昨年11月7日の総選挙で再選されたオルテガ大統領が1月10日に就任した。与党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が90議席中75議席を獲得した新議会も同時に発足した。この人民政権を叩き潰すために、米バイデン政権とEUは新たな制裁強化を打ち出した。だが、こうした帝国主義の妨害をはねのけてニカラグア経済は、食糧自給をほぼ達成した上に農産物輸出の拡大を軸に順調に発展。特に中国との政治的経済的関係を拡大・発展している。しかし、われわれが驚嘆するのは、この貧しい社会主義指向の途上国が、帝国主義から内政干渉と制裁の懲罰をはねのけながら、実際に女性解放を実現しつつあることである。
以下は、ニカラグア連帯活動の活動家スタンスフィールド・スミス氏が「シカゴグローバル連帯」のブログに掲載した報告の全訳である。筆者は最後にレーニンの言葉でこう締めくくっている。「すべての解放運動の経験が示してきたことは、革命の成功は女性がどれだけ参加するかによって決まるということ」である。
(小津)
女性、特に第三世界の女性は、彼女たちにのしかかっている貧困と伝統的な性の役割に縛られているため、地域組織や政治生活に参加する能力が限られていることがよくある。家庭を維持し、食事を作り、食器や衣服を洗い、子どもをお風呂に入れ、家を掃除し、衣服を補修する責任が女性にのしかかっている。家庭に電気がなく(つまり照明も冷蔵庫も省力化できる電気機器もなく)水道もない下では、このような労働は延々と続く肉体労働となる。この労働の負担は、女性の社会参加や自己実現の期待や教育の妨げになる。
第三世界の女性は(そしてますます帝国主義的第一世界の女性も)、家庭や公共の場での暴力の問題に直面し、また、家族のための食料と水の問題、適切な住居の問題、家族のための健康管理の欠如、自分たちが教育を受ける機会がないこと、したがって仕事の機会がないこと、などに直面している。
ニカラグアでは、1979年のサンディニスタ革命以前には、男性は、一般的に子どもに対する義務をほとんど果たさず、しばしば家庭を放棄し、その世話を女性に押しつけていた。男性が女性に加える虐待を耳にすることも、女性が隣人に助けを求めるのを目にすることも、珍しいことではなかった。母体死亡率が高かったため、母親が出産時に死亡して孤児となった子どもたちに出会うことも珍しくなかった。病院は少なく、あっても現金払いを要求されたため、よくある一般的な病気は悪化した。
1979年のサンディニスタの勝利の後、女性の生活諸条件は劇的に改善され、新自由主義の支配の時代(1990~2006年)も、それを完全に覆すことはできなかった。第2次サンディニスタ時代(2007年~今日)を通して、女性の物質的・社会的地位は再び大きく前進した。
最も大きな前進を遂げたのは、農村やバリオ(都市の貧困地区)の貧しい女性たちであった。歴史的に、安全も、電気も、水と衛生サービスも、保健医療も、舗装された道路もなかった人々である。サンディニスタ時代に女性が達成した解放は、同一労働同一賃金、中絶の権利、余裕を持って利用できる価格の保育の権利、性的差別からの解放などだが、それらは北米で私たちが利用しているものによっては測ることができないほどのものであった。第三世界における女性解放は、表面的には女性の権利の問題としては現れないような事柄を含んでいる。それには、道路の舗装、住宅の改善、土地所有権の合法化、学プログラム、新しい診療所や病院、電化、配管工事、識字キャンペーン、飲料水、カンペシーノ(貧農)への援助プログラム、犯罪減少プログラムなどが含まれる。
ニカラグアの家族の半分はシングルマザーによるものであるため、このようなインフラ整備は、女性の解放と福利を大きく促進するのである。直接的、間接的に骨折り仕事の家事労働時間を短縮する政府のプログラムは、女性を解放し、地域生活に参加させ、彼女たちの自信を向上させ、リーダーシップを発揮させる。女性の完全かつ平等な参加を実現すること以上に、国が成し遂げることのできる民主主義的成果はないだろう。
FSLNの「飢餓ゼロ」「高利貸しゼロ」計画で女性の解放を後押し
2007年に開始されたこれらのプログラムは、女性の社会経済的地位を高めるものである。「飢餓ゼロ」計画は、農村部の女性に、豚、妊娠中の牛、鶏、植物、種子、肥料、建築資材を提供し、生産の多様化、家族の食生活の向上、女性が運営する家庭経済の強化を図るものである。提供された農業資産は女性の名義になり、女性がよりいっそう自立した生産者となって、子どもたちの食料をより直接的に管理し、安全を確保することができる。これにより女性は、男性への歴史的な依存を断ち切り、自信を持つことができるようになる。このプログラムは、ニカラグアの総人口660万人のうち、27万5000の貧困家庭100万人以上を支援し、自分たちの食糧安全保障と国の食糧主権を向上させた。
