アメリカ合衆国は、「入植者植民地主義」(セトラー・コロニアリズム)である。それは南北アメリカ、カリブ海、ニュージーランド、オーストラリア、そしてまさにイスラエルと同様の特殊な植民地主義であり、大量虐殺(ジェノサイド)から切り離すことはできない。
現在のガザ大虐殺戦争はイスラエルと米国の共謀だが、共に入植者植民地国家なのである。このことを私たちはパレスチナ連帯運動に取り組む中で痛感した。以下、米国の建国以来の先住民虐殺史を概観する。参考記事、文献は、本紙WEB版を参照してください。
(KM)
先住民虐殺と居留地への閉じ込め
134年前の1890年12月29日、米国ウインデッド・二ー虐殺事件があった。中西部サウスダコタ州ウインデッド・二ー・クリーク付近の先住アメリカ人(native Americans)スー族が、軍隊によって包囲され、300人近くが殺された。しかもその多くは女性や子どもだった。正にガザでのイスラエルによるジェノサイドと重なる。
先住民のひとりは証言する。「死んだり傷ついたりした先住民の女たち、子どもたち、赤ん坊が、逃げたさまそのままに横たわっていた。・・・死体は積み重なってもいた。互いに身を寄せ合ったところを殺されたからである。・・・母親の乳を吸おうとしている赤ん坊がいた。しかし、母親は血まみれで息は絶えていた」
これがアメリカ先住民の組織的抵抗の最後となった。この激しい抵抗をもたらした要因は、19世紀以降の「西漸運動」(領土拡張)、いわゆる「西部開拓」だ。入植した白人は大陸を無制限に植民地化した。必然的に先住民に対する一連の無差別虐殺を伴った。この虐殺事件の前には、1849年、ミネソタ准州に住むスー族を虐殺。1854年、ワイオミング州ララミー砦でスー族を虐殺。1864年、コロラド州サンド・クリークでシャイアン族虐殺。1867年、モンタナ州で第7騎兵隊全滅とその復讐戦で虐殺、等々。有無を言わせぬ征服でありジェノサイドの歴史だ。
殺されずに生き延びることができた者は、土地を奪われ、文化を奪われ、生活の糧であったバイソンは絶滅にまで追い込まれ(バイソンは先住民にとって、食肉、衣類、寝具、テントなど衣食住すべての供給源であった)、政府が指定する砂漠のような荒野や山岳の土地=リザヴェイション(居留地)の中に押し込まれた。1838年のチェロキー族の強制移住は「涙の旅路」といわれ、厳しい冬に1000㎞の荒れ地を徒歩で移動させられ1万6000人のうち5000人が亡くなった。土地略奪のために、先住民の抵抗を挫くために、やりたい放題の大量虐殺を繰り返し、強制移住させ、食料を絶ち、飢餓・餓死を強いる点も、現在のガザにそのまま当てはまる。
先住民95%減をもたらした大量虐殺の歴史
この他にも入植者植民地政策として、「先住民の子どもを家族から引き離し寄宿学校に強制入学」、および「貸付」や「白人文化とキリスト教への同化」などが強制された。ようやく公民権を獲得することができたのは遙か後の1924年であり、投票権に至っては第二次世界大戦後の1948年のことだ。
この結果、コロンブスが「新大陸」を発見してから20世紀初めまでの間に、アメリカ先住民の人口は、調査研究での違いは多少あるものの、500万人から25万人まで激減したといわれている。この急減する発端は、スペイン、ポルトガル、イギリスがアメリカ大陸を植民地化したことだが、「アメリカ建国」(1776年)後から入植の大量虐殺が本格化する。米国政府は1500件を超える戦争や襲撃を認可した。これは、先住民に対する世界のどの国よりも最多の件数だ。伝染病による病死や飢餓や餓死、鉱山での労働や奴隷化、先住民交易網の破壊もあるが、直接の虐殺も相当数にのぼる。だが、これら全体が大量虐殺なのである。
今なおネイティブアメリカンに対する差別は深刻だ。今年11月28日にも、世界中の先住民の闘争と連帯して、感謝祭に「全国の喪の日」を開催した。
先住民大虐殺を初めて描いた『ソルジャー・ブルー』
「西部劇」という米映画のジャンルがかつてあった。広大な西部の荒野を開拓する幌馬車に乗った「フロンティア精神に溢れた勇敢な入植者たち」と、彼らの行く手を阻み、奇声を上げて卑怯な攻撃を仕掛けてくる「悪役インディアン」(当時の呼称)というステレオタイプ的でお決まりの構図の映画だった。残虐な悪者だから殺しても当たり前。「勧善懲悪」として映画・テレビを支配し、ハリウッドのプロパガンダとして、戦後の米国の侵略や「人権を振りかざした軍事介入」の数々を正当化した。そのほぼ全部がデタラメの創作だった。
