マドゥーロ:歴史的な大逆転勝利の10年

【第1部】米帝主導の「カラー革命」に劇的勝利
反米・反帝の社会主義指向ボリバル革命断固支持

「食料不足」策動=議会クーデターを撃破

 米帝と反革命勢力は、2014年末からの石油価格急落をチャンスと捉えた。国家財政を石油収入に依存するベネズエラを崩壊させることができると考えたのだ。
 米政府と反革命オリガーキーが勝負に出る。一方で、食料輸入を独占するオリガーキーが人為的な「食料不足」を作り出し、他方で、15年3月にオバマ政権がベネズエラを「重大な脅威」とする政令を出す。欧米メディアもベネズエラ国内メディアも、ベネズエラを「独裁国家」「破綻国家」と叩き、「グアリンバ」と呼ばれる暴力的な反政府活動を煽動する。かなりの中間層が反マドゥーロに感染していく。これら反革命の嵐の中、15年末の国民議会選挙で野党・反革命勢力が圧勝する。米帝が世界中で繰り広げてきた「カラー革命」が最初の勝利を得る。以後、議会が反革命の拠点となった。
 マドゥーロ政権も黙っていない。反撃を開始する。17年7月に最高権力機関としての憲法制定議会を招集することで、反革命勢力が牛耳る国民議会を押さえ込み、極右勢力を孤立させる態勢を整えた。その後の選挙(大統領選や地方選)はすべて勝利し、20年末の議会選挙で国民議会も取り返した。見事な社会主義指向権力の防衛である。

軍民一体で米帝の直接介入に勝利

 革命か反革命かの階級的激突の山場は19年1月だ。反革命派が牛耳る議会がマドゥーロ大統領の「職務放棄」をでっち上げて解任を議決し、トランプ大統領がグアイドを「暫定大統領に指名」したのだ。米国大統領がベネズエラの傀儡大統領を直接任命するという、まるで植民地統治時代のようだ。非合法の正真正銘のクーデターである。欧米のメディアもこれを大歓迎した。米帝が直接介入に打って出たのだ。
 18年8月には、米諜報機関が関与する無人機によるマドゥーロ暗殺未遂があった。19年4月には、古典的な軍事クーデターの試み「自由作戦」が強行される。だが、グアイドの呼びかけに誰も応じず失敗した。このときは、ベネズエラの諜報機関がクーデター勢力の中に潜入し、攪乱し失敗させたことが後に明らかにされた。トランプ政権のベネズエラ特別代表エリオット・エイブラムスが、ベネズエラ当局にだまされたことを認めている。
 19年9月には、米国からの「人道支援物資」を積んだトラックを、コロン

ビア国境の橋からベネズエラに入国させようとした。それを通じてベネズエラ国軍に分裂を引き起こそうとしたのだ。だが、これも失敗した。当時トランプは「すべての選択肢がテーブルの上にある」として、米軍による軍事介入も示唆していた。そのころグアイドが米軍による侵攻を依頼し、軍事介入する計画があったことを、元国防総省長官マーク・エスパー、元国務省長官マイク・ポンペオ、元国家安全保障顧問ボルトンらが後に明言している。20年5月には、元ベネズエラ兵や元米兵、コロンビアの準軍組織兵などからなる反革命軍がコロンビアから船で送り込まれたが、現地住民と国軍とボリバル民兵の機敏な連携で阻止した。等々。
 米帝によるこれら一連の反革命介入を、ベネズエラ国軍とボリバル民兵、人民の大衆動員の結束した防衛体制がことごとく撃退し、米軍に付け入る隙を与えなかった。さらにマドゥーロは、チャベスの腹心として革命防衛の知識と経験を積み、軍や警察との人脈も受け継ぎ、情報諜報活動にも優れた能力を発揮したのだ。

