レーニン没後100年(2)―2024国際女性デーを迎えて―

 
ジョー・ペイトマン著 『ヴェ・イ・レーニン、「女性問題」を語る』を読む

今年の3・8国際女性デーはレーニン没後100年と重なる。女性の非正規雇用、貧困女性が急増し、女性に対する階級差別と性差別が深刻化の一途をたどり、ジェンダー平等が社会政治問題の焦点の一つとして急浮上する中で、女性解放理論の重要性が増している。昨年には、私たちも強く主張してきた「同意のない性行為は犯罪」であることを明記した刑法改正が施行された。女性解放、女性労働者解放の闘い、性暴力・性犯罪・性搾取の根絶をめざす闘いの前進のためにも、マルクス主義女性解放論の再確立は決定的意味を持つ。
 このような問題意識で、われわれは、英ヨーク大学政治学部アシスタント・プロフェッサーであり、若手マルクス=レーニン主義研究者であるジョー・ペイトマン(Joe Pateman)が執筆した論文『ヴェ・イ・レーニン、「女性問題」を語る』を読み直した。そして、改めて、マルクス主義女性解放論をレーニンの女性解放理論に基づいて我が物にすべきだと確信した。残念ながら、ネット上では有料でしか公開されていない。米国のマルクス主義政治・思想誌『科学と社会』2021年7月号(『Science & society』July 2021 Vol.85 No.3)に掲載された原文「V.I.Lenin on the “Woman Question”」に沿って紹介する。
 以下、まず最初に、[Ⅰ]でわれわれがなぜペイトマン論文をテキストにしたのか、その理由とその意義を、女性解放論争の諸潮流に関する階級的批判と併せて論じる。次に、[Ⅱ]でペイトマン論文の概要を簡単に紹介する。


                (祈)

[Ⅰ]

(1)よみがえるレーニンの女性解放思想

 われわれがペイトマン論文を取り上げる理由は、大きく2つある。一つは、その包括性、全面性である。レーニンの女性解放論が、資本主義社会の下での闘争から、社会主義下におけるその闘争の継続まで、時系列で簡潔にまとめられている。しかも、レーニン全集からの引用を中心に、レーニンに語らせている。
 もう一つは、マルクス主義女性解放論の理論的基礎、出発点に、史的唯物論の「経済的土台の二重性」、資本主義社会における女性搾取・抑圧の「二重性」を据えていることである。エンゲルスははっきりと、人類社会の経済的土台には、「財貨の生産・再生産」と、「人間そのものの生産・再生産」の二つがあると明記した。ところがレーニン以降、この論は、エンゲルスの誤りだという言説が公式見解として定着してきた。マルクスのものではない、と。しかし、この理論は、『ドイツ・イデオロギー』の「生活(生命)の生産」概念としてマルクス・エンゲルス共通のものなのである。だから、レーニンも、当然の如く、マルクス・エンゲルスのこの「二重性」論を継承・発展させた(注1)。
 ペイトマンの功績は、あえてレーニンの女性解放論の冒頭第1章を「二重の女性抑圧」から始め、レーニン・ミハイロフスキー論争を紹介し、エンゲルスとレーニンのこの「二種類の生産と再生産」論をよみがえらせたことである。
 しかし、レーニン死後、この「二種類の生産と再生産」論は、誤りだと排除された。「財貨の生産・再生産」だけが、その後のマルクス=レーニン主義の公式見解として定着する。だから、われわれが学んだソ連や日本で出版された史的唯物論教科書にはなかったのである。

(注1)経済的土台の二重性、および「二種類の生産と再生産」論
 レーニンは、『人民の友とは何か』の中で、ミハイロフスキーが土台を「物質的財貨の生産」に還元したのに対し、それだけでなく「人間の生産(生殖を含む)」=「労働力の生産と再生産」を重要なもう一つの要素として、エンゲルスの「二種類の生産と再生産」論を擁護した。
 エンゲルスは、『家族・私有財産および国家の起源』序文で土台の二重性論を明記している。「…歴史を究極に置いて規定する要因は、直接の生命の生産と再生産である。しかしこれは、さらに二種類のものからなっている。一方では生活資料の生産、すなわち衣食住の諸対象とそれに必要な道具との生産、他方では人間そのものの生産、すなわち種の繁殖がそれである」(『マルクス・エンゲルス全集第21巻』1884年初版の序文)