この白人中心の西部劇観をひっくり返したのが映画『ソルジャー・ブルー』だ(1970年製作)。これは先に触れた1864年のサンド・クリークで起きた騎兵隊による虐殺事件を描く。映画前半は、ひとりの花嫁(主人公・演じたのはキャンディス・バーゲン)はシャイアン族に囚われの身ながら、許婚の下に帰る許可が出る。北軍騎兵隊の馬車で結婚式に送り届ける途中で、先住民の奇襲で隊が全滅する。生き残った新兵と花嫁は二人で騎兵隊の基地を目指すという展開。
だが後半は場面が暗転する、凄惨かつ衝撃的な殺戮シーンが続く。花嫁はシャイアン族の酋長に騎兵隊の攻撃を知らせるが、「白人は平和を約束してくれた」と酋長は騎兵隊を信じる。「敵対的ではない」ことを示すために自主的に武装解除する。だが騎兵隊は先住民に一斉射撃を命じた。
騎兵隊司令官は兵士たちに叫んだ。「殺せ!どいつもこいつも頭の皮を剥げ。大きいものも小さいものもだ。シラミの幼虫はシラミになるからな!」。アルアクサ洪水作戦後の10月9日、イスラエル元国防相ガラントが述べた「われわれは〝人間の顔をした動物〟と闘っている」ともダブる。この言葉には「集団として虐殺していい」という含意がある。
突入した騎兵は、女性をレイプ、乳房を切り取って楽しむ。隠れていた子どもたちを全て射殺し、手足を切り取り、振り回して踊り狂う。指輪を奪うために指を切断する。男の陰嚢は「小物入れにするため」切り取る。女性器も「記念品として」切り取られた。
このとき死んだ先住民の数は400~500人に上ったといわれている。地元デンバーの新聞は、「インディアンとの大会戦!野蛮人どもは追い散らされた!インディアンの死者500人 わが軍の損害は死者9人、負傷者38人!」と「英雄」を讃えた。
この先住民こそが犠牲者であることを描く映画をR・ネルソン監督が製作したのは、2年前の1968年、ベトナム侵略戦争中に米陸軍がおこした「ソンミ村虐殺事件」(ソンミ村ミライ部落の無抵抗の老人、女性、子ども504人を虐殺した)を知ったからだ。開拓時代の虐殺を通じてベトナム戦争の蛮行を批判したのだ。
これら目を覆いたくなる蛮行の数々は、このときに限ったものではない。カール・マルクスは、米国が独立する前の英国の蛮行について、こう述べている。「あの謹厳なプロテスタントの先達、ニューイングランドの清教徒も、1703年にはインディアンの頭の皮一枚または捕虜一人につき40ポンドの賞金をかけ、1720年には・・・100ポンドの賞金をかけ、1744年には・・・12歳以上の男の頭の皮には新通貨100ポンド、男の捕虜には105ポンド、女と子どもの捕虜には50ポンド、女と子どもの頭の皮には50ポンド!・・・イギリス議会は、血の犬(殺人狂)と頭の皮剥とは、『神と自然からわが手に与えられた手段』だと宣言した」(『資本論』「産業資本家の創世記」)
「入植者植民地主義」と「選民イデオロギー」
このように、米国の誕生と今までの歴史は、アメリカ先住民の血と涙の歴史である。米国の大地の下には、先住民たちの骨、村、畑、聖なるものが埋葬されている。米国資本主義は、マルクス『資本論』「いわゆる本源的蓄積」に従えば、まさに「頭から爪先まで、あらゆる毛穴から血と汚物とをしたたらせながら」建国されたのである。さらに米国は、この特殊な植民地主義の上に、戦争に明け暮れる近代帝国主義を生み出したのである。
入植者植民地主義は、制度やシステムとして、その目的達成のために暴力やその後ろ盾である軍隊を体制内化する。ヨーロッパ系アメリカ人の植民地主義は、その始まりからジェノサイド、および民族浄化を内包しているのである。
そしてもう一つ、このジェノサイドを補強するのが「明白な天命」(Manifest Destiny)なる覇権主義イデオロギーである。アフリカから連行された奴隷売買や、先住民虐殺をもたらした西漸運動は〝神が定めたもの=天命ある〟というアングロサクソン系プロテスタントの選民思想であり、これをもって全てを正当化していったのである。これもまた、そこに住んでいる先住民のパレスチナ人を殲滅しようとするイスラエルの蛮行を補強するシオニズム植民地主義の思想ではないか。
アメリカ先住民の歴史の悲劇は、米国および西側帝国主義国の語る「人権」とは何かを明らかにしてくれる。それは飽くなき欲望を満足させるために、他人から奪い取り他人の人権を侵害するということであり、まやかしの「人権」に他ならない。