「中国貧困撲滅の闘い」(その1)
習近平の「貧困脱却」戦略 もう一つの「革命」

農村の経済的・政治的・大衆的基盤を同時に復活
弱体化し崩壊した党組織の再建に成功

シリーズ「中国:貧困撲滅の闘い」にあたって
社会主義中国における貧困撲滅の闘いについて、シリーズで紹介する。
 2020年末、中国は絶対的貧困を克服した。農村の貧困層9899万人が貧困から脱却し、832の貧困県、12万8000の貧困村が貧困リストから消えた。1978年の「改革開放」以来、40年余をかけて念願の貧困脱却を実現したのだ。それは、共産党と国家が総力をあげた貧困撲滅の闘いの成果であり、歴史的偉業であった。それによって「共同富裕」実現の「第2の100年」への新たな出発点に立ったのである。
 しかし日本において、中国の貧困脱却の成果と意義について全く語られない。それどころか、「脱貧困はウソ」「格差が拡大する一方」などと貧困脱却の現実はねじ曲げられ、貧困村からの移住を「強制移住」などと一部を切り取って中国脅威論の一環として報じられている。「ピークチャイナ論」「中国崩壊論」が繰り返し垂れ流されている。
 さらに深刻なことに、日本を含む西側の左翼・共産主義者の一部は、貧困脱却の長期の苦闘の歴史とその成果を頭から否定し、認めない。中国社会主義の前進や成果ではなく、矛盾と欠陥だけをあげつらい、中国の社会主義的性格を否定する。彼らはこのように自らに問うべきだろう――貧困撲滅が資本主義・帝国主義で可能なのか、と。
 今日、米帝と西側帝国主義の世界覇権体制が崩れはじめ、「脱ドル化」「多極化世界」が急速に進展しつつある、その最大の原動力は社会主義中国の急速な成長である。中国における貧困脱却の実現こそ、その強固な土台、社会主義的基盤となったのである。貧困撲滅なしに、今年に入っての中国の怒濤の外交政治攻勢も、多極化の進展もなかったと言っても過言ではない。しかもその成果は中国一国だけのものではない。「改革開放」以来の7億7000万人の農村貧困脱却は、世界の貧困削減人口の実に7割以上を占める。貧困削減という全人類的課題に巨大な貢献を果たすものだ。
 貧困撲滅の闘いは文字通り、全人民が総力をあげた「人民戦争」であった。その最先頭には共産党員が立った。この闘いの中で、実に1800人の中国共産党員が命を落としている。共産党員の犠牲の上に絶対的貧困の解消が成し遂げられたのだ。これを揶揄したり、「社会主義だから当然」などと過小評価することは許されない。
 とくに帝国主義日本で活動するわれわれは、侵略戦争による虐殺と国土破壊、植民地支配によって、中国の国家と人民に歴史的制約を押しつけてきたことを忘れてはならない。反省と自己批判は不可欠である。後進国社会主義中国の前人未踏の格闘に無自覚であってはならない。貧困撲滅の闘いの現実をよく知ることは、われわれの責務でもある。
 シリーズ第1回目は、中国の研究者と国際的左翼とくに途上国マルクス主義者が共同して今春から発行し始めた『文化縦*横』国際版第2号「中国の極度の貧困から社会主義現代化への道」を紹介する。
  『コミュニスト・デモクラット』編集局 (*「縦」には中国語の「纵」の文字)

 中国の調査研究理論雑誌『文化縦*横』国際版第2号(2023年6月)は、「中国の極度の貧困から社会主義現代化への道」と題する特集を組んだ。巻頭に続く3論文は、「中国の貧困との戦い100周年を綿密に検証し、それを中国の社会主義建設の歴史的経験の中に位置づける3本の論文」として評価され掲載されている。本論説は、巻頭を含む4論文から、あまり知られていない論点をピックアップしたもので、見出しは筆者が独自に付けたものである。それぞれのタイトルは以下の通りである。

・巻頭「社会主義は歴史的過程である」
・「社会主義3・0 中国における社会主義の実践と展望」(2015・4)
・「貧困との戦い 革命後の中国におけるもう一つの革命の実践」(2020・6)
・「ターゲットを絞った貧困削減は中国の農村統治構造をどう変えたか?」(2020・6)

社会主義の概念と中国をめぐるイデオロギー論争

 近年、中国の研究者と途上国のマルクス主義者の間で共同の調査研究活動が活発に行われている。それに伴い、先進国のマルクス主義者と呼ばれる人たちとの見解の違いや対立もますます鮮明になってきた。その根底にあるのは、これまでの社会主義国が途上国、中国に至っては最貧国から誕生したという異常な困難を先進国の人たちが全

