【1】背筋が凍る…もし原発が動いていたら
(1)震源に原発建設予定地があった
震源となった石川県珠洲市には珠洲原発の建設計画があった。過疎脱却を目的に1975年に計画が浮上。当初は、北陸電力・中部電力・関西電力が共同で、出力合計1000万kw級にする計画だった。1990年代には、関西電力と北陸電力が高屋地区、中部電力が寺家地区で、100万kw級の原発を2機ずつ建設する計画となった。
高屋地区、寺家地区とも、今回の地震で壊滅的な被害を受けた。4㍍もの地盤の隆起、家屋が倒壊し、地割れがあちこちで生じた。津波も襲来し浸水被害もでた。もし珠洲原発が動いていたらどうなったか。揺れにより内部の機器が損傷しただけでなく、地盤の変位(ずれ)による影響で建屋が傾いていたかもしれない。海岸付近の隆起により原発の取水口が干上がり取水ができなくなれば、炉心の冷却に困難をきたし、炉心溶融の重大事故に至る可能性もある。想像するだけでも背筋が凍る。
(2)重層的な反対運動が珠洲原発を阻止
珠洲原発は、住民や市民、労働組合による重層的な反対運動により建設が阻止された。元市長候補で県議も務めた北野進さんによると、反対運動は珠洲市の市長選に勝つことを目標に据え、市長の候補者を立てるだけでなく、市議会や県議会で反対派の議席を増やしながら、県内と全国にも呼びかけ、広範な市民・労働運動を結集して攻めにでた。他方、地元の珠洲市では原発予定地の土地の共有化を進め、守りを固めたという。
1989年には関電の切り崩しに対抗し、市役所で40日に及ぶ座り込みが行われ、関電は事前調査に着手できなかった。市長選は、推進派がかろうじて勝つ状況が続いていたが、1993年の市長選の無効訴訟で最高裁において住民側が勝訴し市長の失職が確定。やり直し選挙で推進派が勝つも、助役の選挙違反が確定した。2003年には電力3社が珠洲市に珠洲原発の計画凍結を申入れ。2006年には反対派市長が誕生し原発設置反対の住民意思が明確に示された。
珠洲市の地元で反対運動の拠点となった円龍寺の住職の塚本真如さんは、運動の先頭に立ちながら、住民同士がいがみ合うことがないよう説いて回ったという。その円龍寺は今回の地震で倒壊し、塚本さんは避難を強いられたが、珠洲原発を止めてくれてありがとうとの感謝の電話が全国から寄せられているという。
(3)志賀原発…隠された被害の実態・北陸電力による情報操作か
志賀原発は長期停止状態にあり原子炉は空だった。震度7を観測した志賀町北部(旧富来町)からは少し離れた志賀町南部に位置していたこともあり、最悪の事態は免れた。政府は早々に安全宣言を行ったが、北陸電力は後になって訂正しながら深刻な状況を小出しに伝えた。社民党の立ち入り調査を拒んでおり、意図的な情報隠しの疑いもある。
津波の影響について、2日には「水位計に有意な変動なし」としていたが、9日に約1~3㍍の津波が複数回到達していたと訂正。観測した揺れが一部周波数で基準地震動を超えていたことも後から報じられた。変圧器の油漏れにより外部電源が一部使えなくなった件についても、漏れの量を2日には2号機から約3500Lと発表していたが、5日に約1万9800Lに訂正している。コンクリートに35㎝の段差が生じていたことも公表は遅れた。5日には3台ある非常用ディーゼル発電機の1台が使えなくなった。放射線を測定するモニタリングポストは、116台のうち18台が通信トラブルで使えなくなった。
変圧器の油漏れは、2箇所の配管が地震で破損して生じた。太さ50㎝の配管に20㎝ほどに渡って亀裂が見つかった。北陸電力は建屋で観測された地震動の最大値が399ガルと発表している。変圧器は建屋の外にあり耐震Cクラスだが、それでも500ガルまで耐える仕様だという。なぜこの配管がこのように破損したのか、原因は解明されていない。破損は揺れではなく地盤の変位(ずれ)によるとも考えられる。外部専門家による綿密な調査が必要だ。
【2】原子力防災・避難計画は破綻…すべての原発を止めるしかない
(1)指針は絵に描いた餅・避難計画は機能しない
原子力防災は、原子力規制委員会が原子力災害対策指針(指針)を策定、指針に基づいて地方自治体が避難計を策定、内閣府原子力防災担当がこれを支援しながら地域ごとに「緊急時対応」という文書をつくり、これを首相が議長の原子力防災会議で承認することになっている。現行の指針は、PAZ(5km圏)は放射能放出前に避難、UPZ(5~30km圏)は屋内退避が原則。UPZでもモニタリングの数値が毎時20μSvを超えると一時移転、毎時500μSvを超えると即時避難となる。安定ヨウ素剤はPAZでは事前配布だがUPZについては避難途中か避難先で受け取ることになっている。
