ニューカレドニア:カナック社会主義民族解放戦線の人民蜂起
植民地永続化を狙うフランス帝国主義

先住民カナックの民衆が蜂起

 5月13日から南太平洋のニューカレドニアで、フランスに抗議する人民蜂起が起こった。そこはオーストラリアから東に1200㎞、人口27万人、四国ほどの面積のフランスの「海外領土」とされる島である。蜂起を牽引するのはカナック社会主義民族解放戦線(FLNKS)だ。
 フランス植民地の永続化を図る憲法改悪の審議が、5月13日に国民議会で開始されたことが引き金となった。人々はカナック人民の独立を表す旗を掲げ、手に持ち、身体に巻き付けて街頭に繰り出した。空港を閉鎖し、島中の道路にバリケードを設置し、車両に火を放ち、何十もの企業や工場を焼き払い、経済活動を停止させ、警察と衝突し、刑務所での反乱を引き起こした。5人が死亡し、数百人が負傷し、400人が逮捕された。非常事態宣言が、1985年の反植民地闘争以来およそ40年ぶりに発動されるまでになった。FLNKSは、マクロン大統領に「憲法改正案」の撤回を明言するよう要求した。

マクロンのウソと弾圧

 フランス当局は、抗議行動の組織化に尽力した組織である現場行動調整セル(CCAT)を「マフィア」と呼んで悪魔化し、警察の残虐な弾圧をフランス本国はじめ全世界に報じたTikTokを、カナックに好意的であるという理由で閉鎖した。カナックの指導者たちが、アゼルバイジャン軍がトルコで開催した「脱植民地化:ルネッサンスの目覚め」と題する会議に出席したことで、アゼルバイジャンが国内の蜂起に関与しているという卑劣なデマまで行った。
 フランス国内でも、ニューカレドニアでの蜂起と独立を支持するデモが行われた。左翼勢力は脱植民地化を妨害・阻止しようとする政府を批判し、4月2日上院で法案が可決される前から警鐘を鳴らし続けてきた。
 マクロン大統領は、5月23日にニューカレドニアを慌てて訪問し、新しい投票ルールは「議論ができるようになるまで延期」すると言わざるをえなかった。だが、同時に3千人のフランス軍を送り込み、大弾圧の準備をしている。

先住民の存続と独立の基盤を掘り崩す憲法改悪

 今回の問題の背景を知るには、簡単に歴史を振り返る必要がある。ニューカレドニアは、1853年にフランス第二帝政ナポレオン3世によって併合され、それ以後20世紀前半にかけて政治犯などの流刑地とされた島だ。1871年パリコミューンの敗北によって革命家、戦士、労働者たち4千人がここに送り込まれた。刑期が終わっても、インフラ整備のために無償労働を強いられ続けた。「強制収容所」と呼ばれる由縁である。希少金属のニッケルが発見されて、流刑地の時代は終わった。70年代にニッケル鉱山開発ブームが起こり、フランス政府は移民を促進した。それらを経て現在の人口構成は、先住民族のカナックが44%、ヨーロッパからの移住者やその子孫が25%、その他は太平洋の島嶼部や東南アジアからの移民などである。 
 フランス政府による今回の憲法改悪とはどのようなものか? それを理解するには、ニューカレドニアにおける1980年代の大規模な独立運動に遡る必要がある。現在問われている問題、先住民と宗主国フランスの関係、いくつかの合意事項をめぐる問題は、この大闘争の成果を根底から覆そうとするものだからである。
 1984年、明確に独立を掲げ、暫定政府樹立を目指し闘争を指導する組織が結成された。「太平洋のチェ・ゲバラ」と呼ばれたエロイ・マチョロ率いる「カナック社会主義民族解放戦線」(FLNKS)だ。90人が命を落とす激しい戦いを展開した。国連は、ニューカレドニアを国連非自治地域リストに再掲載し、宗主国フランスにカナックの自治政府を発展させることを義務付けた。1988年、シラク首相は、ニューカレドニアに自治権を与え、4地域に分割することを約束した。「マティニョン協定」が成立し、自己決定と脱植民地化の漸進的なプロセスが開始された。1998年、「ヌメア合意」により、20年間の脱植民地化プロセスが確定された。

この「ヌメア合意」こそ、先住民カナックの自決権の基礎であり、その根幹こそ地方選挙の参政権は「1998年以前にニューカレドニアで選挙人名簿に登録されていた人」に限定するという条項である。今回フランスは、この条項を破棄して、「現地に10年以上住んでいる住民全員」へと突如変更する法案を出したのだ。宗主国国民議会で賛成351、反対153で可決した。カナックを少数派にして衰退・消滅させ、先住民の存続と独立、民族自決のための闘争の基盤そのものを掘り崩そうとしたのである。1980年代の闘争の成果とその後の漸進的プロセスを反転させる、まさに歴史の歯車を逆転させる植民地主義的所業である。