ニカラグアは、現在、食料の90%近くを自給しており、そのほとんどは中小農家によるもので、その多くが女性である。「ニカラグア農村労働者協会(ATC)」のファウスト・トーレスは、「食料の自給自足ができない国は自由ではない」と正しく指摘している。
「高利貸しゼロ」プログラムは、年利0・5%のマイクロ・クレジットの仕組みであり、その世界平均である35%ではなく、超低利である。44万5000人以上の女性がこの低利融資を受け、通常1人が3件の融資を受けている。このプログラムは、女性に力を与えるだけでなく、貧困を減らし、才能ある人材を発掘し、多様で持続可能な成長を推進する主要な要素である。融資を受けている多くの女性は、事業を協同組合に転換し、他の女性たちに仕事を提供している。2007年以降、約5900の協同組合が設立され、そのうち300が女性協同組合となっている。
貧困率は2007年の48%から25%に、極貧は17・5%から7%に減少した。これは、シングル・マザー世帯がより多く貧困に苦しんでいるので、特に女性に恩恵があった。貧困家庭の女性は他の女性よりも暴力や虐待のリスクが高いことから、「飢餓ゼロ」「高利貸しゼロ」プログラムは、従来からの家庭内暴力を減少させた。
女性に財産の所有権を与えることは女性解放に向けた一歩
ニカラグアの人々の多くは小規模農業や小規模ビジネスで生活しているため、法的な所有権を持つことは大きな関心事である。2007~21年の間に、FSLN政府は地方と都市で45万1250の土地所有権を与えたが、その恩恵を受けた55%が女性だった。女性に自分の土地の法的所有権を与えることは、女性の経済的自立に向けた大きな一歩となった。
インフラ整備が女性の自由を拡大
サンディニスタ政府は、2007年以降、29万戸の住宅の建設や改修に資金を提供した。極貧の人々には無償で、または無利子の長期ローンで提供した。これは100万人以上のニカラグア人を支援した。特にニカラグアの家庭全体の半分を占めるシングル・マザーを支援するものだった。
2006年には都市部の人口の65%しか飲料水を持てなかったが、現在では92%が持っている。農村部での飲料水へのアクセスは、28%から55%へと倍増している。このため、女性は、村の井戸まで歩いて行ってバケツで水を運び、それで毎食の料理を作り、食器や衣類の洗濯をし、子どもの入浴に使うという、毎日の面倒な作業から解放された。下水処理設備に接続されている家庭は、2007年の30%から2021年には57%に増加した。
2006年には54%だった電気は、今では99%の人が持っている。停電を経験するとわかるように、電気は私たちの生活を時間のかかる作業から大きく解放してくれる。街灯は2倍以上に増え、安全性も向上している。家庭の電気が安定していれば、冷蔵庫などの労働省力化電気機器を使うことができる。
今では、高速インターネットが国土の大部分を結び統合し、人々の孤独や情報へのアクセスの欠如を減らしている。携帯電話はほぼすべての人が持っており、多くの公園で無料のインターネットが利用できるようになっている。
ニカラグアの道路網は、今ではラ米カリブ諸国で最良である。過去15年間に、それまでの200年間に建設された道路を上回る数の道路が建設された。遠く離れた辺鄙な町も、今では全国ネットワークに接続されている。地方に住む女性たちも、仕事のために他の場所へ移動したり、近くの市場で商品を売ったり、他の町で行われるイベントに参加したり、自分や子どもを連れて病院に行ったりすることができるようになった。これは、貧困との闘いに貢献し、また女性解放のための闘いに貢献するものである。
道路や住宅が整備され、ほぼ全国民が電気やインターネットを使えるようになり、屋内配管も完備されたことで、主婦の負担は大幅に軽減され、自分たちの住む世界のいろんなことにかなり自由に参加できるようになった。
サンディニスタの教育制度が女性を解放する
FSLN政権の人道主義的な性格は、それまでの新自由主義政権の無視とは対照的に、非識字率の統計によって示されている。1979年にFSLNが革命に勝利したとき、非識字率は56%を超えていた。FSLN政府は、10年後にはそれを12%にまで低下させた。しかし、16年間の新自由主義時代が終わった2006年までに、無料教育制度が解体され、非識字率は再び23%に上昇していた。現在、FSLN政権は、非識字率を4%以下にまで引き下げた。
