《チリ反革命クーデター50年(2)》チリ人民と世界人民へのマニフェスト

編集局から

 前回に続いて、チリ反革命軍事クーデターから50年(シリーズその2)を紹介する。チリ共産党は今年9月7日、『ファシスト・クーデターから50年 チリ人民と世界人民へのマニフェスト』を発表した。この文書は、多大な犠牲を払ったチリ共産党の苦難の闘争と革命の歴史、当面の任務の提起でもある。チリ共産党は、チリ人民の闘争史の中で、主導的な役割を果たしてきたし、今も果たしている。
 チリ共産党は、ピノチェット反革命クーデターにより、虐殺と国外追放を含む最も深刻な打撃を受けた政党である。今年8月29日には、ギジェルモ・テイリエ議長が死去した。彼は命の危険を顧みず反独裁闘争を指導し、共産党の軍事部門マニュエル・ロドリゲス愛国戦線を率いた人物であり、1990年代の党再建を指導した。2005年3月、党の歴史的指導者で元副議長のグラディス・マリンが死去した後、議長に就任した。葬儀には労働者・人民が大勢参加した。このマニフェストは、この偉大な指導者の後を継ぐ党の新たな闘いの決意を示すものとなった。
 マニフェストは、「アジェンデの最期の言葉:私は諦めない」で始まり、続いて、チリ革命が世界史的に前例のない、途上国における特殊な社会主義革命であることを確認し、世界革命の中に位置づけ、同時に、1970年の人民連合の勝利を1920年来のチリ人民の闘争史の中で位置づけている。そして、この革命は、一時的に中断しただけで、今、再び新たな道を切り開いていると主張する。
 次に、1973年のピノチェット反革命クーデター前後のチリの階級矛盾と階級闘争を概観する。革命派は、人民連合政府綱領を掲げて闘い、この闘いにおける労働者階級の主導性を特別に強調する。ピノチェト・クーデターは1973年に人民連合が国政選挙で躍進したことに米帝国主義とオリガーキーが危機感を持ったためだと指摘する。米帝とオリガーキーの経済攪乱攻勢、これに対する小ブルジョアジーの動揺が加わった。
 次にクーデター後のピノチェト独裁の下での闘いが描かれる。そして1990年代初頭、再びチリ人民連合の社会主義の道を切り開いたことを述べる。 最後に、チリ人民の当面の課題を提起する。それは左翼の力とその社会主義的目標によって、広範な同盟を構築し、この道を発展させることであり、国民的多数派の生存のために最も緊急の社会的・経済的必要に応えること、リチウム産業を国有化すること、対外的には、米・NATO帝国主義と対決し、多国間主義、地域統合を目指すことである。そしてそれは、「人民連合の道」「サルバドール・アジェンデの道」だと主張する。最期に、「アジェンデは生きている。我々は何度も勝利する」で締め括っている。以下は、文書の全文である。

最期の言葉 ~「私は諦めない!」

 「私は諦めない! これらの出来事に直面して、私は労働者にこう言うしかない。歴史的な転換期に置かれた私は、人民への忠誠のために命を捧げる。そして、何千、何万ものチリ人民の尊厳ある良心に与えた種子は、永久に絶やされることはないと確信している」
 「彼らには武力があり、我々を抑えつけることができるかもしれないが、社会的プロセスは犯罪でも武力でも止めることはできない。歴史は我々のものであり、人民によって作られるのだ」
 「わが祖国の労働者たちよ、私は、正義への大きな憧れのただの表現者、憲法と法を尊重することを誓い実践した人間に、あなたたちが信頼を寄せ常に示してくれた忠誠に感謝したい。この決定的な瞬間、私があなたたちに話すことのできる最期に、外国資本、帝国主義は反動と一体となって、シュナイダー将軍によって教えられアラヤ司令官によって再確認された伝統を破壊する風潮を作り出したという教訓を、あなたたちに生かしてもらいたい」
 「私は、とりわけ、国の慎み深い女性、私たちを信じてくれた農民の女性、より懸命に働いてくれた労働者、子どもたちへの私たちの心配を知っていた母親に敬意を評する」
 「祖国の労働者たちよ、私はチリとその運命を信じている。裏切者らが押しつけようとするこの暗い苦しい瞬間を、他の人々が乗り越えていくだろう。遅かれ早かれ、より良い社会を築くために自由な人々が通る大きな道が再び開かれることを知っておいてください」