マドゥーロ政権の外交的復活 BRICSに加盟へ

 加えてマドゥーロ政権は外交面でも逆転勝利を闘い取った。ベネズエラは、再び南米統合の主役に躍り出ると同時に、新興諸国、社会主義中国との結合を加速し始めた。5月末にルーラが南米12ヵ国に呼びかけたUNASUR(南米諸国連合)の復活・再生サミットで、マドゥーロはBRICSへの加盟を申請した。それをルーラが歓迎しただけでなく、中国とロシアも即刻、支持を表明した。
 マドゥーロ政権の外交攻勢の中で、米帝主導のグアイド「暫定政府」は崩壊した。この傀儡を承認する国は、19年の約60ヵ国から3年後の22年にはわずか4ヵ国になった。グアイドは、今やベネズエラから刑事訴追され、ラ米カリブからも追放される放浪の身だ。安住の地は米国だけとなっている。
 21年には、「イベロ・アメリカ首脳会議」や「ラ米カリブ諸国共同体(CELAC)」の首脳会議で、マドゥーロ政権がベネズエラ代表として復権した。ALBA諸国、中国、ロシア、イランなど、戦略的同盟国との関係をいっそう緊密化させ、周辺諸国との関係修復も次々と実現してきている。20~22年に、メキシコ、ホンジュラス、ペルー、アルゼンチン、コロンビア、ウルグアイから全権大使がカラカスに戻った。そして今年に入ってブラジルがそれに加わった。
 22年6月にロサンゼルスで開催された「米州首脳会議」に、バイデン政権はベネズエラを招待せず孤立させようとしたが、逆にメキシコを中心に多くの国から批判を浴びた。他方、ベネズエラ政府は、ユーラシア地域ツアーを企画し、トルコ、アルジェリア、イラン、クウェート、カタール、アゼルバイジャンを歴訪して関係を強化した。
 マドゥーロ大統領は、特に中国との戦略的協力関係を重視している。この3月には、中国共産党が北京で開催した世界政党会合で、マドゥーロは「帝国の時代は終わった」「人民の時代が到来した」「新しい多極化した世界を構築する時が来た」と述べ、習近平国家主席と完全に意見が一致した。また5月半ばには、中国共産党のハイレベル代表団がカラカスを訪問し、社会主義統一党(PSUV)および政府の首脳と会談し、協力関係の拡大を誓い合った。またこの間、中国は、米国に取って代わってベネズエラの主要な貿易相手国となっており、決済をドルから人民元とボリバルへ移行させることが検討されている。

残忍な米制裁・封鎖継続に打ち勝つ

 ベネズエラ人民を苦しめているのは米帝国主義の制裁と経済封鎖である。15年のオバマの政令を基礎に次々と制裁が積み上げられていった。それは17年にトランプによって強化され、19年8月には完全な封鎖となった。ベネズエラ政府要人はことごとく制裁対象となった。マドゥーロ大統領には「麻薬密売人」「テロ資金提供者」のでっち上げレッテルが貼られ、国際的「犯罪者」として1500万ドルの賞金が付けられた。
 制裁は900以上に達し、それによって失われた収入は約2320億ドル、財産的損害は約6420億ドルと、ベネズエラ政府は見積もっている。21年の名目GDPは465億ドルだから、何とその5倍、14倍もの損害を受けても、なお抵抗し続けているのである。
 全面的な封鎖によって石油輸出がほ

とんどできなくなった。14年ごろは輸出収入の90%以上が石油で、年間560億ドルぐらいあった。その収入の大半が失われ、20年の石油収入は7億ドルにまで落ち込んだ。22年には少し回復して48億ドルになったが、ピーク時の1割にも満たないレベルである。

米帝によるベネズエラ財産の略奪

 他国の財産を平気で強奪するのは米英帝国主義の常套手段だ。ベネズエラの傀儡グアイドの所有物として、PDVSA(国営石油会社)の米国子会社CITGOやイングランド銀行に保管されている金塊、米国の銀行口座に保管されている預金、取り押さえられている航空機など、約400億ドルものベネズエラ政府・人民の財産が略奪された。米国に4000以上のガソリンスタンド・ネットワークを持つCITGOは昨年28億ドルの利益を計上し、その評価額は130億ドルとも言われているが、何と、米国財務省は今年5月に勝手にCITGOのオークションを許可する決定を下した。
 今年4月、コロンビア政府主導でベネズエラへの制裁に反対するサミットが開かれ、ラ米カリブの左派勢力による制裁・封鎖反対の取組みが始まった。

