「戦争がウソをきっかけに始まるのだとすれば、 平和は真実をきっかけに始まるであろう」(アサンジ)
真実と正義の勝利
ジャーナリストであり、非公開内部文書を公開するサイト「ウィキリークス」の創設者であるジュリアン・アサンジは、6月26日、ついに自由の身となった。世界キャンペーン「アサンジを釈放せよ」が勝利した瞬間だ。
これまでに本紙89号(2021年2月12日)でも、「ジュリアン・アサンジを即時無条件に釈放せよ~米国の謀略・諜報活動を暴く」を報じてきた。世界の支援者とともにアサンジの釈放を心より歓迎したい。
ロンドンのエクアドル大使館に政治亡命していた12年からの7年間(19年にエクアドル政府が市民権を取り消し)。これに続く英国当局の逮捕と、英国の最高警備刑務所(2×3㍍の独房、グアンタナモ刑務所として悪名高い)での5年4ヶ月、実に1901日。拷問に該当する拘束の後、米国司法省との司法取引で、14年前にさかのぼる法廷闘争に終止符を打ち、ジュリアン・アサンジは、頭を高く掲げ、拳を握りしめて、7月3日に母国オーストラリアのキャンベラに降り立ったのだ。アサンジは妻のステラにキスをし、父親のジョン・シプトンと抱擁。空港に集まったサポーターに祝福された。
この帰国の日は、世界中の支援団体によって自由の日として祝われた。「ジュリアン・アサンジは自由だ。草の根の組織者、報道の自由の擁護者、あらゆる政治的スペクトルの議員や指導者から国連に至るまでの世界的なキャンペーンの結果」だと、ウィキリークスはSNSで述べた。妻のステラは、「世界中のあらゆる階層の人々がアサンジを支持しているだけでなく、彼が支持するもの、つまり真実と正義を支持している」と述べた。
発端はイラクでの米国戦争犯罪の暴露
アサンジはどのような活動をしてきたのか。彼の活動は誰にとっての棘であり、どういった利害に敵対するものであったのか。
機密暴露の発端となり世界に衝撃を与えたのは、2010年4月にウィキリークスが公開した一本のビデオ。これは、「巻き添え殺人(Collateral Murder)」と名づけられたもので、イラク戦争(2007年)中、米軍がバグダッドで市民に発砲し、12名を殺害した映像だ。2機の米陸軍アパッチヘリのパイロットは、肩に取り付けられたミサイル(RPG)とAK-47を携行していた2人のイラク人のグループを発見し、30ミリ機関砲を発砲し、7人が死亡、3人が重傷を負ったと報告した。
だがこれは真っ赤なウソだった。武装しているように見えた2人の男性はロイターのジャーナリストであり、そのうちの1人は望遠レンズを持っていて、それを「武器」であるかのようにでっち上げ発砲したのが真実だ。さらに、瀕死の重傷を負ったジャーナリストを見つけると、「早く武器を取ってくれ」とヘリの米兵は嬌声を上げる。「武器」を取ればすぐに標的に機銃掃射を浴びせられるからだ。まさにアパッチヘリが、周辺の路上にいたイラクの非武装の民間人に対し、殺人ゲームを楽しんでいる異様な様が克明に記録されている。
アサンジは言う。「攻撃機に乗る若い兵士の人格が戦争によって腐敗させられる。・・・近代戦争がどのようになったかを見せてくれる」と。
2010年にアフガン戦争(7万5千点)とイラク戦争(40万点)に関する米軍の機密資料を公開した。その後も、ウィキリークスは多くの国や組織から機密文書を受け取り、公開していった。それらは、米国と英国こそが、大量破壊兵器・生物兵器・化学兵器の存在をでっち上げ、アフガニスタン戦争、イラク戦争を仕掛けた当該国であることを、事実をもって白日の下に晒したのだ。
これは世界最大の大国である米国の面子を汚した。米国政府はアサンジに狙いを定めたのだ。ビデオ公開の後すぐさま10年8月に、英国滞在中のアサンジに対し、スウェーデン当局が、自国での「強かん容疑」で逮捕状を出し、捜査中に保釈された(後に証拠なしで逮捕状は取り消された)。このとき英国からの身柄引き渡しを求めたスウェーデン当局に対してアサンジは、米国への身柄引き渡し要求に応じないという保証を求めたが応じなかったため、英国のエクアドル大使館に政治亡命した(先述)。
その後、米国軍事機密の公開に関する18の容疑で指名手配され、トランプ政権が18年に起訴し、バイデン政権も引き渡しを求めていた。引き渡されれば、最高175年の懲役刑に服することになる。本当の事実を隠蔽し、それを暴いた人物に対して罪を捏造し、政治生命を抹殺しようとした。これは明らかに個人への国家の復讐であり、見せしめに他ならなかった。
イスラエルの犯罪、チャベス打倒の謀略も暴露
アサンジとウィキリークスが公開したのはアフガン戦争、イラク戦争に関する機密情報だけではない。
08年3月の極秘機密電報は、ガザ地区を包囲したイスラエルの狙い――ガザ経済を可能な限り低いレベルにおいておくこと――を米国の外交官が承諾していたことを暴露した。11年には、パレスチナ自治政府の腐敗した政治家とイスラエルとの共謀を暴露したアルジャジーラ発の秘密文書を独自の機密情報で裏付けた。その内容は、08年の交渉でパレスチナ自治政府側が、東エルサレムのほぼすべての入植地をイスラエル側に明け渡す、さらに難民の帰還権や、イスラム教にとって重要なアル・アクサモスクのある「神殿の丘」の管理などについても譲歩を提案したというものだった。
