
 しかし、1980年代以降、特にソ連崩壊後の米帝一極支配と新自由主義的グローバル化の下で、世界経済の構造は激変する。先進国の金融資本が製造業を大々的に途上国へ移転し、アウトソーシングを通じて海外委託を急拡大した。製造業の海外移転は、あくまでも金融資本の飽くなき利潤追求の結果だが、これが先進国と途上国の政治的・経済的力関係を徐々に変えていく。歴史の弁証法ともいえるダイナミックな変化だ。グローバル・サウスは、国内では貧富の格差を拡大させながらも、対先進国比で、国の数と人口で世界の3/4を占め、世界GDPの60%を占めるようになった。これがグローバル・サウス台頭の「共通の基盤」である。

世界史における画期的出来事 旧植民地体制からの脱却以来の偉業

 社会主義中国のGDPは2010年に日本を抜いて急速に力を付け、続いて2010年代から20年代にかけて、その中国が主導するグローバル・サウスは、世界の多極化の推進力となった。2022年2月のウクライナ戦争勃発後、グローバル・サウスは、米と西側による対ロシア制裁に反発し、従わなかった。2023年10月の米=イスラエルによるガザ大虐殺戦争では、国連で米=イスラエルの蛮行に反対し、その一部は国際刑事裁判所(ICC)に提訴する側に回った。グローバル・サウスはもはや「物言わぬ多数派」ではなく、「物言う多数派」となった。中国の党・政府はこれを、「グローバル・サウスの集団的台頭」と呼び始めた。
 習近平総書記は、このダイナミズムを、戦後の旧植民地体制崩壊後以降のグローバル・サウスの長い眠りからの「目覚め」だとして、こう述べた。「グローバル・サウスの現代化に向けた集団的台頭は、世界史における画期的な出来事であり、人類文明の進歩における前人未踏の偉業である」と(昨年10月24日、BRICSカザン首脳会議での習近平演説)。
 今年は戦後の旧植民地諸国の独立を宣言したバンドン会議の70年である。インド首相ネルー、インドネシア大統領スカルノ、中華人民共和国首相周恩来、エジプト大統領ナセルなど29ヶ国の代表団が参加した。
 習近平総書記は、昨年のグローバル・サウスの集団的台頭が、戦後の旧植民地体制からの脱却以来の転換点、新植民地体制からの脱却という新たな時代を切り開く画期的出来事だと捉えているのだ。かつては、ソ連社会主義と中国人民の抗日戦争、反ファッショ戦争の勝利が切り開いた政治的独立だとすれば、今回は、社会主義中国が主導する平和共存とウィンウィンの経済協力強化の戦略を通じて、真の政治的独立・経済的独立を実現するという壮大な計画である。もちろん、まだ緒に就いたばかりだが、道筋は明らかとなった。

2012年始動の「人類運命共同体」戦略 十数年かけて国際関係を改造

 中国共産党は、グローバル・サウスを団結させ、G7に結集する西側帝国主義と集団で対抗するこの壮大な戦略を「人類運命共同体」と名づける。2012年11月の第18回党大会で打ち出した。2024年までの12年をかけて実際に世界を動かしたことになる。翌2013年9月に提起した「一帯一路」戦略はその根幹の一つだ。国際関係を改造し、民主化する外交戦略を中国の党が大々的に打ち出したのは、改革開放以来初めてのことであった。鄧小平の「韜光養晦(才能を隠して内に力を蓄える)」戦略からの大転換である。
 「人類運命共同体」とは、「人類が共有する未来を持つ共同体を建設し、ウィンウィンと共有の利益を達成する」ことであり、それは米帝と西側帝国主義の覇権主義と闘い、新植民地主義的抑圧・搾取と闘い、その支配を掘り崩していく戦略を指す。以下の5つの要素からなる。
――政治的には、相互尊重、対等な立場での協議、冷戦思考や権力政治の放棄。対立ではなく対話、同盟ではなくパートナーシップの新たな道を追求。
――安全保障の面では、対話を通じて紛争を解決し、協議を通じて意見の相違を解決し、あらゆる形態のテロに対抗する。
――経済的には、貿易と投資の自由化と円滑化を促進し、より開放的で、包括的で、バランスのとれた、ウィンウィンの方向で経済のグローバル化を促進する。
――文化的には、世界文明の多様性を尊重し、文明間の交流による文明の疎外や、文明間の相互学習による文明の優位性を超越する。
――生態学的には、気候変動への対応に協力し、環境を守り、持続可能な成長を追求する。