為替投機とハイパーインフレで政権転覆を狙うが失敗

 米政府と米欧金融資本は、オリガーキーと組んで「食料不足」を人為的に作り出すと同時に、巨額の為替投機で通貨ボリバルを大暴落させた。17年からハイパーインフレが急伸し、18年末には何と前年比13万%にもなり、20年にはまだ2000%を超していた。食料や必要物資の80~85%を輸入に頼るベネズエラでの自国通貨暴落は、輸入価格を急騰させ、食料輸入経済をマヒさせた。石油収入の激減と財政破綻は人民福祉政策の原資を枯渇させた。飢餓が蔓延し、そのための死者は民間機関の推計で数十万人、国連報告でも数万人に達したとされた。国外に脱出した人も多く、人口が18年の3260万人から19年には2850万人にまで縮小した。
 米帝=オリガーキーの「カラー革命」は成功するかに思われた。しかし、20年12月からインフレは終息し始めた。若干の波はあるが、直近では、今年1月は42・1%、2月は19・3%、3月は6・1%、4月は3・8%まで沈静化した。
 これほど大規模かつ容赦ない米帝の反革命介入があれば、普通は叩き潰されてもおかしくはない。だが、マドゥーロと人民は逆境を社会変革の糧として、敵の攻撃をはね返したのだ。

 政治的な大逆転勝利の背後には、経済的な逆転大勝利があった。第2部では、その秘密を解き明かす。

【第2部】米従属石油依存国家から食料主権国家へ 経済回復の原動力は農業復興・食料自給

 20~21年に、どん底にあったベネズエラ経済が、われわれの想像を超える形で奇跡的な復活を遂げる。米帝と反革命によって崩壊させられた経済を復活させた原動力は何か? なぜ、異常なハイパーインフレが魔法のように終息し、「食料不足」が解消したのか? 命綱の石油生産・輸出は、制裁によって基本はまだストップされたままだ。諸要因はあるにしても、何が主因なのか?――ベネズエラ連帯に取り組む者にとって、この謎を解明することは極めて重要だ。以下、われわれが見過ごしてきたボリバル革命の本質とベネズエラ人民の革命的偉業の一端に触れようと思う。

ボリバル革命の弱点 石油依存=食料輸入経済

ボリバル革命の最大の弱点は、国家財政の7割を占める石油依存経済と、人民の命と生活を左右する食料の8割以上を輸入に頼っていたことにある。

ベネズエラ経済は、石油収入と食料輸入の両方を米帝国主義と米系金融資本が握る異常な対米従属構造にあった。そして、反革命はその弱点に攻撃を集中した。どういうことか?
 ベネズエラでは、1930年代以降に石油生産が本格化し、石油輸出を軸とする石油依存経済になるまでは、農産物を輸出する農業国であった。ベネズエラの石油産業を牛耳ったのは、現在も有力な石油メジャーであるスタンダードオイルを保有するロックフェラー財閥、ロスチャイルドと列ぶ米金融資本であった。エクソン・モービルも同社を源流とする。同時にロックフェラーは、ベネズエラに食料輸入依存経済を植え付け、同時にペプシコの子会社「ポラール」というスーパーマーケット・チェーンを設立して食料輸入・流通も支配した。ロックフェラーは米政府と結託し、有力メディアをも牛耳る。「ポラール」は、「食品を棚に並べる能力と同じくらい、棚に並べない能力も持つ」。彼らが、ロックフェラーの略奪天国ベネズエラを奪還するために、石油を止め、人為的な「食料不足」を画策したのである。