『チリ万歳!人民万歳!労働者万歳!』サルバドール・アジェンデ・ゴセンス ラ・モネダ宮殿 1973年9月11日

***

 全世界と世界人民の民主主義的良心を震撼させたクーデターから50年、チリ人民が自主的に選出した人民連合政府の大統領の声とメッセージは、力強く響き渡り、今日、よりいっそう大きな有効性と将来性を獲得している。
 その歴史的、政治的、社会的、倫理的、文化的遺産を葬り去ろうとするあらゆる試みにもかかわらず、その模範と普遍的な刻印は、地球上のあらゆる場所で感じることができる。
 チリ人民のプロジェクトは、世界の歴史において前例のない道であり、それは今日、われわれの大陸アメリカと、アフリカ、アジアの多くの民衆が、コピーや模倣をすることなく、解放と社会正義、民族主権と民主主義を求めて後に続いている。
 この道は、人民連合政府を樹立する数十年前の早い時期に、全国の左翼勢力が「エンパナーダ(具入りのパン)と赤ワインを伴うチリの社会主義への道」と定義したものである。
 それは未完のプロジェクトであり、チリの歴史の中で、クーデターによって一時的に止められただけであった。クーデターは、テロリズムと組織的テロリズムの押しつけ、計画的な失踪の適用、暗殺と処刑、拷問、大規模な狙い撃ちの弾圧、何年も何年も何百万人ものチリ国民に影響を与えた飢え、そして何十年もの間、この国の民主的な状態を特徴づけていたすべての制度と社会的・政治的空間の抹殺であった。


 チリの左翼が推進した人民のプロジェクトは、エピソード的な出来事ではなかった。

 それは本質的に、労働者階級と人民の勢力、闘争及び高まる主導性の蓄積のプロセスとして、1920年代にまでさかのぼる。
 それは、様々な政治的・組織的形態の中に築かれ反映されている。すなわち、全国的な規模の労働組合や労働者団体、社会的連帯センター、政党、スポーツクラブや協会、革新的でアイデンティティに基づく芸術・文化運動、学生・大学センター、選挙権を求めて闘い様々な面ですでに解放的なプロジェクトを立ち上げていた女性組織や団体、隣人組織や地域組織、全世界の人々との緊密な連帯行動、これらの大義の自分たちの人民生活への取り入れ、同じ人民に支えられたメディアの構築、等々において。 
こうして、チリの国家計画が構築された。それは、創造的で、日常的で、多様で、豊かな社会的、政治的、倫理的、芸術的、文化的表現を持ち、芸術、科学、教育、報道、通信、知識、そしてフェミニスト、若者、農民、先住民族、特にマプチェの運動から生まれた多くの主体性の中で、民族的アイデンティティとして形成されたのである。
 1925年の新憲法と、33歳の医師サルバドール・アジェンデが公衆衛生大臣を務めたペドロ・アギーレ・セルダ政権とをもたらした社会的・政治的闘争と反乱において、すでに人民と労働者階級の主導性が高まっていたことが特徴であった。
 生存のための基本的な社会的・市民的権利(当時はまだ国連に認められていなかった)を求める闘い、イデオロギー的・民主的・大衆的闘いの成果である国家の大幅な改革、人類の倫理的義務として想定された貧困の終結の焦点化、民族主権を効果的に勝ち取る道筋、人民によって推し進められた法律の制定は、チリの左翼に正当性を与え、それは数十年にわたる闘争の末、「人民連合プログラム」に結実した綱領的で人民的なプロジェクトに表現された。

 本質的に、この歴史的プロセスは、人民と大衆の鍛錬であった。

 サルバドール・アジェンデが何度も指摘したように、特に国連総会での歴史的な演説や、モネダ宮殿が爆撃される数分前の1973年9月11日の最後の演説のように、法の支配と憲法の枠内で行われたこのプロセスを、オリガーキーとアメリカ帝国主義は決して止めることができなかった。

 何十年もの間、彼らは何度も試みたが、虐殺も、大規模な弾圧も、軍事介入も、このプロセスを止めることはできなかった。

 「戦闘機がチリの大統領官邸を空爆している間、戦車や大砲が破壊と殺戮を繰り返していた。このような中、ラ・モネダのサルバドール・アジェンデは、立憲主義者の大統領として、民主主義、民族主権、社会主義、社会正義、解放をあらゆる面で勝ち取るために、人民の権利を擁護し、ライフルを手に死んでいった」
 この言葉は、1990年代、サルバドール・アジェンデ大統領の遺体をサンタ・イネス墓地から彼の名を冠した現在の記念碑に移す厳粛な式典で、フランス政府代表が発したものである。

