ポルトガル革命50周年(前篇)
ポルトガル革命50周年(中編)
[6] ポルトガル共産党 4月革命を率い、「未完の革命」実現に奮闘
(1)ファシスト独裁政権下で不屈と英雄主義を貫く
ポルトガル共産党(PCP)は、4月革命の独創性を「革命権力は存在しなくても、下からの深遠な革命的変革が起こった」、原動力を「MFA(軍隊運動)と民衆運動の同盟の独創性」だと捉えている。PCPの1965年綱領は来る革命を共産党主導の人民政権が権力を掌握すると想定していたが、歴史は全く異なるプロセスを経たのだ。チリのように人民が選んだ大統領権力と左翼人民連合が革命を率いるという形にはならなかった。その結果、前記の如く、共和国憲法制定をピークに革命の勢いは急速に後退する。
1961年から92年までPCP書記長を務めたアルバロ・クニャールが、ファシズム下、4月革命、その後の反革命期を通じてマルクス・レーニン主義に基づき党を指導した。彼は、コミンテルン第7回大会にも出席し、生粋の親ソ派であった。10年以上にわたる獄中生活の末、1960年にペニシェ監獄から脱獄する快挙も成し遂げた。
1975年4月に行われた憲法制定議会の第1回選挙における247人の共産党候補者だけでも、合計440年間も獄中で闘い抜いた人たちであった。闘争に献身し命を失った人たちは数知れない。レジスタンスの歴史は、「何千人もの囚人の歴史であり、命を捧げた死者の歴史」であった。 PCPは1921年に創設されたが、5年後1926年から4月革命によって合法化されるまで、48年間にわたり残忍なファシスト独裁政権下で非合法だった。ファシスト秘密警察による虐殺、投獄、迫害、拷問の48年であった。それでもPCPは、未曽有の犠牲を払いながら不屈に闘い抜き、生き残り、4月革命の数年前から影響力を増し、MFA左派に影響を与え、民衆蜂起でも、その後の革命過程でも、決定的に重要な役割を果たした。ファシスト独裁の苛烈な弾圧下で厳しい地下活動を強いられながらも、組織を絶えず強化し、定期的な活動を展開し、独自の宣伝手段、秘密印刷所、出版物、ラジオなどを整備し、労働者・人民の中へ、さらに陸軍と海軍の軍隊の中へ、巧みに勇敢に組織活動を拡大し、影響力を強化し続けてきた。このことを土台にして「反ファッショ統一戦線の中心軸」としてのPCPが確立され、民衆蜂起と軍隊蜂起との結合が成ったのである。
(2)PCPのリードなしには4月革命は2年間も続かなかった
4月革命はMFAのクーデターから始まり、民衆蜂起がそれに続いたが、それには前史があった。前年の1973年10月から、南部の産業部門や大土地所有(アレンテージョ、リバテージョ)で産業労働者と農業労働者がストライキを決行していた。これは、73年7月のPCP中央委員会の呼びかけ「自由のため、植民地戦争の終結のため、よりよい生活のための大規模な大衆的政治運動」に労働者が応えたもので、4月革命に発展する大規模な反ファッショ闘争であった。この闘いが、革命後の労働者が何百もの企業で労働者委員会を結成することにつながったのである。
また、PCPのリーダーシップがなければ、革命が共和国憲法までの2年間も続くことはなかったし、そもそも憲法も制定できなかっただろう。臨時政府はバラバラで、CIAとソアレスが絶えず革命を攪乱し圧殺しようとしたからだ。
過去の革命と民主主義の歴史と同様、ポルトガルでも、民主主義運動には革命的潮流と自由主義的・社会民主主義的潮流が現れた。人民大衆の力を恐れ、独占資本の支配の転覆を恐れた自由主義的・社会民主主義的潮流は、政治体制の変更で済ませようとしたのに対し、革命的潮流を代表するPCPは、革命の原動力は人民大衆の闘いであることに依拠し、ファシズムの打倒にはその経済基盤である外国帝国主義=外国資本と国内独占資本=地主制を解体する必要があること、この経済基盤を解体しなければ、民主主義制度を確立できないことを労働者・人民に訴えた唯一の政党である。
(3)PCPと民族解放運動の直接的連帯
4月革命は、反植民地革命でもあったが、この点でもPCPは一貫していた。「他民族を抑圧する民族は自由ではない」というマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則に基づき、PCPはその創立以来、自国の植民地支配と終始一貫して闘った。ポルトガル植民地諸民族の民族自決権と独立を擁護した唯一の政治勢力であった。1957年PCP第5回大会の歴史決議で、アンゴラ、ギニア、カーボベルデ、モザンビーク、サントメ・プリンシペの即時独立の権利を厳粛に宣言した。
PCPは常にポルトガル植民地の解放運動の側にいた。独立国の指導者となった多くのアフリカ人革命家は、特に「民主統一運動」(MUD)と「青年民主統一運動」(MUDジュベニール)の枠組みの中で、PCPと共に闘った。PCPは、特にMUDジュベニールで支配的な影響力を持っていた。ポルトガルに留学した先進的なアフリカ人学生はPCPのメンバーとなり、ポルトガルの政治運動にも直接参加した。彼らは、ポルトガルの労働者・人民も極度に貧しいことを体験し、植民地人民と本国労働者・人民の連帯の必要性を確信した。アンゴラの初代大統領アゴスチーニョ・ネト、ギニア内閣の重要閣僚になったバスコ・カブラルは、ともにMUDジュベニールとPCPのメンバーだった。ギニアビサウ・カーボベルデを独立に導いた独立アフリカ党(PAIGC)の指導者であり、マルクス主義者であるアミルカル・カブラルも、MUDジュベニールの主要メンバーであった。
