4月4日、韓国の憲法裁判所は、12月3日夜から4日未明にかけて起こったクーデタ未遂事件について、首謀者であった尹大統領(当時)を裁判官の全員一致で罷免した。尹による「非常戒厳宣布」が重大な憲法違反であり、職権乱用であると断罪した。憲法裁は戒厳宣言要件違反、布告令の違憲・違法性、軍と警察を動員した国会封鎖の試み、政治家逮捕指示、中央選管委員会掌握の試みなど弾劾訴追事由5件をすべて認めた。そして国会、地方議会、政党の活動を禁止することによって国会による戒厳解除要求権を侵害しようとしたことを批判した。憲法裁は尹が主張する「野党が国政をマヒさせた」ことは、戒厳令宣布の根拠とならないと退けた。裁判官の8人は革新3人、中道3人、保守2人とされるが、全員が罷免の判決を支持した。6月に大統領選が行われる。
123日間の闘いが勝ち取った大統領罷免
尹罷免は、韓国の労働者・人民が勝ち取ったものだ。12月のクーデタ策動に対して迅速に対応し、わずか6時間で戒厳令を撤回させ破綻に追い込んだ。数十万から100万、200万人を動員して波状的に反撃を加え、尹を内乱罪で逮捕することに成功した。
だが尹支持派も大衆を動員し、巻き返しを図った。尹は1月に内乱を主導した罪で逮捕されたが、支持率も徐々に回復し、3月には釈放され大統領公邸に戻った。裁判所による首謀者釈放は、事実上、軍事クーデター策動の免罪であり、かつての軍事独裁へ回帰する強い危機感を呼び起こした。80年5月の光州蜂起や87年6月の民主化闘争への弾圧を記憶するシニア世代に加えて、若者たちが闘いに合流した。123日間にわたって座り込みや抗議行動が展開された。4月2日には、数千人の労働者と市民が憲法裁判所前の「広場」に結集した。彼らの要求は「尹大統領弾劾」から「8対0で大統領を罷免せよ」へと変化していった。全国的に「72時間100万人のオンライン緊急請願」も展開された。前日の4月3日は、戒厳令で数多くの犠牲者を出した済州島4・3事件から77年目の日として、「非常戒厳宣布」弾劾を改めて共有した。
大統領罷免から「内乱勢力一掃」へ進む韓国人民の闘い
だが、尹の罷免で闘いは終わりではない。
尹は裁判所の決定事由を受け入れず、いまだに戒厳令の正当性を主張している。与党「国民の力」首脳と会談し、6月の大統領選での勝利を語り合った。他方で保守メディアなどは、憲法裁判決が「多数派野党による国政マヒ」を事実認定して「寛容と自制」を求めたことをとらえて、対立の終焉、挙国一致を求めている。「尹の罷免」で幕引きしようというのだ。尹は大統領を罷免されたが、政党、議会、政府機関、メディア、宗教勢力などに「内乱勢力」は存在する。欧州諸国と同様、外国人嫌悪を叫ぶ極右・排外主義勢力が台頭し、尹のクーデタ策動を公然と支持する運動を組織した。
123日間の闘争は、このような極右ファシズムと軍事独裁を復活させようとする勢力との対決だった。民主労総など進歩的な人々は、安易な妥協や融和を警戒し、韓国政治から「内乱勢力」を一掃する新たな闘いへと進み始めた。われわれは、大統領罷免を勝ち取った韓国の労働者人民に深く敬意を表するとともに、軍事独裁復活=ファシズムの芽を根絶やしにする闘いを支持し、連帯したい。
対中戦争準備反対、日本の戦争責任追及で連帯を
クーデタ策動の根底には、日米韓の同盟関係がある。対北戦争準備、対中戦争準備を強行する基盤として与党独裁、軍事独裁体制を樹立するための「非常戒厳」宣布であった。戦争準備、国内治安体制構築、そのための国家予算成立が思い通りにいかない国会の力関係をクーデタによって一気に覆そうとしたのだ。加えて、米日韓同盟を盤石にするための「日韓正常化」の維持がある。尹政権は、文政権が進めた日本軍「慰安婦」や徴用工問題での戦争責任追及・賠償請求の問題を棚上げにすることで「日韓友好」へと舵を切ってきた。それは韓国人民にとっては「屈辱外交」に他ならない。
日本の人民の闘いは重大だ。日米韓による軍事同盟強化、対中戦争準備に反対する運動を強化しよう。韓国に「屈辱外交」を強要している日本政府を批判し、日本の戦争責任・戦後責任に真摯に向き合い、日本政府・企業に対して謝罪と賠償を求める声を広げていこう。
2025年4月8日
『コミュニスト・デモクラット』編集局