く無視することである。社会主義の理論は、先進資本主義の土台の上に生まれたが、中国の実際の社会主義は半封建・半植民地の根本的に異なる後進国ウクラードの土台の上で生まれた。そこから、中国社会主義の独特の想像を絶する複雑な紆余曲折の困難と苦闘のプロセスが始まった。それに対して、帝国主義の側にいる人々の間からは、絶えず新しく変化していく豊かな現実と向き合い捉えようとせず、現実から離れて旧命題の中に安住したり、起こっている現実を侮蔑したりする人が現れている。物質的条件が整わない条件下の中国では、なおさら教条や図式通りに平坦に社会主義建設が進むことなど不可能で、ありえないことである。その実際のプロセスに対して、杓子定規な対応で冷淡に否定することなど許されることではない。グローバル・サウスの側からは、西側とは異なる新しい開発プログラムを求め、「世界は新しい社会主義的開発理論を必要としている」の声が上がっている。
 巻頭論文は、「今日、社会主義の概念は激しいイデオロギー闘争の中心にある」が、それは「社会主義が工業化とともに歩んできた歴史的プロセスであるという現実を無視したまま、しばしば思想のレベルにとどまっている」からであると厳しく批判する。そしてソ連崩壊後の中国の生死をかけた工業化、改革開放の意義を次のように指摘している。「中国において、工業化の歴史は、その多くの段階、進歩、試練、過ちを通して、社会主義の建設と切り離せないものであり、今も切り離せないものである。20世紀末の数十年間、世界的な社会主義運動はソビエト連邦の解体によって衰退し、この間、中国の社会主義体制は鄧小平の指導の下、改革開放によって自己変革を遂げた。当時、この新しい方向性は、中国の社会主義プロジェクトの終焉であり、中国の資本主義路線の始まりであると、政治的な見地から解釈されていた。しかし、このような最初の評価は、国外と国内の双方によるものであり、中国の改革の社会主義的性格を評価するのに必要な情報と歴史的距離が欠けていた」と。
 さらに社会主義の概念をめぐるイデオロギー論争に不可欠な要素として、鄧小平の歴史的役割を指摘する。「革命後30年経っても中国は非常に貧しい国であり続け、ほとんどの国民が極度の貧困にあえいだ状況の中、鄧小平は『貧困は社会主義ではない、社会主義は貧困をなくすことだ』と宣言し、国の現代化の必要性と人々のより良い生活の必要性に対応する新たな道を切り開こうとした。民間資本の再導入と中国の国際経済システムへの統合は、国の生産力を急速に発展させる努力の一環であり、戦略的に特定の地域を優先させ、『先に豊かになった者が他の者を助ける』ようにした」と。しかし、この言葉も切り縮められ歪曲されていることを批判する、「欧米では故意か無意識か、この定式はしばしば『一部の者が先に豊かになる』ことに還元され、共同富裕という目標に向かって『他の者を助ける』責任を社会の富める者に負わせるという発言の後半部分が省略されている」と。

習近平の「貧困脱却」戦略 ――もう一つの「革命」――

 胡錦濤時代までの広い意味の鄧小平の社会主義時代は、経済の未曽有の飛躍的発展の一方で、格差の急激な拡大、腐敗の広がり、労働者と生産手段の分離の拡大、農村の衰退と農民の貧困化をもたらし、「深刻な危機の基礎を築いた」。
 このような情勢を突破する任務は習近平に託された。2012年の中国共産党第18回全国代表大会で習近平は、「貧困をなくし、人民の生活を向上させ、共同富裕を実現することは、社会主義の必須条件である」と強調し、「貧困削減は党と社会全体の中心的課題」と位置づけ、党総書記が自らその完遂に責任を負った。貧困脱却に対する党のアプローチは、従来の「テクノ官僚的アプローチ」から、「運動型ガバナンス(大規模な仕事を迅速に完了するために大量の人的・物的資源を動員する)の『貧困との戦い』」へと転換した。
 貧困削減の「革命化」は、革命後の時代において、単なる大衆運動や社会動員ではなく、むしろ改革開放の過程で中国に現れた不平等の拡大、つまり「中国共産党の基本理念と矛盾する不平等に対する政治的な象徴的対応」であった。言い換えれば、中国共産党は革命後の時代において、「社会的富の分配という国家的・世界的問題」に対処するため、その「歴史的な革命課題」を復活させたのである。中国現代化への道筋を固め、「本来の志と建国の使命に忠実であり続けよう」と全党に呼びかけたのはそのためである。中国革命の本質的な任務が「未完のまま」なのである。
 この戦いにおいて、中国共産党は、政治的・制度的手段を駆使し、社会経済的資源を貧困削減に向けて継続的に再配分した。「この資源動員は、間違いなく中国史上最も集中的かつ強力なものであった」