また、アラブの春の間に起こった反イスラエルの運動の広がりの際に、元米国国務長官コリン・パウエルが、イスラエルの核兵器200発がイラン・イスラム共和国に向けられていると語ったことも暴露した。イスラエルの核兵器の存在を米国が初めて認めたのだ。
ウィキリークスのリークには、ベネズエラ・チャベス政権打倒のための米帝の反革命策動も含まれる。米国国際開発庁(USAID)が、04年から06年の間に、ウーゴ・チャベス社会主義指向政権転覆のために、300以上のベネズエラのNGOに1500万ドルを準備し、政権不安定化の「技術的・訓練の支援」、つまり基礎物資の退蔵による無秩序と暴力の混乱を作り出すことを狙ったのだ。
さらに、15年には、米国家安全保障局(NSA)が、06年から日本の内閣(第1次安倍内閣)、日本銀行、財務省などの通信を盗聴していたという米政府の関連文書を公開した。その一部の盗聴内容については、「ファイブ・アイズ」(米国、英国、豪州、カナダニュージーランド)の当局間で共有していたというものだった。
自由と人権を踏みにじる側の米国
アサンジとウィキリークスのなしえた活動は、時間とともに薄れゆく真実の暴露では決してなく、こんにち、その真実性と重要性はいっそう増してきている。
米国は未だに「自由と民主主義、人権」の守護神のように振る舞い、西側政府・メディアがこれを礼賛し続けている。新疆ウイグル、チベット、香港など。しかし、これほどのウソと偽善はない。また一貫して戦争のウソをでっち上げ、CIAやNEDなど謀略・諜報機関による外国への内政干渉と政権転覆を繰り返している。米国の言う「言論の自由」と「民主主義」の偽善、邪魔者を潰そうとする米国の醜さは強まることはあっても弱まることはないのである。
7月25日、ネタニヤフ首相が米国議会でスタンディングオーベーションを受け、「イスラエルはラファで民間人を1人も殺していない」と言い放ったその間にも、イスラエルは無実のガザ市民を虐殺し続けているのだ。
直近でも、ガザでの現役任務を除隊したイスラエル兵のおぞましい証言が、独立ジャーリズムから発せられた(+972 Magazine)。まさしくアサンジが指摘した「巻き添え殺人」の再現である。「退屈だから撃つ」――鬱積したフラストレーションを発散したり、退屈を和らげたりすることができる。「16歳から50歳までのすべての男性がテロリストの疑いをかけられている」――歩き回ることは禁じられており、外にいる人は皆怪しい。窓から誰かが私たちを見ているのを見かけたら撃つ。「脅威を感じているのなら、説明する必要はない。ただ撃つだけだ」――撃つ必要のない人を撃ったりしても、誰も涙を流さない。「今日の子どもは明日のテロリスト」――この信念で、民間人と戦闘員の区別を無視することを正当化できる、等々。
これら全て目も耳も塞ぎたくなるものばかりだが、アサンジがこじ開けた扉の向こう側に、真実に基づく世界中の反イスラエル、反米のパレスチナ連帯の運動と報道がある。戦争犯罪を暴露した内部告発者を訴追する汚れたその手で、占領下のパレスチナへのジェノサイドのためにイスラエルに武器と資金を供給する国があることを私たちは知っている。米国の平和団体「コードピンク」は声明でこう語る。「ジュリアン・アサンジの批判的ジャーナリズムがなければ、米国とその同盟国が犯した戦争犯罪について、世界はもっと多くを知ることはなかった。彼のおかげで、私たちのような反戦組織が、戦争マシーンと闘うために必要な証拠を持っているのです」と。
もう一つ、アサンジの罪状認否について触れておこう。米国の政治権力と闘うには、個人の資源も時間も限られる中で、18件の米国スパイ防止法違反のうち17件が取り下げられ、1件の罪を認める「司法取引」でアサンジは釈放されたのだった。このことをもって、米国はオーストラリアに恩を売り、対中国封じ込めを共同で強めることができる、またジャーナリズムを萎縮させる前例となるだろうという報道もある。だが、彼の不屈の闘いは、米国の真実――誇示してきた「言論の自由」の偽善と、邪魔者を潰そうとする醜さと執拗さ――を世界に知らしめたのであり、戦争犯罪を暴くために払った彼の計り知れない犠牲は、最大限の賞賛に値する。
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「戦争がウソをきっかけに始まるのだとすれば、平和は真実をきっかけに始まるであろう」。これはエクアドル大使館に亡命するときにアサンジが残した言葉だ。すなわち国民が戦争を望むとすれば、それは政府のプロパガンダに騙されているからに他ならない。彼のこの言葉を自らの行動の基軸にいつも据えておきたい。
(KM)