能登半島地震による避難は困難を極めた。道路はズタズタで陸路がふさがれ、港が干上がり海路が使えず、ヘリが下りる場所がなく空路も使えなかった。孤立集落の住人は4市町で最大3345人を数えた。志賀原発の30㎞圏では約400人が8日間孤立状態となった。珠洲市では指定避難所16施設のうち11施設で定員を超え、4施設では2倍近い人が押し寄せた。ビニールハウスや車中泊の人もいたが、自主避難所には支援物資が届かなかった。感染症が広がったが医療が受けられず、避難所で亡くなる方もでた。
原発事故が重なっていたらどうなるのか。避難ができない、屋内退避もままならない、安定ヨウ素剤も受け取れない、モニタリングポストが壊れて放射能の把握すらできない。絶望的な状況だ。現行の指針では複合災害に対応できない。今回の地震は、指針が絵にかいた餅であり、指針に基づく避難計画が機能しないことをまざまざとみせつけた。原発を止めるしかない。
(2)規制庁「能登半島地震を踏まえた指針の見直しはしない」
1月31日、国会議員会館において市民団体から「能登半島地震により原子力防災の欠陥が露呈したためこれ以上原発を動かすべきではない」との要請書が全国の団体・個人の賛同をえて政府に提出され、規制庁及び内閣府との交渉が行われた。この場で規制庁は驚いたことに「能登半島地震を踏まえた指針の見直しはしない」と明言した。
見直さない理屈は、――1月17日の規制委において、複合災害では自然災害への対応を優先するのが基本的考え方だが、能登半島地震でも自然災害への備えが重要であることが明らかになり、指針の放射線防護の基本的考え方に変更の必要はないという委員の共通認識が確認された、ゆえに規制庁としても能登半島地震により指針を見直すことはしない――というものだ。しかし、指針の放射線防護の基本的考え方には「自然災害への対応を優先する」といった記載はない。さらに1月17日の規制委の議事録を確認すると、委員らは能登半島地震を踏まえて屋内退避など指針の見直しが必要との立場で意見を述べていた。それでも最後に山中委員長は、自然災害対応が優先、能登半島地震を踏まえて基本的考え方の変更は不要というのが共通認識、屋内退避については今回の地震とは関係なく検討する、と強引にまとめた。記者会見の場で聞かれてはじめて「能登半島地震を踏まえた指針の見直しはしない」と明言した。運転期間延長のGX法案のときと同様、だまし討ちのやり方だ。どうしても能登半島地震を踏まえたくない、踏まえて見直したら原発を止めざるをえなくなるからであろう。
(3)規制庁「原発事故で被ばくは避けられない」…開き直りを許すな!
自然災害を優先すれば放射線防護はどうなるのか。交渉の場で「放射線防護を放棄するつもりか」と追及を受けた規制庁は、「原発事故で被ばくは避けられない」「被ばくゼロは安全神話でありそのような考え方はしない」と開き直った。現状の指針は、原発事故だけでも被ばくは避けられないものになっている。UPZは屋内退避であり、毎時500μSvという非常に高い線量で即時避難となるが、いずれも被ばくが強いられる。PAZは放射能放出前の「事前避難」とされているが、全面緊急事態の判断基準には「毎時5μSv以上の放射線が10分間継続」して観察される条件も入っており、避難時にはやはり被ばくを強いられる可能性が含まれている。
複合災害時には、量的にも質的にも異なる被ばくを強いられることになる。特にPAZにおいて遠方への事前避難ができないと、高線量下での屋内退避が強いられる。家屋倒壊などで屋内退避ができないと近くの指定避難所へ、それも無理ならば車中泊やビニールハウス等での避難が強いられる。指定避難所に入ることができたとしても放射線防護の考慮はなにもされていない。いずれの場合も急性障害が問題になる高いレベルの被ばくを強いられる恐れがある。放射線防護を放棄する規制委の開き直りを許してはならない。規制委の姿勢を各地で暴露しよう。
(4)地震は内閣府の複合災害対応策が機能しないことを示した
交渉で内閣府は規制庁とは違う対応をみせた。地域ごとに作成する「緊急時対応」において、既に複合災害に対応しているというのだ。しかしその内容は、近くの指定避難所に避難、それが困難な場合は広域避難、複数の避難経路を確保、道路啓開(緊急車輛通行のための瓦礫処理)に着手しつつ海路避難や空路避難を行う、必要に応じて屋内退避、といったもので、いずれも今回の地震で実際にはできないことがわかったことばかりだ。