「ターゲットを絞った貧困削減プログラム」

 改革開放後の数十年間、農村は農民工となって働く農民の都市への大移動で空洞化し、中国の村落は生活共同体としては弱体化し、崩壊さえした。農村改革では、人民公社が解体され、集団農業制度に代わる戸別生産請負責任制は生産増をもたらす一方で、村民委員会の設立による村民自治や村落共同体の再建は困難を極めた。村の指導者は、村の組織者としての役割を果たせなくなった。2006年に農業税の徴収が廃止され、「工業が農業を育て、都市が農村を支える」という政策が始まったが、実際にはなかなか進展しなかった。農村や農民のあいだに改革開放の恩恵の外に置かれた人々が集中したのである。
 2013年に開始された「ターゲットを絞った貧困削減プログラム」は、極度の貧困の撲滅を中心目標に掲げ、8年間にわたって展開された。習近平は非常に実務的な「ターゲットを絞った貧困削減」の具体的方針を提唱し、「第1に貧困者の特定、第2に貧困者のニーズに合致したプロジェクトや援助の実施、第3に資金の供給と使用、第4に各家庭に適した対策の実施、第5に個々の村落で貧困削減対策を実施するための党幹部の派遣、第6に貧困削減が期待に沿ったものであったかどうかの評価」という6つの分野での緻密さを要求した。
 さらに政府は、農村の商品やサービスの購入を促進することに焦点を当てた「消費による貧困削減」や貧困削減ワークショップ、民間企業を動員して農村の貧困緩和活動に貢献させる「1万企業が1万村を助ける」プログラムを導入した。

常駐作業チームの派遣 党組織による農村ガバナンスの復活

 「ターゲットを絞った貧困削減の目的は、農村の人々の当面の物資需要を満たすとともに、村落レベルの党組織を再建し、党と農村の階級的基盤を再び結びつけ、草の根レベルの民主的プロセスと自治を強化することであった」。習近平の指導の下、村、町、県、市、省という5つのレベルの政府の党書記は全体的な責任を負った。300万人以上の第一書記(地域の党組織責任者)と駐村幹部が貧困地域に派遣され、村民の先頭に立った。
 国家公務員の職務への農村サービスの組み入れ、農村統治を支援するための財政的・人的資源の国家による提供、国の行政制度の農村への拡張、村民委員会の自治組織としての成長、村民の公務や民主的な意思決定への参加などの面で、貧困村は大きく前進を遂げることができた。
 2020年末、鄧小平の改革開放が始まってから40年余り、中国は8億人の極度の貧困を撲滅することに成功したと発表した。しかもこの歴史的な偉業は、COVID-19の世界的大流行の最中に、既存の経済的・社会的危機が世界中で深まる中で、特にグローバル・サウスでは何千万もの人々が極度の貧困に逆戻りする中で、目標通り党創立100周年までに達成されたのである。同時に、貧困村の経済的、政治的復活、村民の活性化と村民自治の復活、党組織の再建と復活を成し遂げたのである。

中国社会主義の現代化

 習近平は2022年11月の中国共産党第20回全国代表大会の報告で、「中国の現代化は中国共産党の指導の下で追求される社会主義の現代化である」と、党の強力な指導性と社会主義を改めて強調し、西洋の現代化とは根本的に異なる、中国の現代化の5つの重要な特徴を強調した。「巨大な人口の現代化、万人の共同富裕の現代化、物質的・文化的・倫理的進歩の現代化、人類と自然の調和の現代化、平和的発展の現代化である。中国の現代化は西洋列強が歩んだ戦争、植民地化、略奪の古い道を歩むことはない。他国を犠牲にして富を得るという残忍で血に染まった道は、発展途上国の人々に大きな苦しみをもたらした。我々は、歴史の正しい側、人類の進歩の側にしっかりと立つ」と宣言した。中国において、社会主義と同様に現代化を定義し、「この概念を西洋のヘゲモニーから奪い取る」闘いは、現代における重要なイデオロギー闘争であると位置付けられている。
 「貧困との闘いが中心的な役割を果たす中国の社会主義現代化への道が、世界的に重要な意味を持つことは疑いない。それは西側の資本主義的発展に代わる道であり、グローバル・サウスの人々や国々が、人間の尊厳と国家主権をしっかりと守る独自の現代化、そしておそらくは社会主義への道を追求する可能性を示している」。
 2021年に絶対的貧困を撲滅したことで、中国は中程度に豊かな社会を建設するという最初の100周年目標を達成した。そして、「豊かで、強く、民主的で、文化が先進的で、調和のとれた、美しい社会主義現代化国家」を建設するという2番目の100周年目標を達成するために、中国共産党はこの戦いを続け、相対的貧困と不平等に立ち向かい、共同富裕を実現していくであろう。


(渉)

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました