[1]はじめに~西側が喧伝する「チベット問題」とは?
階級的本質は社会主義中国に対する国家分裂策動
西側帝国主義の政府・メディアは、社会主義中国の発展と台頭を怖れ、政治・経済・社会・文化全てを攻撃し、ウソ・デマを垂れ流し、貶めてきた。とりわけ「香港民主化弾圧」「ウイグル・ジェノサイド」「台湾有事」などは、分離独立運動を煽り、「カラー革命」を画策する社会主義国家の分裂策動だ。チベット問題もその一つである。
強制的拉致、寄宿舎への強制収容、民族の強制同化のデマ
欧州議会は昨年12月、中国政府が全寮制の寄宿舎学校にチベットの子どもたちを拉致し、強制的に民族同化させているとの非難決議を採択した。中国外交部は、すぐさま「デマを流し、チベット問題を利用して中国への内政干渉をするな」と批判した。なぜチベットに全寮制の寄宿舎があるのか?少し調べれば分かることだ。
まず地理的条件を考えて欲しい。チベット自治区(西藏と呼ぶ)の広さは、122万平方㎞、日本の3・2倍で、海抜4000m超の「世界の屋根」、チベット高原が含まれる。この自治区に360万人が暮らしている。広大な大地に住居が分散しているため、児童の通学は極めて長距離になり、非常に不便だ。
このような苛酷な地域ですべての児童に平等に教育を受ける公教育の権利をどう保障するのか。それが寄宿制学校なのである。西側の都会の学校しか知らない反中宣伝家には考えも及ばないだろう。寄宿舎に入るかどうかは完全に生徒と保護者の意思と必要次第であり、寄宿生は毎週末、祝日および冬休み・夏休みには家に帰ることができる。保護者はいつでも学校に子どもに会いに来られる。
欧州議会こそ、チベットの児童の教育を受ける権利、チベット民族の人権に対する冒涜と侵害だ。日本でも、今年の5月7日に、古屋圭司元国家公安委員長(自民党)が、チベット問題を含む「人権侵害」が表記された対中非難国会決議を呼びかけた。どれも同じ批判である。なぜなら情報源は,全て末尾で述べる米CIAとダライ・ラマだからだ。
ありもしない強制的民族同化政策
米ジェームズタウン財団は2020年に、チベットで「軍隊さながらの職業訓練」が強制されているとの報告書を出した。そこには、「チベット人に対するイデオロギーの教化と同化」「少数民族の同化政策は、言語、文化、宗教上の遺産の消滅をもたらす」などと、事実無根の悪罵が連ねられている。これも寄宿舎問題と同様、デマである。中国の党・政府は、2020年末に念願の貧困脱却を実現したが、そのために、チベットを含む少数民族が住む辺境地域の開発に全力を挙げた。その決め手の一つが、チベット語と併せて個人のキャリア開発と文化的リテラシー向上のために中国語(国家共通語)を教育課程に盛り込むこと、発展する中国の国有・民営企業への就職や事業活動のために「職業訓練」を保証することなのである。地域の様々なレベルの公式文書やイベントはバイリンガルであり、チベット語の携帯電話も日常生活に浸透している。チベット文化の発展を促進し、民族統一と民族連帯を強化するために、国家共通語の使用は不可欠の条件なのである。映画や紀行ドキュメンタリーを見れば、宗教・文化弾圧などデマであることは直ぐに分かる。
なお、残念ながら西側左翼の一部は、こうした西側のデマ宣伝の「未解決の民族問題」言説を信じ切っている。中国の党・政府や良心的なジャーナリストから学ぶのではなく、西側反中メディアの歪んだ「チベット問題」を鵜呑みにしているのだ。しかし、チベット問題の本質は、民族問題、民族抑圧問題ではない。政治的・経済的・社会的解放、農奴制からの民主主義的解放の問題であり、社会主義建設の問題である。
この小論は、次の2点について明らかにしていきたい。その一つは、チベットの歴史と現在のありのままの姿を知ること。帝国主義宣伝も西側左翼も、以下で紹介する解放前のチベット農奴制の実態を何も知らず、調べもしない。もう一つは、チベット・デマゴギーが米CIAから世界中に垂れ流されていることである。
(KM)
[2]解放までの野蛮で残酷な政教一体の封建農奴制社会
農奴解放65周年。ダライ・ラマは打倒された農奴制領主
今年は、1959年に西蔵で100万人以上の農奴が解放された農奴解放65周年にあたる。中国では、この偉大な歴史を振り返り、民主的改革が1000年の足枷を打ち破り、東洋における封建的農奴制の最後の「砦」を完全に打ち砕いた歴史的意義を称える行事が各地で行われた。CCTVでもドキュメンタリー『農奴解放』が放送され、実際の映像でもってわかりやすく伝えていた。
