島々を戦場にするな! 沖縄を平和発信の場に!5・21平和集会in北谷

会場地になった北谷は「オキナワ」を表現する

 2・26集会に続いての「争うよりも愛しなさい」集会(主催・実行委)が北谷町の球場前公園広場で開催された。
 会場の北谷町(以前は北谷村)は、1945年4月1日、米軍の本島上陸地点。即時に占領され、住民はここに住むことが拒絶され、県内有数の穀倉地帯であった平坦地から追い立てられた。困窮しながら自力で住宅地を開拓し、米軍基地内での就業を余儀なくされた。今は嘉手納空軍飛行場など4か所の米軍関係施設が存在している。米軍の離着陸の航路上にあり、住民の生活はその爆音によって著しく苦しめられている。
 81年12月、キャンプ・フォスター内のハンビー飛行場が返還され、98年、美浜アメリカンビレッジがオープンされ、若者に人気のある県内有数の観光スポットとなっている。
 また最近、嘉手納基地由来のPFASを含む汚染水が河川・湧水として流れ、北谷浄水場に集中され、飲料水がそこから供給される住民47万人の健康に危害を与えているとして問題が浮上している。
 まさしく「北谷」は、「オキナワ」が抱える「課題と現状」を集中する「象徴」となっている。もちろん「平和行政を核とする」北谷村長は、集会で「平和発信」を行い、集会参加者に歓迎と敬意を熱烈にアピールした。

2千人台に乗せた参加者 県内大集会への大きな歩み

 すでに沖縄は梅雨入りし、当日も今にも雨が降り出しそうな曇天。それでも熱線がお構いなく照射する南国特有の天候での蒸し暑さ。参加者は日陰を求めてあちこちの大樹の陰で分散している。
 結集があまりよくない。でも最終的には2100人の人々の参加となった。2千人台はクリアできた。隣接する2か所の大規模駐車場が満車で集会場にたどり着くのが遅れたのであろう。交通網が整備されず、自家用車に依存せざるを得ない。戦前にあった鉄軌道が破壊され、平地が米軍地に占拠され、なかなか鉄道敷設が進まない困難さが理由の一つとなっているのではないだろうか。
 もし、先日の集会より出遅れる事態になれば、県規模の大集会の開催の目標がご破算になりかねなかったかも。まずは一安心。

新しい風を持ち込んだ集会

 会場には、ミサイル写真展・PFAS展。子どもたちへのプラカードづくりのブース。キッチンカーも出ていた。戦争への危機感を示す黄色のリボンを身に着けた人たちも多く見受けられ、また若者や親子連れも多く、いつもの集会と違って老若男女が集う〝軽やかさと華やかさ〟を醸す風景が現れた。そして、いつもの右翼の街宣車の妨害の大音量に対応するスピーカーが用意され、妨げられることなく聞くことができた。その効果か?!特に若者や女性の声が心地よく響き、爽快感を与えてくれた。

琉球弧を結び付け、様々な階層の人々が重なりあった交流の実現

 今集会の特徴は、第1に、発言者を

県外に広げ、鹿児島県の奄美と琉球諸島最北端の種子島の西方12㎞に浮かぶ馬毛島の報告を受けたことである。報道でほとんど取り上げられることはないが、闘いへの関心を大きくするためには重要だ。
 「馬毛島問題」。政府は島に滑走路や駐機施設などを整備し、現在硫黄島(東京都)で行われている米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)を移転する計画である。自衛隊基地の工事が1月から始まり、4年の工期で完成を目論んでいる。種子島漁協の漁業権を約20億円で消滅させ、現在、環境影響評価に着手している。島は11年に国・防衛省によって辺野古予算160億円で買い取られた。島を象徴する「トッピー」と呼ばれるトビウオや伊勢えび・ブリ等の豊かな漁場として知られ、「宝島」と呼ばれている。また、固有種のマゲシカが自然の中で育っている。
 工事で関係者4千人が馬毛島に乗り込む。種子島での家賃の高騰、島を結ぶ交通の混乱と島内での騒音、景観・生活風景の変化で混乱が生じるのは必然だ。完成後は沖縄と同様に騒音等の基地被害が続出するであろう。
 地元の西之表市長は基地反対を主張し、現在、2期目を更新したにも拘わらず、工事中止を求めず、米軍再編交付金の増額を要求するなど、当初の基地反対の公約を裏切り、沈黙を決め込んでいる。反対住民は市長リコールに乗り出した。闘いで明確に建設の即時中止を要求していくことが求められている。
 奄美では、防衛省が19年、奄美陸自駐屯地を開設した。ミサイル部隊に加え、電子戦部隊も配備されている。新たにもう一つの基地瀬戸内駐屯地では弾薬庫5棟が建設中。「キーンソード」では米軍も訓練に参加した。
 共に闘いに参加することは困難なものの、交流を強め互いに刺激を与え、教訓を学びあうことによって、諦めない勇気を共有することは可能だ。握り合った手をしっかりと結び合わせることを願う。
 今集会の特徴の第2は、リレー発言者の13名のうち、9名が女性だったこと。それぞれの人が運動の最前線で活動していることがわかり、感動させるものであった。
 その中の一人。最近の4月、「自衛隊の弾薬庫等建設に反対する沖縄市民の会」に入った、小学生を持つ女性。いつもなら天候の好い休みの日は、家族でバーベキューに行っているという。しかし、地域や学校で沖縄戦の体験者たちの話を聞いて「沖縄で育つ」意味を問い直したという。地域の老人は、疎開先から帰ったら、親がいない。家も焼かれてなかった。一人になっていた。寄るべき人が一人もいなくなった。南部の戦線で体験した人から伺った話。火傷を負った赤子をなんとか、助けて連れて行ってと周囲の人たちに懇願したが、かなわずに置き去りにした。親はかろうじて生き延びたが、我が子を助けることができなかったことの自責の念を一生持ち続けた。それらのことを戦場にもなりかねない現状と子どもを持つ親の身と重ねると耐え難い。国は戦場にすることに責任を持たない。弾薬庫を住民の生活圏に作り、危険極まりない事態に追い込んでも何の痛みも感じないでいる。だからこそ、私しか守れないと、涙をこらえて話した。
 その究極の言葉が「命どぅ宝」。沖縄戦の非道さ・残酷さ・凄惨さは、この対極にある。「沖縄戦」の体験を継承し、その実相と教訓を学び、広げていこう。地域や学校で。さらに若者たちへと語ってくれたと思った。