PAZの線量が高い地域が被災したり孤立集落となったりした場合、救援活動をどうするのかという問題もある。内閣府の「自然災害及び原子力災害の複合災害にかかる対応について」という文書には、自然災害への対応を先行するとあり、PAZにも消防などの実働組織を送る手はずになっている。福島第一原発事故のとき、原発から6㎞の浪江町請戸で救援準備を整え夜明けを待つ消防団に避難指示がでたのは地震から15時間後の3月12日午前5時44分、無念の退去が余儀なくされた。そのような時間で救援、道路啓開、避難まで完了することなどとうていできない。
交渉の場で内閣府は、地震の教訓を志賀地域の今後の緊急時対応の策定に反映させると強調した。志賀地域に矮小化したいのだ。しかしこれは全国で問題になることであり、内閣府は既にある緊急時対応についても原発を止めて検証し直さなければならない。
【3】活断層の過小評価が明らかに…全国の原子力施設で再審査が必要
(1)能登半島沖の長大活断層の存在は指摘されていた…活断層学会会長の問題提起
今回の地震の余震域は、能登半島の北岸を東西方向約150㎞に延びる細長い帯状に分布する。政府地震調査委員会会長の平田直氏は地震直後の会見で150㎞の未知の活断層が動いたと述べた。これに対し、経産省所管の産業技術総合研究所(産総研)の研究員は「少なくとも4つの断層が連動し長さ計80㎞がずれた」とし、既知の活断層が連動したとの見解を示した。
これに異を唱えたのが活断層学会会長の鈴木康弘氏だ。鈴木氏は新聞紙上で、――海岸近くの活断層を音波探査で調べることは難しい、海底でも陸上と同じように地形から活断層を認定する技術が進んだ、能登半島でも後藤秀昭広島大准教授らが長大な活断層の存在を指摘していた、ところがいまだに音波探査が重視され後藤氏らの成果は反映されていない、音波探査では海底活断層は短く認定されがちで能登半島北岸沖の断層も長さ20キロ程度の短い断層に分割されてしまう、中越沖地震も柏崎刈羽原発の政府の審査で音波探査が過度に重視され大幅な過小評価になった、沿岸活断層の認定を急げ――との問題提起を行った。
能登半島北岸沖の断層を音波探査により20㎞程度に分割して評価していたのは岡村行信氏ら産総研のチームだが、鈴木氏の指摘は、断層を短く分割し、地震の後になって連動したと言い出すやり方を批判し、海底についても地形から活断層を認定する技術は既にあるし、能登半島で長大な活断層を見つけていた、それを防災に採用しないことが問題だというものだ。
(2)全ての原発で活断層評価の再審査を要求しよう
鈴木氏の問題提起に柏崎刈羽原発の審査についての指摘がある。東電・政府は音波探査を根拠に、原発の沖合を海岸線に平行して走るF1B断層の全長を36㎞とし、これによるM7・0の地震を基準地震動にした。これに対し、東洋大教授の渡辺満久氏らは、音波探査と海底地形の連続性から、F1B断層は佐渡海盆東縁断層Aの分岐断層であり、主断層である佐渡海盆東縁断層Aの全長は60㎞以上と認定される、この一部が動いて中越沖地震をもたらした、全体が動いた場合の地震はM7・5以上になる、と指摘した。さらに渡辺氏は、音波探査でみえないからといって活断層がないとはいえない、中越沖地震を起こした活断層が音波探査でみえないことが何よりの証拠だと指摘していた。しかし、東電・政府は、自分たちは産総研の岡村氏らと同じ見解だと言いながら渡辺氏らの指摘を却下した。
下北半島には、六ヶ所再処理工場、東通原発、むつ中間貯蔵、大間原発と原子力施設が林立するが、災害時に避難が困難な状況は能登半島に似ている。渡辺満久氏ら変動地形学者が、海底地形から下北半島の東縁や津軽海峡に長大な活断層が存在すると指摘するも、原子力事業者らが、音波探査を根拠にこれを否定する構図がここにもある。
柏崎刈羽や下北半島に限らず、音波探査を過度に重視する過小評価は全国各地の原子力施設で行われてきた。能登半島地震と変動地形学者の問題提起を受けて、活断層と地震動の再評価を、原発を止めて審査をやり直すよう要求しよう。
【4】原発・核燃サイクルを止めて脱原発に向かおう
能登半島地震をきっかけに、原発止めろとの声が広がっている。島根や関西ほか各地で自治体との交渉や申入れが行われている。各地の裁判で問題に加えられている。運転禁止措置の解除について柏崎刈羽原発の地元で行われた説明会でも地震と地盤をめぐる質問が相次いだ。六ヶ所再処理工場の操業の更なる延期が発表されたが、六ヶ所再処理工場の操業や柏崎刈羽原発の再稼働が延びれば、むつ市の中間貯蔵の操業の根拠も失われることになる。
原子力災害で避難はできず大量の被ばくは避けられない。活断層列島の日本に安全な場所などない。原発・核燃料サイクルを止めよう。脱原発に向かおう。
(SK)