憲法シリーズ (その1)
9条改憲反対 対中戦争準備反対と結合して闘おう
参議院選挙で改憲派に3分の2をとらせるな

[1]「4項目改憲」は部分改憲ではない本質的危険を暴露しよう

(1) 岸田首相は「安倍4項目」を引き継ぐことを明言し、安倍・菅政権でなしえなかった改憲を本気で進め始めた。昨秋の衆院選で改憲派が3分の2を超えたからである。自民党・憲法改正実現本部は、5月に向け、4項目の草の根改憲運動を展開するよう全国の議員に通達した。維新は国民民主をまきこんで憲法審査会の定期的な開催を主張し、岸田政権を突き上げている。
 7月10日に予定される参院選が今年の最大の政治決戦となる。参院選で改憲勢力が3分の2を獲得すれば、一気に改憲国民投票に動きだすことは確実だ。岸田自民と維新、国民民主が、競うように改憲機運を高めようと活動を強めている。日本の反戦平和運動、護憲運動、民主主義運動にとっての正念場となる。通年闘争として改憲阻止を掲げて闘おう。

(2) 安倍4項目とは、①憲法9条への「自衛隊」の明記と「戦争放棄」の放棄、②人権を制限する緊急事態条項の新設、③参議院の合区解消、④教育環境の整備である。任期中改憲を掲げた安倍首相は、一方では集団的自衛権を合憲とする閣議決定を行い、2015年戦争法を強行成立させて9条の骨抜き化を進めながら、他方では「自民党改憲草案」=全面改憲を断念し、4項目を先行させる戦略に転換した。
 「自民党改憲草案」とは自民党が下野していた2012年に作成された全面改憲の草案だ。彼らが目指す改憲の全体像、国家像が明示されている。憲法を、権力を縛る規範から人民を縛る規範へ180度転換し、9条改憲=国防軍創設をはじめ、前文の全面改定、先の大戦への反省の削除、天皇=元首規定、愛国心の強要と国民の国防義務、国旗国歌尊重義務、基本的人権の制約、表現の自由の制限、公益による人権制限、家族の尊重義務、教育の国家への奉仕、文民統制の削除、徴兵制容認、憲法の最高法規性の削除、緊急事態条項の新設等々すさまじい内容である。
 だが、4項目が「改憲草案」に比べて部分だと考えてはならない。①9条は100を超える憲法条文の単なる1つではない。過去の侵略戦争の反省の上に立った戦力不保持・戦争放棄は憲法全体を貫く普遍性をもつ。そして、②戦争には前段階として緊急事態条項、つまり言論の自由の圧殺や国家機密の保持、首相への権力集中などが必要になる。9条改憲と緊急事態条項はセットなのだ。③合区は自民党支配の強化につながり、④教育環境の整備とは、教育の政治支配、戦争容認の愛国心教育、民族排外主義教育である。安倍4項目は、「自民党改憲草案」=全面改憲の最も本質的な条項、部分改憲に留まらない本質的危険を持つ。一旦改憲を容認すれば、改憲派はさらに増長するだろう。初発で阻止しなければならない。

[2] 改憲容認の世論誘導、反中・嫌中イデオロギーと闘おう

(1) 毎日朝から晩までメディアが垂れ流す反中・嫌中プロパガンダが人々の意識状況を変質させている。改憲を容認する世論誘導が進んでいる。朝日新聞の例を挙げれば、 4年前の5月時点で9条「改正」賛成37%、反対40%だったのが、昨年10月の世論調査では賛成47%、反対32%と逆転した。憲法そのものについても「変える必要がある」が45%と、「変える必要はない」の44%をわずかに超えた。
 この背景には、明らかに、日本政府の対中軍拡・対中戦争準備、メディアの反中・嫌中プロパガンダがある。「人権」を口実にした対中国家分裂策動や内政干渉政策がある。自民党や維新・国民民主は、国民を「中国脅威論」「中国の悪魔化」に世論誘導できれば、改憲に有利な意識状況を作り出せると考えている。「憲法を変えて自衛隊を認め、抑止力を高めなければ中国が攻めてくる」「習近平独裁は何をするか分からない」と。2月1日には衆院本会議で、与野党の圧倒的多数の賛成で「中国人権状況非難決議」を採決した。通常国会では「経済安全保障推進法」が焦点の一つとなる。中国と戦争するには日本企業の対中経済依存を引き下げねばならないからだ。これらの反中・嫌中政策の裏で、安倍元首相や極右勢力が圧力を加え、岸田はこれに迎合し、脆弱な政権基盤を維持しようとしている。われわれは「中国非難決議」にも「経済安全保障推進法」にも反対である。
深刻なのは、反中・嫌中での与野党翼賛体制である。中でも日本共産党の強硬な反中・嫌中姿勢は野党全体を右へ誘導するという意味で犯罪的だ。同党は、「ウイグル人権抑圧」「中国覇権主義」「台湾侵略」「武漢ウイルス」「尖閣への領海侵犯」等のデマゴギーを垂れ流している。赤旗は新年1/15号で「人権侵害の是正ただちに」と報道し、「北京五輪外交ボイコット」の先頭に立った。また昨年12/23号には、南京大虐殺犠牲者追悼式の内容を報道するのでもなく、日本軍国主義による南京大虐殺の戦争犯罪を糾弾するのでもなく、何と南京大虐殺犠牲者数の政府見解に疑問を呈した中国の一教員を支持し、それに対する中国政府の対応を「言論封殺だ」として非難した。
 与野党一体となった反中・嫌中イデオロギーを打破しなければ、改憲阻止の闘いを成功裏に進められない。改憲に反対しながら、反中・嫌中の政治・イデオロギー報道を振り撒くのは許されない背信行為だ。