 この完全に民主的な解放のプロセスは、その歴史を通じてオリガーキーに取り込まれ、多くの点でアメリカ帝国主義の軍事力に服従してきた軍隊にも影響を与え始めていた。
 陸軍総司令官ルネ・シュナイダーが説き、擁護した民主主義的、立憲主義的な教義は、他の将軍たちや、空軍、海軍、カラビネロス(騎兵隊)、市民警察、国家憲兵隊の上級幹部たちにも共有された。国防・警察機関では、人民主権尊重のプロセスが生まれ始め、それが人民プロジェクトの思想、行動、価値観と相互作用するようになった。チリの幸福を志向する立憲主義的軍隊の教義は力を増し、軍組織の内外に広がっていった。
 ピノチェトの命令で、妻とともにブエノスアイレスで暗殺されたカルロス・プラッツ陸軍総司令官とアルベルト・バチェレ空軍大将は、ともにクーデターの数カ月前にサルバドール・アジェンデが召集した閣僚の一員であり、民主主義の思想と価値観を支持する制服組の事実上の代表者であった。大統領の海軍副官であったアルトゥーロ・アラヤ中佐もそうであったが、彼は極右コマンドによって暗殺された。一方、カラビネロスでは、1973年9月11日、長官をはじめとする実質的に最高司令部の将官団全員が辞職し、その歴史的で劇的な日の演説でアジェンデが「忍び寄る将軍」と呼んだように、セサル・メンドーサがこの機関の任務を引き継ぐことができたのだ。

 サルバドール・アジェンデの国家元首就任に抵抗する軍事的反動を引き起こすために、CIA工作員とチリの右翼過激派で構成された特殊部隊によってルネ・シュナイダー陸軍総司令官が暗殺されたことは、右翼とアメリカ帝国主義の犯罪性と手法を示す事実なのである。この種の行動は、クーデターの直前まで、そしてその後の数カ月間に増加した。
 キリスト教民主主義やカトリック・福音主義世界の政治的に重要な部門が、キリスト教ヒューマニズム、協同組合的経済システム、社会共同体ビジョン、農地改革などの深遠な構造改革を基礎とする政治的プログラムへの理解を提案したとき、左翼の人民プロジェクトに関するこれらの力関係を前進させる提携は、歴史的な機会を得た。
 しかし、キリスト教民主党(DC)内には、この提案を断固として拒否する別の部門もあった。人民連合を結成した左翼も、このような提携の可能性を成功に導くことはできなかった。
 この出来事は、DCの指導者であり大統領候補であったラドミロ・トミッチが、「人民の団結」を呼びかけた矢先のことであった。

 人民連合政府の綱領は、子どもの栄養、健康、教育、住宅、文化、給与、雇用の安定と雇用創出の分野で、国民多数翼に直接有利な措置を直ちにもたらした。銅の国有化や経済3分野の国有化など、経済を革命的に変える措置がとられた。地域統合政策が展開され、それは多国間市場を開放するアンデス協定に表れ、特にベトナム、キューバ、アフリカ諸国、中東、東南アジアなど、主権を求めて闘う諸国民との連帯政策が生み出され、自決と主権の原則が強化された。チリは、数百万人の参加を得て、芸術と文化の分野で深遠な革命を遂げつつあった。
 人民のプロジェクト、その政府、そのプログラムを擁護することは、民主主義的に絶対必要なことだった。中央労働組合を構成する労働者階級の大部分、人民連合政府以前の産業部門を構成しチリ経済の激しい工業化の一翼を担っていた何千、何万の労働者は、この必要性を大なり小なり認識していた。近隣や地域、農民センター、入植地や協同組合、医療、建設、住宅、鉱業、教育、芸術、文化などの幅広い労働者を含む大規模なチリの公共部門においても、プロセスや政府プログラムを擁護し、アジェンデ大統領を支持するという明確な意識があった。
 このクーデター後数カ月以内に行われた最後の公式選挙と国政選挙で、人民連合は全国得票を大きく伸ばした。
 過去においても現在においても、歴史は、構造的かつ深遠な変革のいかなるプロセスも、必ずや、組織的かつ主体的な方法で、人民の良心と主体性をもって擁護される必要があることを示している。すなわち、今日および将来にこの歴史的目標を達成するための主要な障害であるオリガーキーと米帝国主義を打ち負かすために必要な、人民の団結と力関係とを表現する最も広範な同盟によって

