〇国と東電は廃炉計画を見直すべきだ
10月25日、福島第一原発の放射能汚染水を処理する増設ALPSの配管洗浄中に44億Bq/Lの放射能を含む硝酸液のホースが外れ、4名の作業者が身体汚染する事故が発生した。4名は身体除染を行うも、直接汚染水を浴びた2名は汚染度が管理区域退出基準まで下がらず、福島医大へ搬送され入院するという重大事故が発生したのである。福島原発事故直後の2011年3月、事故対応をしていた労働者3名中2名が短靴で高濃度汚染水の水たまりの中で作業しβ線熱傷の疑いで福島医大に搬送、入院する事故であった。それ以来の重大被ばく事故である。
二転三転する事故情報と無責任な東電の体質
事故後の記者会見における東電の説明は二点三点し、未だに事故の詳細な経緯が不明な部分がある。このこと自体が廃炉処理を進める東電の下請け業者まかせの無責任体質を表している。東電は事故発生の10時間後に報道関係者向けメール配信で発表したが、記者会見が行われたのは事故翌日の毎週木曜日に行われる定例記者会見の中での会見開始から4時間近く経過した中で、一項目としての報告であった。
記者から作業員が付けていたリングバッジはα線を測れるタイプかどうかとの質問があったが、東電は根拠もなくα線の汚染はないと強弁した。また当初の発表では作業員は受注した東芝エネルギーシステムズの一次下請けとのことであったが、5日後の会見で東電は「1次請ではなく3次請3社」だったと訂正した。
飛散して飛び散った汚染水の量についても、最初の会見では100mLとの説明であったが、会見中に記者から「タイベックを抜けて皮膚に浸透したのに本当に100mLか」との追及に、説明を撤回するというお粗末さである。結局、飛散量についても5日後の会見で「数リットル程度」と訂正した。それも根拠は「作業員からの聞き取り」によるものだという。筆者は本件に関し継続的に東電会見で追及しているフリージャーナリストのM氏と連絡をとり、飛散量推計方法や以下に説明するようなプラント管理の常識をアドバイスし東電追及を支援した。
44億Bq/Lの放射能を含む硝酸液の回収のため仮設ホースを手作業で設置
硝酸は劇薬である。「ミストを吸入すると生命に危険、重篤な皮膚の薬傷・眼の損傷、飲み込み、気道に侵入すると生命に危険のおそれ」がある。有機物(木くず、紙、布など)と反応し発火の恐れがある。
今回は、この硝酸液に44億Bq/Lの高濃度放射能が含まれているという極端に取り扱いの困難な液体である。今回の事故は、増設ALPSの「前処理設備」から「多核種除去装置」の吸着塔へ送る配管内の洗浄作業中に発生したものである。作業受注者である東芝が発表した写真によれば、この配管洗浄廃液の排出作業は、ALPS本体配管に仮設のホースを接続し、蓋を開けた状態の樹脂製のタンクにホースを突っ込んでいるだけという、プラント技術者から見れば驚くべき状態の作業である。洗浄用の硝酸液を配管に注入する部分も同様に仮設ホースをその都度接続している状態である。年1回の洗浄作業とはいえ3系統あるため年3回このような危険な状態で作業していたことになる。増設ALPSは2014年稼働開始であるので、既に30回もこのような状態で作業していたことになる。一般にプラント設備においては重大事故1回発生の陰に重大事故までには至らない29回程度のインシデントが発生し、さらにその陰には300回程度の、インシデントにも至らないが「ヒヤリ・ハット」する軽微なトラブルがあると言われている(ハインリッヒの法則)。本作業についてもそのような「ヒヤリ・ハット」が既に発生していたと考えられる。プラントエンジニアリングの常識から言えば、そのようなインシデント、「ヒヤリ・ハット」を把握して設備改善に結びつけることは常識である。仮にそのようなことが無くとも、経験あるプラントエンジニア、プラント管理者であれば、作業開始前の安全確認で十分危険性を予測でき、対策をとるレベルのものである。
事故時の作業者は5人増えて10人に、事故は同じ洗浄作業の2日目に発生した
M氏の追及で事故3週間後にようやく具体的なデータが出て来た。なんと当日に作業に当たっていたのは、当初発表の5人の作業者だけでなく、同作業元受けの東芝の設備設計者、放管員など新たに5名も関係していたというのだ。しかも、事故が発生したのは前日の洗浄作業が予定通り終了せず、翌日の作業中に発生したというのだ。更に事故直前に東芝の設計担当者が、洗浄液排出用の仮設ホース取付用バルブの流量を絞ったことなど、新たな重要な事実が出て来た。そもそも設計者がこの種の作業に直接参加するということは、本設備が甚だしく未完成で、種々の作業やトラブルに対する対応が確立しておらず、その都度対応を検討しながら処置していることを示している。