今秋の大結集に集おう! それぞれの地で闘いを進めて!

 すでに会場は確保されている。那覇市の奥武山公園。シルバーの世代が汗を流し、闘いを継続してきた「オール沖縄」は、世界も認める屈指の反戦平和を担ってきた運動団体である。若い世代が、「時代にそぐわない古いパターンに固執する運動体」ではなく、幾多の弾圧に屈せず闘いぬいていることに敬意を示し、それを評価し確認したことも、この集会の成果であった。世代間の分岐も克服されようとている。全国で首尾一貫して、政府の「台湾有事=抑止力の強化の名での日米一体となった対中大軍拡に対して闘い抜いているのは沖縄以外にないと言えるであろう。各地での闘いの高揚を切に期待したい。           (沖縄N)

島々を戦場にするな! 沖縄を平和発信の場に!5・21平和集会宣言
 馬毛島および種子島、奄美大島、沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島。軍事拡大に脅かされる島々の想いを一つに私たちはここに集い、平和への強い想いを込めて宜言します。
 私たちの願いは一つです。これからの子どもたちのためにも、戦争のない平和な世界を残すことです。それは、豊かな自然を、軍拡の破壊から守るということでもあります。
 日本政府は私たち住民の手の届かない場所で物事を決め、いわゆる南西諸島の軍事拡大を進めています。閣議決定した安保関連3文書は日本国憲法の平和理念にも反する軍事大国化計画であり、再ぴ国策により沖縄・南西諸島の島々を戦場にする動きに他なりません。
 政府が守るのは住民ではなく国家です。
 「軍隊は住民を守らない」というのが沖縄戦の教訓です。
 戦争は、すべての自由や権利を奪います。シニア世代も子育て世代も若者も子どもたちも老若男女問わず、いま私たちは平和に生き延びることを本気で考えなければいけない時がきています。日中友好条約は先人達が残してくれた平和への資源です。日本の各都道府県・市町村は、中国全土の数多くの省や市との姉妹都市・友好都市提携を結んでいます。隣国に向けるものはミサイルではなく、平和です。日本全国で日中の平和外交・民間交流ヘ推進の声を上げていきましよう。
 琉球は日本国憲法ができる何百年も前から「非武の邦」として平和国家を実践し、信頼の中で「万国津梁(ばんこくしんりょう)」世界の架け橋を担いました。
 その子孫である私たちもまた、沖縄を世界平和の架け橋とする使命のもとに、手は他者の手とつなぐため、足は東アジア・世界に飛び立つため、目は相手に信頼の眼差しを向け、口は言葉を交わしあい、歌を歌い、智恵は私たちの平和をつくるために使いましょう。
 中国に「以民促官(いみんそっかん)」という言葉があります。私たち一人ひとりの声が、「官」すなわち政治を動かすことができるということです。
 未来の命に促され、過去の命に励まされて、大きな力を恐れず、勇気を得て、私たちは、私たちの島々を守っていきましょう。

 2023年5月21日 島々を職場にするな! 沖縄を平和発信の場に! 5・21平和集会実行委員会

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