FSLNは教育を完全に無償とし、学費をなくした。これと貧しい女性への援助プログラムが相まって、10万人の子どもたちが学校に戻れた。政府は、学校給食プログラムを開始し、学校と就学前の子どもたち150万人に豆と米の食事を毎日提供した。幼稚園、小学校、中学校の生徒にはリュックサックが支給され、必要な場合は眼鏡も支給され、低所得の生徒には制服が無償で支給されている。現在では、学校に通える子どもの割合が大幅に増え、母親が外で働く機会をより多く提供している。
ニカラグアは、全国に無料デイケア託児システムを設立し、現在265カ所ある。母親たちは幼い子どもをこのデイケア・システムに預けることができ、就労への主要なハードルから解放される。
医療制度の大幅な拡充と無料化、「飢餓ゼロ」「高利貸しゼロ」などのプログラムにより、5歳以下の子どもの慢性栄養失調は半減し、6歳から12歳の子どもでは3分の2に減少している。今では目に見える栄養失調の子どもを見ることはほとんどなく、母親の負担がまたひとつ減った。
コロナのパンデミック期間中、学校や企業が閉鎖されることはなく、ニカラグアの医療システムはコロナに対処する上で世界で最も成功している国のひとつである。人口100万人あたりのコロナによる死亡者数は、南北アメリカの国の中で最も少ない。
ニカラグアは、また、母親が子どもを連れて行ける公園や遊び場など無料のレクリエーションのシステムを構築している。
学校制度を通じて、教育省は平等な権利の文化、差別のない文化を推進している。新しい科目「女性の権利と尊厳」を実施し、嫌がらせや虐待のない生活を送る女性の諸権利や家父長制の不公正さについて、生徒に教えている。また、学校の集会や公演に参加することは両親の共通した責任であることを強調するなど、子どもの教育への母親と父親の参加を促進するためのキャンペーンが開始された。
サンディニスタの無料保健医療システムは女性を解放する
医療システムが破壊されたニカラグアの新自由主義時代とは全く対照的に、また、他の中米諸国や米国が営利目的で医療システムを民営化したのとも対照的に、サンディニスタは、地域密着型で無料の予防公共保健医療を確立した。その結果、平均寿命は、2006年の72歳から現在は77歳まで伸び、米国並みとなった。
保健医療機関は、1259の「ヘルス・ポスト」と192の「ヘルス・センター」を含む1700以上あり、そのうち3分の1は2007年以降に建設されたものである。病院は77カ所あり、そのうち21カ所は新設され、46カ所は改築・近代化されたものである。ニカラグアは、リスクの高い妊娠をした妊婦や農村部の妊婦が妊娠後期に滞在できるよう、医療センターの近くに178の産科施設を提供している。
南北アメリカ大陸全体で、米国は最も豊かな国であり、ニカラグアは3番目に貧しい国である。しかし、米国では2010年以降、100以上の地方病院が閉鎖され、自宅から車で30マイル以内にある周産期医療サービスを受けられる地方女性は50%未満になった。このことは、低所得の女性に、特に黒人やラテン系の女性に、不釣り合いに大きな影響を及ぼしている。
ニカラグアは66の移動診療所を装備し、それは2020年には約190万件の診察をおこなった。この中には子宮頸がんや乳がんの検診も含まれており、2007年以降、子宮頸がんの死亡率を34%削減することに貢献している。パップ・テスト(子宮癌の早期発見テスト)を受ける女性の数は、2007年の18万1491人から、2020年には88万907人に増加した。
サンディニスタ以前の時代には、妊婦の4分の1が医師のいない下で自宅で出産した。病院も少なく、妊婦は、しばしば診療所や病院にたどり着くまでに荒れた未舗装の道を移動しなければならなかった。現在では、妊娠後期の2週間は地元の産院に入院し、医師の診察を受けることができるため、陣痛中に遠くの病院へ行くことを心配する必要はない。2020年には、6万7222人の妊婦がこれらの産院に入居し、母親や姉妹と一緒に過ごすことができるようになった。その結果、現在では出産の99%が医療機関で行われ、妊産婦死亡率は、2006年の10万人あたり115人から2020年には36人に減少している。これらは、女性の解放に向けた巨大な数歩である。
米国の、女性への無関心とは逆に、ニカラグアの母親は出産前に1カ月、出産後に2カ月の休みをもらえる。また、男性でも子どもが生まれるときに5日間の休みをもらえる。母親は、6カ月間無料でミルクをもらうこともできる。結婚すると、男女ともに5日間の休暇が与えられる。
中絶の権利をめぐる問題
2006年、ボラーニョス大統領の下で中絶を違法とする法律が議会で可決され、「母体の生命と健康」の例外が削除された。この法律を支持して、ラテンアメリカ中のカトリック教徒によってかなり組織され資金提供されたキャンペーンがおこなわれた。ニカラグアでも2年前から大規模なデモ行進があった。