こうして形成されたPCPとMPLA(アンゴラ解放人民運動)、PAIGC、FRELIMO(モザンビーク解放戦線)の間の直接的な連帯を軸に、ポルトガル人民と植民地人民との間に強固な同盟関係が築かれた。このPCPと民族解放戦線の指導者の絆の上に4月革命が成功したのである。
(4)PCPの軍隊工作
PCPはアフリカでの戦争に反対する戦いの最前線に常にいた。PCPの軍隊工作は、本国でも植民地でも活発化した。1960年代初頭から、戦争への動員に対する抵抗、兵営での扇動、植民地戦争に対する軍事的妨害を組織した。1964年4月、PCP書記長アルバロ・クニャールは、植民地人民の解放戦争とポルトガル国内の反ファシズム闘争の相互作用を次のように述べた。「植民地戦争に対する兵士たちの抵抗は、ポルトガル人民と植民地人民との連帯の最も輝かしい例の一つであるだけではない。それはまた、ファシスト独裁政権との闘いにおける新たな要素であり、ファシスト国家機構の弱体化、人民大衆の政治の急進化、若者の戦闘態勢の指標でもある」。「軍の宿舎や兵舎、船舶や軍病院での作業停止など、植民地に送られることへの抵抗もあった。脱走はかなりの数に達した」。「植民地戦争に対するポルトガル人民の闘いは、植民地そのものに及んだ。多くの兵士が、前線に出発することも残虐行為に参加することも命懸けで拒否した。パイロットたちはナパームによる爆撃を拒否したり、標的から外れた爆撃を行ったりした。将校や兵士たちは抵抗を組織した。戦場で脱走する者もいた」。
(5)先進的民主主義~「未完の革命」
PCPはその綱領(2012年)で、ポルトガルの労働者・人民が直面する現段階を、社会主義に向けた過渡的段階である「先進民主主義」段階と規定している。そして先進民主主義とは、「ポルトガルの未来における4月の価値」を実現することだと主張する。PCPは、ファシズムからの解放と革命期に獲得した「4月革命の価値」は、憲法やポルトガル人民の価値観や願望の中に依然として存在していると確信している。その意味で、先進民主主義闘争は、憲法を弱体化・空洞化するか、維持・復活させるかの闘いである。
保守反動と社会民主主義派は憲法に対する明文改憲、解釈改憲を系統的に推し進めてきた。何よりも、EUへの資本主義的統合により、米欧の帝国主義とグローバル金融独占資本への政治的・経済的従属が加速している。PCPは、「愛国的・左翼的」戦略を前面に推し出している。「愛国的」とは米欧への服従と従属との決別、主権的な経済発展であり、「左翼的」とは労働の価値と社会的権利の実現、医療・教育・社会保障、より公平な所得分配、戦略部門の公的管理、労働者と非独占層の利益擁護である。
憲法改悪は7回に及んだ。
――経済面では、一方で「国有化の不可逆性」や「主要な生産手段と土地の集団所有の原則」の変更、「農地改革」の言及の削除など、独占資本と地主制を回復させ、他方で、資本の集中化と蓄積を追求し、民営化を推し進め、 戦略的に重要な産業部門が外国資本に売り渡されてきた。ポルトガルの国家独立と主権に対する外国多国籍企業と米欧列強からの脅威がますます深刻になっている。
――政治・社会面では、政治的・経済的・社会的権利や社会保障を後退させる動きが繰り返されてきた。低賃金を押し付け、雇用を不安定にし、低い年金と退職金を維持し、社会的権利と給付を清算し、医療・教育サービスを民営化し、劣化させている。住宅を高価で手の届かないものにし、女性を差別し、若者の問題解決と将来を無視してきた。富と貧困の二極化は極端に拡大している。
――文化・教育面では、後進的で反動的な価値観を復活させ 、民主主義的な芸術・文化・科学・ 生活全般を悪化させ、高等教育へのアクセスを妨げてきた。
憲法は「4月革命の価値」を守る「塹壕」であり、旧体制復活の強力な「障害物」である。先進民主主義闘争は憲法擁護・復活闘争として闘われている。PCPは、「4月革命は未完の革命である」、革命は途中で頓挫したが、「反革命も未完である」と捉え、「未完の革命」を最後まで貫徹しようと奮闘している。われわれも4月革命を研究し、ポルトガル共産党の不屈の闘いに学んでいきたい。
ポルトガル4月革命万歳!
《参考情報》
●ポルトガル共産党
記念集会の報告「4月25日:自由と解放の革命。 4月は未来だ!」
https://www.pcp.pt/25-de-abril-uma-revolucao-libertadora-emancipadora-abril-mais-futuro#foto1
●4月25日民衆記念行事推進委員会
https://50anos25abril.pt/agenda/desfile-popular-lisboa/
●反ファシスト・レジスタンス連合
https://www.urap.pt/index.php
(完)