1720年代にチベットが清王朝の中国に編入されてからも、また世界的に奴隷制・農奴制がほぼ根絶された20世紀中頃にあっても、西蔵に長く存在し続けた中世とは、一言でいって「政治と宗教が一体化した封建農奴制社会」であった。人口の95%を占めていた農奴には個人の自由がなく、生産手段も、生存手段もなく、何世代にもわたって無報酬で、人生の3分の2の時間を領主のために働かされた。「話ができる道具」と呼ばれ、差巴、推窮、朗生の3等級に分かれていた。順に、土地耕作と労役をする、土地の配分もないより下級、そして奴隷のことだ。農奴の識字率は0%であり、農奴の間では、「奪われるのは自分の姿だけであり、残せるのは自分の足跡だけだ」という諺があった。
一方、人口の5%を占める支配階級である3大領主――封建官吏、上級貴族、上級ラマ僧――は、チベットのすべての耕作地、牧草地、森林、山、川、家畜を所有していた。当時チベットには197の世襲貴族があり、そのうち上位7~8の上級貴族が、封建官吏、上級ラマ僧と並んで荘園、土地を独占的に所有していた。これら農奴所有者は、農奴を容赦なく弾圧するために、成文法や慣習法を用いて刑務所を設け、目をえぐり出す、耳を切り落とす、手を切り落とす、足を切り落とす、痙攣させるなど、極めて野蛮で残酷な処置を平気で行っていた。
この封建農奴制の最高僧侶はダライ・ラマだ。メディアで持ち上げられるあのダライ・ラマ14世の一族は27カ所の荘園、30カ所の牧草地、約6千人の奴隷と農奴を所有し、14世本人は金を16万両、銀を9500万両所有していた。そして、上流僧侶たちの寺院は、宗教活動をしながら政権を管理し、経済面の搾取を行い、武装勢力を集め、司法の機能も一体化させた統治の場となっていたのだ。こうした経済的土台と生産関係では、経済も社会も発展せず、貧富の差が非常に大きく人口も減少。農奴には医療もなく、病を治すため仏を拝み、平均寿命は35・5歳だった。
農奴は解放され人民民主独裁下の社会主義体制へ歩み出す
1900年代の封建農奴制はチベットの発展をあらゆる面で阻害する根本要因となっていたが、この閉塞を打ち破る激動の時代が到来する。1949年の中国革命で共産党が勝利し、大陸の帝国主義列強は駆逐され、中国共産党はチベットの行政改革を緩やかに進め始めた。1951年に「チベットを平和解放する方法に関する協議(いわゆる「17ヶ条協定」)」が中央人民政府とチベット地方政府との間で締結された。これによってチベットを独立させようとする西側帝国主義の画策は粉砕された。
進駐した人民解放軍と共産党員は、農放牧の生産性と生活の質向上の対策を次々講じた。災害救助、無料診察、道路建設、電話と電報、銀行、新聞社、ラジオ局建設等々。17ヶ条協定は、チベットの改革をトップダウンで強制するのではなく、チベット政府自ら改革を行うように定めていた。毛沢東は述べている。「チベットはまだ民主改革を実行できる状態ではない。改革はチベットの多くの住民と指導者ができると思った時に決定するものであり焦ってはならない」と。
しかし旧来の上層部は、自分たちが持っていた土地を農奴に分けることに反対だった。1956年にチベット自治区準備委員会が成立(ダライ・ラマ14世はその準備委員会主任)したが、その反動層は全く改革を行う気がなく、逆に祖国分裂活動を開始した。「チベット独立」「改革反対」「漢民族を追い出せ」をスローガンに、武装反乱を組織し、西側帝国主義勢力の支持を得て、1959年3月10日、拉薩で武装反乱を起こした。反動的「チベット独立人民会議」を開き、人々の前で「17ヶ条協定」を破りチベット独立を宣言した。3月17日、ダライ・ラマ14世と反乱者一味はラサを離れ、反乱武装勢力の基地山南に移動する。
ついに中央人民政府は反乱を鎮圧する決断を下す(3月20日)。国家の統一とチベット人民の利益擁護のために。翌日には反乱を鎮圧。ダライ一行はインドに逃れ、「亡命政権」を作る。チベット反動集団は人民と祖国を裏切ったのだ。チベット地方政府は解散され、チベット自治区準備委員会に職権が委譲されたのが1959年3月28日。この日が記憶に刻まれている「農奴解放記念日」である。
自治区準備委員会は、搾取制度の廃止、封建農奴主所有制から農牧民個人所有制への転換を打ち出し、人民民主独裁下の社会主義体制へと社会体制を根本的に変え、チベットの飛躍的発展のための政治的・社会的基盤を築いたのである。農奴は解放され、命の安全と身の自由は中華人民共和国憲法と法律によって保障された。土地とその他生産手段は農牧民に分配された。反乱に関わった農奴主の土地は没収された。反乱に加わっていない農奴主の土地には買取政策(国がお金を出し、その後農牧民に分配)を実行。1961年にはチベット各地で普通選挙が行われ、以前農奴や奴隷だった人々は初めて主権者となり、社会管理に関わった。