(2)「二重の搾取」「二重の女性抑圧」の意義

 ペイトマンは、論文冒頭の「要旨」で、レーニンに依拠しつつ衝撃的な命題を提示する。「女性労働の搾取が資本主義の発展において中心的な役割を果たしている」「彼(レーニン)は、法的・政治的領域と家庭領域の両方で平等が欠如しているので女性が『二重に搾取されている』と主張した」と。つまり、女性労働者を低賃金・劣悪労働条件で搾取するだけではなく、家庭内で奴隷労働=無償労働として組み込むことが、資本主義の「超過搾取」の源泉になっている、そればかりか、女性に対する社会と家庭の「二重の搾取」「二重の女性抑圧」が資本主義発展で「中心的役割」を果たしていると断じたのである。
 「中心的役割」とは何か? それは、一方で、女性に家事労働を無償で押しつけることで労働力の再生産を労働者の私事・自己責任に矮小化し、資本が負担せずに済む。他方で、女性労働者を家事労働にしばりつけ、パートやアルバイトなど非正規雇用でしか働けなくし、膨大な相対的過剰人口を形成することで、男性労働者の賃金や労働条件を押し下げる「沈め石」となる。結果としてブルジョアジーの権力と搾取を増大させる。この二重の意味でまさしく「中心的役割」なのである。
 そして、この「二重の搾取」「二重の女性抑圧」が、女性労働者、とりわけその下層、底辺の労働者をして社会変革の重要な担い手にさせていく。レーニンは、そう主張したのである。レーニンが、女性の中で最も抑圧されたプロレタリア女性と貧農女性に焦点を当てたのも、それが理由である。今日では、シングル女性、非正規女性など女性労働者の最底辺に焦点を当てる必要がある(第96号主張参照)。

(3)「土台の二重性」論排除の弊害と混乱
ーーフェミニズムの二つの潮流

 1970年代以降、先進諸国で女性解放運動が活発化したが、一方で、共産主義運動・労働運動が後退する中でマルクス主義女性解放理論が影響力を失い、他方で、小ブルジョア・フェミニズムが影響力を増し、二つの理論的・思想的潮流が生まれた。
 一つは、「ラディカル・フェミニズム」。家父長制支配、性差別を階級差別、資本主義批判の上に置き、男性敵視論を前面に押し出した。多くはマルクス主義に対して敵対的で、「性差別を無視した」「社会主義になれば性差別も自動的になくなると主張した」と言われもない非難・攻撃をした。これらの一部は、資本主義的な「二重の女性抑圧」への不可避的な反発であり、レーニン死後に歪められてきた一面的なマルクス主義女性解放論へのアンチテーゼであった。しかし、そのどれもがマルクス、エンゲルス、レーニンの諸著作をまともに研究せずに非難を浴びせるだけであった。
 社会主義になれば「自動的に」性差別がなくなるなど、マルクス主義の思想ではない。労働者階級の解放が労働者自身の闘いによって達成されなければならないのと同様に、働く女性の解放は働く女性自身の闘いによって勝ち取られなければならない。それがマルクス主義の思想である。レーニンは、労働者階級による国家権力の掌握が女性解放の本質的条件であり、社会主義の下で自らを解放すると論じ、社会主義をめざす闘いの戦列で女性が重要な役割を果たすであろうことを繰り返し語っている。
 もう一つが、「マルクス主義フェミニズム」の一派「二重システム論」だ。階級支配と性支配、資本制と家父長制の折衷主義的な二元論を説きながら、結局は、階級闘争抜きに、資本主義批判抜きに、性支配・家父長制批判に傾斜する。「隠れラディカル・フェミニズム」であり、小ブルジョア・イデオロギーの一種である。日本におけるその代表が上野千鶴子氏だ。マルクス主義の言説や命題を部分的に借用しているので、まるでマルクス主義女性解放論者のように見えるが、そうではない。決してブルジョアジーにはその矛先を向けない典型的な男性敵視論者である(注2)。
 ブルジョア支配階級にとって、自らに矛先を向けない、「ラディカル・フェミニズム」や「隠れラディカル・フェミニズム」は、労働者階級を分断支配するのに好都合だ。だから上野氏は、メディアや論壇で持ち上げられている。

(注2) 例えば、上野千鶴子氏は家事労働について「不払い労働である」というのだが、その不払い分は資本家に対して要求するのではない。彼女の持論によれば、家事労働の対価を「夫が妻に払っていない」から「不払い労働」! すなわち、女性は、家庭内で闘争して夫(父)から家事労働分を要求せよという主張である。(『婦人公論jp』2022年3月29日付)
 言うまでもなく「不払い労働」「無償労働」の対価を支払っていないのは資本家である。マルクス主義ではこれらの用語をそれ以外の意味で用いることはない。家事労働はそれが「私事」として私的な労働に留まる限り「不払い労働」であり続ける。家事労働の社会化への途をめざすこと、それを資本主義・帝国主義打倒の闘いの中に位置づけることこそが、真の女性解放への道である。