GDPがプラスへ 奇跡的・劇的な経済回復

 21年後半からGDPがプラスに転じ、経済が崩壊から回復に転換した。21年は7・6%のプラス、22年は15~17%のプラスだ。石油収入はまだピーク時の10分の1程度までしか回復していない。だから、回復させたのは石油部門ではない。では、何が回復の原動力となったのか?
――経済回復をリードしたのは、特に農業と農業関連工業の劇的な復興、食料大増産だ。22年のGDP増加15~17%のうち10%以上をこの部門が占める。80%以上輸入に依存していた食料の自給率は、90~95%にまで上昇した。ハイパーインフレも沈静化した。人為的「食料不足」がハイパーインフレの最大の要因だったが故に、食料大増産がインフレを終息させたのだ。
――生活必需品を生産する軽工業の復活も大きく寄与した。
――マドゥーロ政権の経済戦略家たちは、それ以外に、矢継ぎ早に対策を打ち出した。ベネズエラの経済破綻の元凶である経済封鎖に対抗するために、20年10月に「反封鎖法」を制定した。それは、米帝に迎合する西側諸国ではなく、反米諸国の外国資本を迎え入れ、国内民族ブルジョアジーと協力して、生産的投資と経済の活性化を促進しようとするもので、公的管理運営の下でベネズエラに投資する企業を米制裁から保護するものである。さらに21年4月には、「経済特区法」を制定し、経済特区が5カ所つくられた。
――制裁で石油収入を断たれた石油部門の復興にも着手している。ベネズエラの石油設備は米系石油メジャーのもので、制裁は設備更新や修理・メンテナンスを直撃した。そこで、ロシアやイランの技術・設備への転換を図りつつある。

経済回復の原動力=食料自給の劇的な回復

 経済回復の主原因である農業復興と食料自給について、もう少し詳しく見てみよう。
 農地改革は遅々として進まず、農業労働者と小農への土地の再分配と農業復興に失敗した――これが、チャベスとボリバル革命に関心を持つようになってからチャベス死去の13年頃までの、われわれのベネズエラ農業についての認識であった。しかし今回、経済復興過程を分析する中で、その認識は一変した。すでにチャベス時代から、社会主義指向ボリバル革命の経済戦略の柱が「石油依存国家」(レンティア国家)を大胆に多角化すること、石油依存の植民地的モノカルチャー経済からの脱却と農業復興と食料自給経済の構築だったことを知ったのである。チャベスは当初からこの天才的な食料主権戦略を構想していた。革命を進めれば必ず米帝が石油と食料を止めることを確信していたのだ。そしてマドゥーロは、この脱植民地化戦略を受け継ぐだけではなく、見事に実現し、社会主義指向のボリバル革命の経済的土台を再構築したのである。
 マドゥーロ大統領は、今年はじめの年次メッセージの中で、達成した変革の成果を誇示した。さまざまな食品や生活必需品の22年における生産量増加(対前年比)を示すことで、経済回復と食料自給の状況、信用活動の活性化と徴税額の増加を具体的な数値で示したのである。
 農業・農業関連: 食用油13・9%増、米30・9%増、マグロ缶詰77・8%増、コーヒー18%増、牛肉38・4%増、ソーセージ6・4%増、小麦粉4・0%増、ミルク25・8%増、パスタ15・5%増、若鶏22・1%増、見切り品缶詰14・8%増。
 生活必需品: 未使用紙169%増、段ボール109%増、タイヤ89%増、履物23%増、潤滑油50%増、蓄電池12%増、諸種の容器・包装紙など5%増、等々。
 これら農業復興は、農業関連工業や軽工業も復活させ、農業と工業の国内経済循環も、ベネズエラ経済全体をも復活させ始めた。
 まさにちょうど100年前に、レーニンが、ロシア革命後の帝国主義と反革命との内戦で荒廃したロシア経済を復興させるために採用した「新経済政策」(ネップ)の発想だ。当時も、これを「資本主義の復活だ」「革命への裏切りだ」と極左派が反対したが、現在のベネズエラでも同様の極左派がマドゥーロ政権に反逆している。
 22年1~11月の銀行預金(貯蓄)の増加は、23億5900万ドルから32億8800万ドルへ、約40%増。同時期の信用活動の活性化は、1億6300万ドルから7億2400万ドルへ、約4・5倍。徴税額の増加は、20年15億7100万ドルから21年24億800万ドル、22年47億4400万ドルへ、20年から約3倍、21年から約2倍へ。