そして1965年にチベット自治区成立が宣言され、信仰の自由、政治と宗教の分離実行、経済・政治での寺の封建特権はすべて廃止、寺内部の封建管理及び等級制度も廃止されたのである。こうして新しい薫風がチベット高原に吹き渡り、新しい社会が誕生したのである。
[3]新生チベット自治区の発展と貧困からの脱却
社会主義国家の下で開発、貧困脱却、民族の団結進む
社会主義中国の支援と指導の下で、独裁から民主化へと大きく転換してきた新生チベット自治区の今を見てみよう。
チベットにおいても中国の他の場所と同様に、2019年には貧困からの脱却を達成した。チベットの厳しい社会状況を考えると奇跡としか言いようがない。域内総生産GDPは、2023年に約2393億元に急増(1959年:1億7400万元)、GDP成長率も9.5%(国の成長率は5.2%)、平均寿命は、2021年には72.19歳に上昇(1951年:35.5歳)、乳児死亡率は、2020年には出生1000人あたり8人に低下(2007年:同24.5人)、義務教育率は97・78%だ。通常の医療、出産育児、疾病予防と管理、チベット医学と治療を含め包括的な公的医療システムが提供され、2023年の農村住民の一人当たり可処分所得は9・4%増加し、国内第1位であることも特筆に値する。
また就学前教育、基礎教育、職業教育、高等教育などをカバーする包括的近代教育システムが形成され、2024年には26の幼稚園と30の小中学校の建設・拡張など、基礎教育の拡大と改善が計画されている。5Gネットワークは現在、西蔵のすべての県と主要郷をカバーし、光ファイバーブロードバンド、4G、ラジオ、テレビ信号はほぼすべての行政村をカバーしている。
民族の団結と進歩のための国家モデル。特に生態系保護に重点
また、共産党は、「民族の団結と進歩のための国家モデル地域」として、「政治的安定、社会の安定、経済発展、民族の統一、宗教的調和、健全な生態学、統合された国境防衛」を重点に上げている。とりわけ習近平総書記は、高原地域の生態系保護の重要性を強調する。地方当局に対して、「環境ガバナンスの改善に注力し、青海チベット高原の生物多様性の保護に努め、人と自然の調和を特徴とする現代化を確保するために、エコロジー・ファーストとグリーン開発の道を堅持」するよう求めた。チベット自治区党委員会は、国家生態文明高原建設条例を公布し、生態保護重視の主導権を発揮している。こうした努力の結果、チベットには現在、47の自然保護区があり、2023年の99%以上の日で空気の質が良く、重要な河川や湖の水質はクラスⅢ基準(主に生活飲用)を満たし、世界で最も優れた生態環境を持つ地域の1つとなっている。
春先になると、桃の花が咲き乱れ、自然保護区に鳥が集まる。2023年、西蔵を訪れる観光客は5500万人を超え、観光収入も650億元を超え、歴史的な記録を樹立した。蔵族が暮らす村には豊かな伝統文化が残されており、文化、伝統衣装、建物などを間近に見ることができ、新疆ウイグル自治区、吉林省朝鮮族自治州などと並んでこの地域も観光スポットとなっている。
米CIAの繰り人形ダライ・ラマ14世、チベット独立策動
米CIAとその付属機関「全米民主主義基金」(NED)は、チベット問題を民族独立問題、宗教弾圧問題にすり替え、ダライ・ラマ14世の「亡命政権」を支援し復権させようとしている。21世紀の現在、封建領主を復権させるとは時代錯誤も甚だしい。
米国務省報告によると、CIAは、チベット人を政治・プロパガンダ・準軍事技術の訓練のために米国へ招聘している。目的はインドのダライ・ラマと側近への支援補助金、ネパールを拠点とするチベット人ゲリラへの支援、非武装ゲリラを訓練のためにインドに再配置する、等である。また、NEDによるチベット活動は、チベット独立分子の育成・訓練・組織化、チベット語のウェブサイトを運営・維持し、「チベット亡命政府」と「チベット独立」組織の活動の宣伝、チベット語禁止や宗教弾圧のデマ宣伝、等である。これらの裏金として、2019年には60万米ドル、2020年には100万米ドルが資金提供された。
ダライ・ラマ14世は、チベット仏教の最高指導者、非暴力と平和を愛する人物、「聖人」として、欧米メディアから称賛されているが、その実態は、農奴制の革命的打倒前に何千人もの農奴を搾取・酷使・虐待した封建領主だったこと、今は米政府・CIA・NEDの繰り人形となり傀儡「亡命政府」(米国国務省から年間200万ドルで運営)を率い、自身もホワイトハウスから年俸18万6000ドルで雇われていること、帝国主義に身も心も売り渡した俗物であり、米帝の中国国家分裂介入の尖兵なのである。