(4)ペイトマンが依拠したリーゼ・ヴォ―ゲル

 実は、ペイトマンが本論文を書くきっかけになった人物がいる。階級支配と性支配、資本制と家父長制を統一的に捉えたリーゼ・ヴォ―ゲルである。彼女は、前記の「隠れラディカル・フェミニズム」(「二重システム論」)に反対した「マルクス主義フェミニズム」のもう一つの潮流「統一論」の代表的論者である。「統一論」は「二重システム論」より優位性を持つことは明らかだが、「統一論」にも諸派が存在する。中でもリーゼ・ヴォ―ゲルは、マルクス、エンゲルス、レーニンの女性解放論に全面的に依拠した研究者だ。ペイトマン自身が、「本論説は、ヴォ―ゲルの洞察力あるレーニン分析を補足し、増強するものである」と述べている。彼女の代表的労作『マルクス主義と女性抑圧』(1983年初版)は残念ながら邦訳はなく、その意味でも本論文は貴重である。
 レーニン死後のマルクス主義者たちが、史的唯物論の「土台の二重性」論を忠実に継承発展させてきたなら、少なくとも、理論的・思想的には、男女の労働者階級を対立させる男性敵視論、矛先を決して資本家階級へ向けようとはしないブルジョア的・小ブル的フェミニズムに対して優位に立ったはずである。
 ペイトマン論文は、「二重の女性抑圧」論に基づき、資本主義から、社会主義革命と社会主義建設に到る全過程で女性労働者が決定的な役割を果たす包括的なマルクス主義女性解放論の重要性、その核心に気づかせてくれた。私たちの女性解放思想をつかみ取ろうとする苦闘は、まだ始まったばかりである。本論文に学び、これをバネとして前進したい。

[Ⅱ]

(1)第1章「二重の女性抑圧」

 ペイトマン論文は、短い「要旨」と「序」から始まり、第1章「二重の女性抑圧」、第2章「解放のための闘い」、第3章「社会主義の下での女性」の、3つの章から成る。
 第1章では、ブルジョアジーがどんなやり方で労働女性を支配し従属させているかに光をあてている。
 「賃金奴隷制が存在する限り、不可避的に性売買も存在する」ことを指摘し、私的財産は「世界中で・・・最も民主的な共和国においてさえ、女性を二重の奴隷状態におしとどめている」と述べ、女性たちが資本に抑圧され無権利状態に置かれていると同時に、「家内奴隷制」の下で抑圧されていることを指摘している。ヴォ―ゲルによれば、レーニンはこの「第2のファクターである家内奴隷」を主要なことと考えていた。
 ヴォ―ゲルが、このような強調は当時の「マルクス主義文献の中でユニークだった」と論じている通り、レーニンの視点は必ずしも当時の社会主義者、マルクス主義者たちの間で、十分に理解・支持されていたとは言えず、そのことがレーニンの思想の継承を困難にしていたのは想像に難くない。
 新たな労働者の生産(つまり出産)、過去と未来の労働者を維持すること、生産過程の外で現在の労働者を労働過程に戻れるよう維持すること、すなわち家事労働全般は、労働力を維持・再生産するのに必要不可欠である。資本家にとって費用のかかる、やっかいな仕事、この負担を全面的に女性に押しつければ、女性たちはこれを家庭で行うので資本家にとってはほとんど費用がかからずに済む。そして男性は、出産と子育て期間に女性に生計費を渡す、このことが、「階級社会における女性の従属の物的基礎を形成している」(ヴォ―ゲル)のである。
 ヴォ―ゲルによれば、レーニンは、「均質な抽象的グループとしての『女性』を扱うことを拒否」している。女性も男性も共に、資本主義の下でその階級に応じて異なった抑圧のされ方をしているのであり、したがってプロレタリア女性と貧農女性に特別の注意を払わなければならない。このことは、没階級的な「女性一般」を語るフェミニズムとの決定的な分岐点でもある。
 貧農女性が「分断され個別細分化され、それが女性の搾取を容易にしている」こと、資本主義的大規模生産の発展と機械制大工業が、女性を生産過程に引き入れ独立性を増大させること、それによって女性労働者の家父長制的孤立を破壊し、自らの解放闘争へと向かわせ、そのための意識を覚醒させる諸条件を作り出すことを、レーニンは重視していた。
 「われわれは、手工業システムへの、独占以前の資本主義への、家庭での女性苦役への復帰を望まない。トラストなどを通じて前に進み、それを越えて社会主義へ!」(レーニン『プロレタリア革命の軍事綱領』1917年)

(2)第2章「解放のための闘い」

 第2章では、資本主義社会の下における女性労働者の解放闘争を扱う。レーニンの主要な関心の一つは、プロレタリア女性と貧農女性の、より良い労働条件と生活条件を獲得することであった。
 働く女性たちの労働・生活条件、育児や妊娠女性、夫を亡くした女性への対策、性売買を維持している経済的諸条件の暴露、妊娠中絶の自由、離婚の権利、政治的平等と市民的自由の要求、等々。その内容は実に多岐にわたり、