カナック社会主義民族解放戦線の旗
https://en.wikipedia.org/wiki/Kanak_and_Socialist_National_Liberation_Front
伝統的な住居の上に置かれた槍のような木製のトーテム記念碑が描かれている

住民投票を通じて植民地の永続化を狙う仏帝国主義

 1988年の「マティニョン合意」は、3度の独立を問う住民投票の実施を確約していた。2018年、2020年の住民投票は、それぞれ「反独立」が57%、53%の結果となった。2019年のニューカレドニア地方議会選挙は、反独立候補者が54議席のうち28議席を占めた。
 マクロンは、立て続けに2021年3度目の国民投票を推し進めた。これに対してカナックのコミュニティは、何千人ものカナックを殺したコロナの流行が過ぎ去り、伝統的な服喪期間が終わるまで投票延期を要望した。しかしマクロンは要求を無視して強行した。カナックの住民は抗議し住民投票をボイコットした。こうした経過で必然的にもたらされたのが97%の「反独立」投票結果であった。それについて、マクロンは「ニューカレドニアは、フランスの一部であり続けることを決めた」などと、全く認め難い破廉恥な強弁をしたのである。
 フランスの移民政策によって、カナックは現在、登録有権者のうちに占める比率が約40%のところまで低下している。領土に出入りする人をコントロールできるのは、先住民のカナックではなく、占領者であり統治者であるフランスであるからだ。
 それに伴って社会経済状態にも変化が現れている。首都のヌメアはヨーロッパからの人口が増え、群島の経済で支配的な位置にある。社会的経済的不平等は広がり、「非常に顕著な民族的裂け目」ができ、一方には経済的に恵まれた地域があるが、他方には依然として大部分が貧しい地域があり、そこには主にカナックやメラネシア人が住んでいる。鉱山、牧場、コーヒー農園の辺境がグランテール本島を横断し、先住民は土地の10%にも満たない区域に押し込められている。カナックは教育を奪われ(初めて大学入学の資格を得たのは1960年代)、社会的にも経済的にも疎外されている。白人が世界でも最高の生活水準を享受する一方で、カナックは、言語、文化、アイデンティティを守るために闘い続けている状況にある。
 新しい入植者の多くはフランス本土から来ている。彼らは、カナックよりも高い教育を受け、フランス語を習得し、フランスの官僚機構とのつながりがはるかに強い。彼らは相対的な特権と雇用へのアクセスを持っており、独立に反対票を投じる可能性が高い。そして人種差別的なプロパガンダの影響も受けやすい。ヨーロッパ系フランス人入植者が、わずか「10年の居住」で独立に反対票を投じることを可能にするなら、反独立=植民地の永続化を保証するようなものだ。白人入植者を領土に殺到させ、「独立問題」そのものを一掃しようと狙っているのだ。

ニッケル略奪と対中包囲網を狙う仏・米帝国主義

 ニューカレドニアは、フランス帝国主義だけではなく、米帝国主義にとっても、2つの意味で重要な植民地になっている。一つは、EV電池やスマホ、ステンレス鋼の製造に使用されるニッケルの豊富な存在である。埋蔵量は世界第4位であり、世界のニッケルの約9%が加工されている。ニューカレドニア群島がフランスの一部として承認されれば、フランス企業はさらに180万平方㎞の近隣海域に対する経済的権利を持つことになる。フランスの経済団体(ieom.fr)によると、海底にはレアメタル、コバルト、マンガンがあり、石油も存在すると見られている。そしてこの帝国主義的権益確保に米国も乗ったのだ。
 もう一つは、西側帝国主義の対中戦略、対中軍事包囲網にとっての重要性である。ニューカレドニアの領有は、フランス軍が中国を包囲する米軍と合流する潜在的基地となる。フランスの支配階級は、米帝国主義が率いる中国包囲戦略の一環として、南太平洋における軍事力を維持するために、南太平洋の植民地を必要としている。
 マクロン大統領の任期の間に、フランス帝国主義がアフリカ西部のマリ、ブルキナファソ、ニジェールから人民によって追放された。今度はニューカレドニアの先住民カナックの闘争が反仏・反植民地主義の民族解放闘争を受け継いで進んでいくに違いない。19世紀以来、アフリカ、中東や太平洋地域で拡大したフランスの巨大植民地帝国は、21世紀の今日、現地の反植民地・民族解放闘争によって根底から掘り崩され始めている。


(渉)

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