 この文脈では、あらゆる側面において、国民的・人民的プロジェクトを民主的に擁護することが必要である。

 クーデター後、チリの人々は、あらゆる面で受けた蛮行から、組織化し、表現し、抵抗していった。何年にもわたるドラマ、英雄主義と集団的犠牲、再び野蛮な専制政治と闘うことを決意した人民の叙事詩を損なうことのない無名の人々。 そして抵抗は、近隣、地域、学生センター、産業界、拘留された人々、失踪した人々の親族グループ、処刑された人々の親族グループ、人権と生命を守る運動、炊き出し、多くの小教区や教会での共同活動などで高まり、あらゆる多様性を持つ人々の団結の中で前進する必要性を改めて示した。
 労働者の抵抗は、壊滅に最もさらされた社会部門であるにもかかわらず、再び明確にされ、すでに1970年代の終わりには、生存と労働の権利を求めて最初のストライキが始まった。

 生きる権利、生きることは、民衆の高まる叫びとして国中に現れたスローガンであった。

 共産党は、この政治的・社会的団結を、地下から、日々受けていた迫害から、そして蔓延する国家的テロリズムに直面しながら推し進め、野蛮主義を打ち破り民主的移行への道を開くために人民が採用し推し進めた、人民大衆の反乱とあらゆる闘争形態を推し進めることを決定した。

 チリの歴史において他の時代に起こったように、移行と変革への道を開いたのは、他でもないチリ人民のこの道であった。

 そして、1990年代初頭、「歴史の終わり」として自らに押しつけようとした体制の正当性を疑問視する、労働者と民衆の大規模な抗議行動もまた、爆発的なものであった。大多数を排除し、深い社会的・経済的亀裂を残した過渡的協定は、チリの何百万もの家族を今日も苦しめている。
 この困難な道のりで、チリ人民は常に世界の人々から寛大で具体的な連帯を受けてきた。クーデターから50年、われわれはこの連帯を心から認識し、深く感謝し、前進することを誓う。
 チリにおける当面の最も重要な課題は、人民の利益のための構造改革の必要性を維持することである。左翼の力とその社会主義的目標によって、最も広範な同盟を構築し、この道がさらに発展するようにすることである。
 国民的多数翼の主体性によって、反動勢力がガブリエル・ボリッチ大統領の政権を妨害し、失敗させるのを阻止する。なぜなら、彼らの目的は保守的な復権であり、未来に対して途方もなく後退したサイクルを押し付けようとしているからだ。今日われわれは、否定主義的、ファシスト的、挑発的、暴力的な行動、軍隊への呼びかけ、拷問やレイプ、女性の殺害といった反吐が出るような非人道的行為の存在を無視し否定するという不道徳な行動や声明にそれを見ることができる。
 今日のわれわれの第一の任務は、国民的多数翼の生存のために最も緊急な社会的・経済的ニーズに応えることである。保健、教育、住宅、賃金、安全保障、年金、ディーセント・ワークにおいてである。改革を推し進め、リチウムの国有化を達成すること。これは歴史的な規模で見れば、銅の国有化と同じくらい重要なことである。新しい政治憲法の制定に向けた闘いを維持し、あらゆる面で国民に対して保守的・反動的な後退を押し付けようとする右翼の攻勢を打ち負かすこと。
 今日力強く多国間主義に向かい、アメリカ帝国主義とそのNATOパートナーの覇権に挑戦し、われわれの大陸の諸国民の統合、パトリア・グランデ(偉大なる祖国)に向かって決定的に前進しているダイナミックなプロセスに、チリを完全に参加させること。
 われわれは、右翼の攻勢を打ち破るこの道において、人民運動の道、人民連合の道、サルバドール・アジェンデの道、何十年も公正で主権あるチリのために闘った何百万、何千万もの人民の道を、野蛮な資本主義、帝国主義の支配、犯罪的戦争、軍事介入を克服しようと奮闘している世界中の人民と連帯して歩み続ける。

アジェンデは生きている 我々は何度も勝利する チリ共産党

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