労働者・人民の生活改善へ

 経済回復と企業活動の活発化、政府税収増加は、労働者・人民の生活向上を後押しし始めた。マドゥーロ大統領は、5月はじめに現役労働者と退職者、年金受給者の包括的最低所得を引き上げる政令を発表した。まずは月額70ドル相当の追加手当支給(月額30ドル相当の「戦時ボーナス」と40ドル相当の「食料ボーナス」)が決定された。今回発表された額は年間約70億ドルと見積もられている。政府の石油収入は全体としてまだ低い水準のままだが、昨年は47億5800万ドルの増収があった。徴税額は、前年より47億4400万ドル増加した。政府はこの2つの主要な収入源から約95億ドルの収入を得た。その中から70億ドルを追加手当支給に回したのである。経済回復と政府収入の改善に従って給与水準も回復していく過程に入った。政府は、所得を通貨切り下げやインフレによる悪化から守るためボリバルで支払われる金銭給付をドルに固定することも発表した。

汚職・腐敗との闘い 反革命の根を根絶へ

 社会主義指向革命を前進させるには、マドゥーロ政権と社会主義統一党(PSUV)への人民の信頼が不可欠だ。同時に、絶えず反革命に寝返りかねないブルジョアジーの乱脈の根を断つ必要がある。それが腐敗との闘争である。
 米帝とオリガーキーは、PDVSA(ベネズエラ国営石油会社)を中心に汚職ネットワークをつくり、汚職と腐敗を蔓延させ、石油生産の妨害を画策してきた。その摘発が始まった。今年3月下旬以降、PDVSAと政府石油省の高官を中心に汚職の逮捕者が続出している。石油部門の再編成を託されていたエル・マイサミ石油相は、昨年9月に前石油相ラファエル・ラミレスの汚職疑惑を公表し調査を進めてきた。反汚職警察が組織され、検察局と共に10月から本格的な捜査が開始されていたのである。公務員やビジネス関係者が資金洗浄に多く関わり、公的財産の流用が行われていた。
 汚職・腐敗との闘いの目標はこの汚職ネットワークの完全解体だ。現在までに少なくとも30億ドル相当の資産が押収され、この資金がすべて社会福祉プログラムに投入されている。議会は、汚職によって得た資産をベネズエラ当局が没収し、社会プログラム、インフラ、公共サービスの財源に充てる「資産没収法」を全会一致で承認した。
 汚職・腐敗は、ボリバル革命の中でも根絶されず、PSUVの腐敗をも蔓延させて、官僚主義と非効率な組織を維持し増幅してきた。今ついにその根絶へ向けて、マドゥーロ政権と組織された労働者・人民の運動として取り組まれ始めている。それは、PSUVの刷新と旧国家機構の革命的変革として、社会主義へ向けた運動の重要な一環として位置づけられている。

チャベス革命の当初からの戦略目標=食料主権の確立

 米帝によるラ米カリブの新植民地主義支配の柱の一つは、現地の農業を崩壊させ、モンサントなどのアグリビジネスやグローバル金融資本が遺伝子組み換えの種子や農産物を高値で購入させることであった。石油依存経済の下で農業が放棄されていき、人口の90%以上が都市で暮らすようになっていたベネズエラで、農業改革と食料主権の実現は容易なことではなかった。チャベス政権が成立する直前の1997年の時点で、土地所有者(地主)の5%が土地の75%を所有していた。

この対米従属経済から脱却するために食料主権と農業復興を確立することがボリバル革命当初からの戦略目標であった。1999年のチャベスの新憲法には食料と農業の重要性が明記されている。「総合的な農村開発」「戦略的基盤としての持続可能な農業の推進」によって、「国家は、すべての国民に安全な食料供給を保障しなければならない」と規定している。2001年に「土地法」が制定され、「食料主権」の旗印の下で農地改革、土地再分配、農村開発プログラムが取り組まれた。
 チャベスの革命の貧困対策は、長い間、石油収入を原資とする食料輸入に大きく依存せざるをえなかった。だがそれは、輸入独占資本「ポラール」の強化をも意味していた。多大な石油収入がある下で、石油輸出収入で食料を輸入するという従属構造を転換することはなかなかできなかった。しかし、米国の制裁による石油収入の途絶がマドゥーロ政権に経済構造の変革を迫った。そしてマドゥーロはそれを見事にやってのけた。