いかにレーニンが女性労働者の切実な諸要求に精通していたかが示される。
 女性搾取に反対する闘いの一部として、レーニンは、性売買を終わらせるための闘いを推奨すると同時に、上流階級の偽善や、ブルジョアジーが性売買反対キャンペーンをしながら、その裏でどのように植民地で女性たちをレイプし性売買を奨励しているかを暴露した。
 またレーニンは、女性の政治的平等と市民的自由を勝ち取るという課題を優先し、それを、民主主義の拡大にとって必要不可欠の条件として提示した。とりわけ、女性の選挙権獲得のための闘争については、プロレタリアの階級的見地を断固として貫くことを、党綱領で明示することを要求した。ブルジョア女性たちが「自分たちの参政権を獲得したいと望んでいるが、それを女性労働者に拡大することなしに行いたいと思っている」ことを看破し、リベラル・フェミニストらのブルジョア的見地を批判した。
 女性の選挙権獲得のための闘いにおいては、男性の普通選挙権を第一に優先しようとする社会主義者内部にまではびこる日和見主義的な見解に対し、原則的見地を貫いたクララ・ツェトキンを、レーニンが高く評価したことはよく知られている通りである。
 レーニンは、妊娠中絶の自由の非妥協的な主張者であり、女性の離婚の権利を支持し、それを民主主義のための闘争に直接結びつけた。女性が諸権利を獲得すればするほど、「家庭内奴隷の源は諸権利の欠如からではなく、資本主義であるということを、女性たちはますます明瞭に見るようになる」のであり、そうなればなるほど、彼女たちはいっそう抑圧や従属からの根本的な解決をめざすようになり、社会主義建設を自らの利害と一致させるであろうことを確信していたのである。

(3)第3章「社会主義の下での女性」

 第3章では、革命後のレーニンの基本姿勢を明らかにしている。
 「社会主義だけが男性支配を克服するための客観的諸条件を提供する」こと、「圧倒的多数の働く女性たちが大きな部分を受け持つのでなければ、社会主義革命はありえない」こと(『女性労働者第一回全ロシア大会での演説』1918年)。この2点は第1章の「女性の二重の抑圧」から直接引き出される結論でもあり、レーニンは女性の解放を常に社会主義・共産主義建設と結びつけて語っている。資本主義的発展そのものが、資本主義を葬り去るための物的基礎を作り出す。労働者階級による国家権力の掌握が女性解放の本質的条件であると同時に、それは真の女性解放の新たな出発点なのである。
社会主義の下では、労働者の搾取は廃止され、低賃金、危険な労働条件、性売買などの女性搾取の諸形態は過去のものとなる。しかし、それだけではまだ女性解放は実現できない。女性は「二重に抑圧され」ているので、女性の解放も「二重の課題」である。
 課題の第1は、結婚、財産、妊娠中絶に関連するような法律、つまり「女性を男性に比べて不平等な立場にとどめている古い法律」の廃止。これは「相対的に単純でたやすい」。例えば、1920年11月に中絶を合法化した。女性が中絶の権利を獲得した世界史上初めてのことである。しかし、「法の下での平等は必ずしも実際の平等であるとは限らない」(『国際労働女性デーによせて』1920年)。
 問題は第2の課題である。レーニンによれば、男性支配を克服する闘いにおける「最も重要なステップ」は、社会的・経済的平等の達成であり、「これだけが、完全な実際の女性解放へ向けた道を開く」のである。
 さらに、レーニンは家庭内隷属から女性を解放する闘いが、長期にわたるであろうことを認めている。闘いは物的なものであるだけでなく、イデオロギー的なものでもあり、組織や機構の変化・転換だけでは十分でなく、女性嫌悪(ミソジニー)者の信念や態度や考え方も根絶されねばならないのである。
 女性が家事労働からの苦役から免れるための物的手段についてレーニンは、公的食料配布施設、託児所、保育園、など大規模資本主義によって作り出されたものに着目し、これらを、根本的に拡大し、利潤のためにではなく女性の必要性に奉仕するように作り直すことを推奨している。これには当然のことながら、女性自身がこの過程で主導的な役割を果たし、試行錯誤を繰り返すことが求められるであろう。「働く女性の解放は、働く女性自身にとっての仕事である」。
 そしてレーニンは、「非党員であっても働く女性をもっと多くソヴィエトに選出せよ」「プロレタリアートは、女性の完全な自由を勝ち取るまでは、完全な自由を達成することはできないのだ」(『女性労働者へ』1920年)と力強く訴えかけている。

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