東芝の説明では、前日の作業で配管内のスラッジ(水垢状の塊)が洗浄しきれず、スラッジと硝酸が反応したガスが通常より多く発生したため、出口弁を絞ることで配管内の「ガスのみを排出することを考えた」との説明である(この説明自身が技術的に意味不明である)。同時に開示されたポンプ出口圧力のトレンドチャートでは、弁開度調整、ポンプ再起動8分後に圧力が突然急激に160kPa程度まで上昇し、その後もじわじわと上昇し続け、7分後(ポンプ再起動から15分後)600kPaを越えたところでようやくポンプを停止している。東芝の説明では、ホース外れはポンプ停止3分後に発生したとの説明であるが、非常に疑わしい。ポンプ起動8分後の突然の圧力急上昇からポンプ停止までの間でホース外れが発生しポンプを止めたということが実態ではないかとの推測もできる。でなければ、弁開度調整、ポンプ再起動後の15分間、ポンプ出口圧力を全く監視していなかったことになる。真実は未だ明らかでないが、追及によりようやく東芝の弁開度調整という重大な事故要因が出て来たことになる。事故直後の東電の説明では作業班長が別現場に移動し、作業分担が当初計画から変わったこと、その際に作業者が硝酸飛散対応のカッパ着用をしていなかったことなどを事故要因として説明した(それらの事実も重要ではある)が、東芝設計者の弁開度調整とその後の監視体制不備という根本的な事故原因を隠ぺいしようとした可能性も否定できない。
全く不十分な再発防止策―東電の体質
上記、3週間後の東電会見では事故対策も説明された。対策は受け入れタンクの蓋に穴を明けホースを固定、また受け入れタンク周辺に液飛散防止のための仮設ハウスを設けるというものである。ここにも東電の設備管理の欠陥が露わになっている。普通のプラント技術者、管理者であれば、発生した事故そのものの対策だけでなく、「水平展開」と称して同様な仮設設備による手作業、「液飛散、漏れ」の観点から設備全体を見直し、それらへの対策を同時に行うことは常識である。このことが「課題」としてすら挙げられていないということは、「事故が起こってから個別対策をする」という後手後手の管理であり、設備の信頼性は上がりようもない。同様の事故、より深刻な事故が必ず発生すると考えなければならない。
増え続ける高濃度汚染廃棄物の管理
あまり注目されていないが、ALPSを運用するということは、様々な核種を含んだ高濃度放射性廃棄物の塊を生み出すということである。ALPSの役割はデブリに直接触れた汚染水から放射性物質を漉しとるいわばフィルタの役割をしている。ALPSを通すことにより汚染水のトリチウム以外の放射性物質の濃度は一定限減少する。しかし放射性物質そのものは消えてなくなるのではなく、ALPSの前処理設備で回収されるスラリー(粘土の高い液体と固体の混合物)として、またALPSの15基の吸着塔本体に捕捉される。着塔は放射性核種毎に捕捉限度があり、それを超えると新品と交換しなければならない。これらのスラリーや使用済吸着塔はHIC(高性能容器)に保管される。しかしスラリーを回収したHICはその内容物から発生する高放射線により水素ガスが生じ、HIC内圧が高まり汚染水漏れを起こした実績がある。HICからの水素漏れの可能性も否定できず、これを未然防止できなければ、条件によっては最悪HICやHIC保管庫の爆発の可能性もある。またHICはポリエチレン製であるが、これも放射線により劣化、漏れを起こす可能性がある。東電はスラリーの固形化対策やHICの耐用年数に応じた入れ替えなども計画しているが、日常的な点検も欠かせない。既に2022年4月段階でHICは3500台を超えている。現在の計画では廃炉完了までALPSの稼働と海洋放出は続く。
老朽化や点検漏れ、地震などの外乱によりALPS本体やこれらHICからの高濃度放射能の流出、拡散は、労働者被ばく事故に留まらず、再び周辺環境に放射能拡散をもたらすリスクを抱えていることを認識しなければならない。一号機の格納容器を支えるペデスタルという構造体のコンクリートが全て溶け落ちており、地震などにより格納容器倒壊のリスクが注目されているが、ALPS自体も同様な潜在的リスクを抱えている。
根本対策は流入する地下水を止めることと廃炉計画の見直ししかない
そもそも何故、30年以上にもわたるALPS(処理水)汚染水の海洋放出が必要になるのか。それは溶け落ちたデブリへの地下水の流入が止められないからだ。計画当初から問題視された凍土壁は地下水の流入を完全には止められず、今や「スダレ状態」と揶揄される。そして少なくとも30~40年かかると計画されたデブリ取り出しは、既に大幅に遅れることは必至だ。デブリ取り出しをあきらめ石棺化することが現時点では最も合理的でリスクが少ない。これは小出裕彰氏など識者も既に指摘しているところだ。
デブリ取り出しによる廃炉をあきらめ石棺化への方針転換を早急に進めるべきだ。
(A)