遺伝子組み換えを禁ずる「種子法」

 食料主権復活の闘いは、15年12月の遺伝子組み換え種子を禁止する「種子法」の制定の闘いから本格化する。04年にチャベスが遺伝子組み換え作物の臨時禁止令を出して以来の、生態系と伝統文化を尊重した農法、在来種および伝統的な作物と食生活を取り戻す闘いの継続であった。チャベス最後の大統領選での最重要の公約は「エコ社会主義」であった。13年に与党議員が提案し、農民運動や環境保護運動の人々を含めた1年にわたる大衆討議を経て修正され、書き直された。さらに議会で1年かけて審議されて成立した。途上国に対する帝国主義の農業支配をはね返す世界史的成果である。
「種子法」は、環境保護的農業・社会主義的農業への移行をめざしている。農民が運営する種子システムの保護と拡大、それへの政府の支援が盛り込まれている。種子の民営化も禁止されている。国家レベルで種子生産を促進し、食料の自給自足の確立を目指しているのである。だが、制定された法を実際に機能させるための闘いが必要で、それは逆境の中で全人民的な運動によって行われていった。

「人民から人民へ」運動 食料の自給自足へ

 農業復興と食料自給は、反米・反帝の植民地主義からの解放運動として展開された。米制裁・封鎖による財政破綻に立ち向かったのは、政府と人民が一体で取り組んだ数々の人民組織とコミューンである。スローガンは「人民から人民へ(プエブロ・ア・プエブロ)」だ。これら全てが農業復興と食料自給の原動力となった。
――飢餓や貧困に苦しむ人々に必需品を提供するCLAP(供給・生産の地域委員会)が組織された。それは、短期的には基本食料を直接人々に届け、作られた「食料不足」と闘い、また地元での食料生産と食料加工にも取り組んだ。それに政府が補助金を出して支援し全国化した。
――また、コミューンを中心に、地方の生産者と都市住民とを直接つなげる「人民から人民へ」運動が発展した。それは、生産、流通、消費を一体化させる運動として取り組まれ、女性が主導的な役割を果たした。
――「全国生産同盟」が17年から存在している。それは19年8月時点で、農村のコミューンも含めて700万人の中小生産者を組織している。民間企業と国との間で「生産的対話のための全国円卓会議」も行われるようになった。当初、物資の多くを輸入に頼らざるをえなかったが、すべての物資の国産化を目指した。生産、流通、消費の一体化が追求された。「食料は商品ではなく人権である」というのが食料主権の基本命題であり、社会主義指向経済への移行を目指して取り組まれている。
―― ベネズエラも都市農業を大きく発展させた。それは、まず都市のコミューンで取り組まれ、政府がこれを支援する形で大きく発展していった。これは、米帝の経済封鎖下でのキューバの闘いから学んだ。
――16年に「祖国カード」が創設された。これは官僚主義の障害と非効率を解消していくツールである。このカードで政府と国民が直接つながる形になった。また、組織化された人民に直接権限を与えることを多用し、政府と住民組織が協力した。特に、コミューナル・カウンシルとコミューン、コミューン評議会が中心的な役割を果たした。

 マドゥーロ政権は、われわれが想像もしなかった戦略と方法を、人民大衆の下からの創造性を大胆に取り入れる形で実現し、石油依存から脱却して食料自給国をめざす闘いで勝利的前進を勝ち取りつつある。さらには、ベネズエラを食料輸出大国へ発展させ、同じ食料輸入経済に苦しむラ米カリブの途上国が米帝国主義の新植民地主義支配から脱却する手助けをしようと構想している。

マドゥーロ万歳!
反米・反帝の社会主義指向ボリバル革命万歳!
ベネズエラの革命的人民との連帯を強めよう!

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