国民の8割が支持したこの法律は、ボラーニョスの票集めの策略として大統領選の直前に提案された。当時サンディニスタは議会では少数派で、FSLNの議員たちは投票のための党紀を解かれていた。多数は棄権し、数名が賛成した。この法律は一度も施行されることも取り消されることもなかった。
2007年にサンディニスタが政権に復帰して以来、中絶に関連する行為で起訴された女性や政府・民間の医療専門家はいない。命の危険にさらされている女性は、政府のヘルス・センターや病院で中絶を受けることができる。女性が中絶できる場所はたくさんあり、閉鎖されたり攻撃されたりしたことはないし、密かに行われるということもない。経口避妊薬や避妊サービスも広く提供されている。
女性を暴力から解放するサンディニスタの施策
ニカラグアは、女性や子どもを性的および家庭的暴力・虐待から守るための特別なユニットである女性警察署を102カ所つくった。これにより女性は、虐待やレイプなど自分に対して行われた犯罪について女性警察官に相談できるようになり、苦情を申し立てたり、トラウマのカウンセリングを受けたりすることが、より簡単に、またより気楽になった。また、女性に対する暴力犯罪が徹底的かつタイムリーに起訴されるようになった。
国家警察官1万6399人のうち女性は34・3%を占め、警察としては高い数字である。例えば、ニューヨークとロサンゼルスの警察では18%、シカゴでは23%である。
国連はニカラグアを中米で最も安全な国としており、殺人率は10万人あたり7・2人(2006年の13・4人から減少)と、地域平均19人の半分以下である。また、女性嫌悪殺人の率も中米で最も低く(10万人あたり0・7人)、それは、女性に対する虐待を終わらせようとするサンディニスタの姿勢のもうひとつの証左である。政府は、女性に対する暴力についての意識を高め、家庭や地域社会で女性が直面する脆弱性に対処するために、市民保安集会を組織している。家族省(Mifamilia)は、女性に対する暴力や子どもへの性的虐待の防止を強調するために、家庭訪問を実施している。
ニカラグアは、この地域で麻薬取引と組織犯罪の撲滅に最も成功している国であり、女性を苦しめている不安感から女性を解放している。
ニカラグア政府における女性指導者たち
第2次FSLN政権の時代になって女性が達成した進歩は、政府への女性の参加に反映されている。1980年代のサンディニスタの指導部には、女性は一人もいなかった。2007年、2次サンディニスタ政権は、女性の平等な代表権を義務付け、国レベルから自治体レベルまで、公職の少なくとも50%を女性が占めるようにした。現在、全国政府の閣僚16人のうち9人が女性である。最高選挙評議会、最高裁判所、検事総長室、検察庁のトップは女性であり、裁判官の6割を女性が占めている。国民議会議員、市長、副市長、市議会議員の半数が女性である。このように女性が高い地位にあることは、すべての女性や少女が、より人間らしい人間関係をもった新しい社会の建設に参加するためのモデルとなり刺激となる。
女性の解放ほど偉大な民主主義の勝利はない
女性解放において実現した前進は、「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」にも表れている。2007年に90位だったニカラグアは、2020年にはアイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンに次ぐ5位に躍進している。
ニカラグアは、貧困層の女性の社会的・政治的参加と経済的前進を促進する政策により、女性を家事労働や家庭内奴隷から解放することに最も成功している国のひとつである。女性は、次のようなものを手に入れた。女性警察委員会、財産の法的承認、虐待された女性や貧しいシングルマザーのための新しい家、貧しい女性に力を与える経済プログラム。中絶は実際には犯罪化されていない。政治家候補と公職者の半数は女性。極貧は半分に減少し、そのほとんどが女性と子どもの利益になっている。近代化した国のインフラによって家事労働は大幅に減少。女性に便利で無料の医療がある。等々。ニカラグアの女性たちは、解放のための闘いの中で、これまで長い間無視されてきた自分たちの人権を行使することにおいて、ますます自立し、自信を持てるようになってきている。彼女たちは、集団的な自己イメージを大変革し、新しい社会の構築における女性の中心的な役割を確実なものにしている。このことは、すべての人の生活の質を向上させることによって、全体として労働者階級とカンペシーノの状況を改善している。そして、それが米国の経済戦争に対抗するための重要な武器となるのである。レーニンが述べたように、「すべての解放運動の経験が示してきたことは、革命の成功は女性がどれだけ参加するかによって決まるということ」である。ニカラグアは、新しい世界が可能であることを示すもうひとつの生きた実例である。