「中国式現代化」の世界史的意義と「西洋中心主義」の呪縛の打破

 中国の党・政府は、グローバル・サウスの台頭と併せて、政治・経済から社会・文化に至るまで、それこそが「普遍的価値観」と思い込まされてきた「西洋中心主義」イデオロギーに対する批判を戦略的に打ち出している。
 「西側中心主義」の発生は、侵略と植民地主義を通じて西側諸国が産業革命を起こし、「経済発展=西洋化」という規範を生み出したことに起源を持つ。それ以来、経済発展は侵略と略奪の「西洋式発展」しかなく、西側の政府・メディア・論壇が作りだした経済理論が世界を支配した。IMF・世銀と西側多国籍企業に依存し、新自由主義(国有部門の売却、民営化、規制緩和)がグローバル・サウスに押し付けられ、途上国は債務奴隷になった。
 だが、西洋が東洋に対して真の優位性を獲得したのは200年前、19世紀に入ってからである。その突破口は約500年前の大航海時代の侵略・植民地化・奴隷貿易という資本主義の原始的蓄積期に遡る。「現代化」(経済発展)は「西洋化」と同一視され神聖化された。「普遍的価値観」が「西洋中心主義」の典型的な表現となり、西側支配層は常に西洋の政治体制、文化的精神性、価値観の優位性を強調し、西洋化が「唯一の真理の基準」であると宣伝してきた。
 マルクスは、資本主義の人類文明への影響について、「農村を都市に従属させるように、未開の国や半開の国を文明国に、農民民族をブルジョア民族に、東洋を西洋に従属させる」と指摘した。生産力の発展に伴う世界貿易は、発展途上国を資本家の利潤を引き出すための道具に変え、資本主義の価値観が疫病のように世界中に蔓延した。西洋経済発展の「文明化」された側面だけが誇張され、途上国への破壊的影響――戦争、侵略、土地の取り上げと占領、大虐殺、奴隷化、搾取と収奪、富の本国への移転・略奪――は隠蔽された。
 今、「西洋中心主義」イデオロギーの神話・呪縛が急速に打破されつつある。グローバル・サウスの台頭は、奪われた民族の誇りと尊厳の回復となった。米帝の「三正面戦争」は「西側の人権」の欺瞞・偽善を暴露した。
 それだけではない。社会主義中国は、西側の少数特権者だけの支配従属関係に縛られた現代化とは、根本的に異なる社会主義的「中国式現代化」を提起し、諸民族間の主権と平等、平和と友好、ウィンウィンの経済協力と繁栄、文明間の交流と協力、安定したグローバル・ガバナンスをめざす多極化世界、総称して「人類運命共同体」の構築をグローバル・サウスに浸透させてきた。中国式現代化は、帝国主義と金融資本がグローバル・サウスから収奪する「犠牲転嫁型・経済独占型グローバル化」ではなく、中国が自国の発展を促進するだけでなく、その成果を途上国に波及させる「真に開放的なグローバル化」「経済平等型グローバル化」への転換、世界秩序の多極主義システムへの転換である。

一部西側左翼の恥ずべき誤り

 中国の党・政府には、西洋(帝国主義)が没落し、東洋(グローバル・サウス)が世界を動かし変革する原動力になる、それを中国が主導しているという、困難な任務だが深い確信がある。この背景には、中国がグローバル・サウスと同様、数百年にわたり侵略と植民地支配という同様の経験と同じ運命をたどってきた共通の深い基礎がある。
 しかし、一部西側左翼は、こうした中国とグローバル・サウスの果敢な挑戦を「階級闘争がない」「全部帝国主義だ」とあざ笑う。本来なら、先進国の侵略や途上国収奪を防止するのは、侵略し収奪する先進国の側の左翼の義務である。先進国革命の問題なのである。中国を批判する暇があるなら先進国の自分たちは何ができるかを考えるべきではないか。批判すべきは海の向こうの中国ではなく、自分自身であることを忘れてはならない。

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