(2) 改憲阻止を人々の間で訴えていくには、そもそも現行憲法がなぜ、どのようにして成立したのかを明らかにする必要がある。アジア太平洋戦争、明治以来の天皇制日本帝国主義による朝鮮・中国・アジア太平洋全体に対する侵略戦争と植民地支配の罪業、侵略的過去を歴史的事実に基づいて訴えることが不可欠だ。これら被侵略国民族の二千万人、三千万人の尊い犠牲の上に、さらにはファシズム的天皇制と侵略戦争に闘いを挑み特高警察に虐殺された日本の共産主義者や社会主義者、民主主義者の犠牲の上に成立したこと、日本軍国主義は米帝国主義に敗北しただけではなく、それ以前の長い侵略と植民地支配に対する中国・朝鮮の民衆の抗日戦争、抵抗闘争にも敗北したことを訴えていく必要がある。今日の日本の多くの人々はその重みをほとんど自覚していない。戦後長期にわたり、欧米の帝国主義諸国のように他国を侵略したり殺し殺されたりしなかったのは、こうした尊い犠牲の上に打ち立てられた憲法があるからだということを訴えていく必要がある。
 憲法9条は元より日本国憲法そのものが、敗戦当時の反ファシズム戦争の勝利の世界的力関係を反映し、被害国人民の強い圧力によって、敗北した天皇制日本帝国主義に押し付けられたものである。敗戦当時の日本人民の深い反省の上に形成されたものである。敗戦日本は、明治以来侵略に次ぐ侵略を続けた天皇制と軍部を頂点とする絶対主義的・ファシズム的天皇制の侵略国家機構の解体を強いられたのだ。
 日本国憲法は、天皇が絶対的な統治権(天皇大権)と軍隊の命令権(統帥権)を持ち、国民は天皇に絶対服従する「赤子」にすぎないという半封建的な明治憲法を根底から覆し、民主的変革を体現するものとなった。従って、この憲法を改悪するということは、敗戦の結果を覆すこと、明治憲法を別の形で復活させることである。侵略戦争と植民地支配を肯定することであり、民主主義的獲得物(国民主権、平和主義、基本的人権)を放棄することだ。
 米占領軍は日本統治に天皇制を利用するため「象徴」として残した。しかし、戦前・戦中の侵略は天皇を担ぐ天皇制軍隊(皇軍)であり、天皇と軍隊は一体であった。天皇制を残すには、9条を根幹に据えるしか許されなかったのだ。だから象徴天皇制を残しながら、ましてや元首化しながら、自衛隊を明記することはこの侵略機構の復活を狙うことを意味する。
 それだけではない。そもそも現行憲法は矛盾物である。象徴天皇制の存在は国民主権と相容れない。君主制原理と共和制的・民主主義的原理は対立物である。われわれは、象徴天皇制の儀礼的存在からの逸脱と政治利用の拡大、天皇の権威付けに反対し、象徴天皇制そのものに反対する。憲法の平和主義的・民主主義的条項の徹底・貫徹は、後世のわれわれに残された永遠に侵略戦争を放棄する責務なのである。
 自民党が改憲に進もうとする度に、侵略的過去を知る日本の人民と近隣の被害諸国人民は声を上げてきた。他国は憲法を頻繁に変えたのだから日本も変えるべきだという軽い安易な考えは許されない。歴代自民党政権や極右勢力は、侵略的過去を公然と否定し、それどころか美化・礼賛するようになり、戦争犯罪を公然と否定するまでになっている。侵略的過去を忘却することは、多大な犠牲の結果をないがしろにすることである。
 今年は日中共同声明から50周年だ。声明は「一つの中国」に基づく日中国交正常化、中国による戦争賠償の放棄とその後の日本による経済協力提供、両国の平和共存と友好を定め、その後の日中間の友好と協力の道を開いた。このとき「尖閣諸島」問題についても、中国側は、日本が日清戦争に乗じて掠め取った事実を不問にし、領有権問題については棚上げするという合意を認めたのである。ところが日本はこの合意を踏みにじり、2012年に尖閣諸島を国有化するという暴挙に出、最近では「台湾は中国の不可分の一部」という中国の立場を尊重する合意を無視して台湾の分離を唆すような行動を取り、さらには中国が台湾に攻め入るかのような極右議員の暴言を野放しにしている。

(3) 反中・嫌中だけではない。韓国・朝鮮民主主義共和国への民族差別・民族排外主義も改憲を誘導している。日本政府は、65年の朴軍事政権と結んだ日韓基本条約と関連協定を根拠に「解決済み」と強弁し、日本軍「慰安婦」問題や徴用工問題など、現に賠償

請求訴訟となり最高裁が賠償を求める判決を下した問題についても、一切拒否している状況だ。最近では、朝鮮人強制連行の事実を覆い隠して佐渡金山遺跡を世界遺産に推薦するという暴挙に出た。京都ではウトロ地区放火、名古屋では民団・韓国学校への放火、民団大阪府枚岡支部へのハンマー投げ込み、大阪府では知事が先導した表現の不自由展への会場貸し出し拒否、アニメ映画「めぐみ」を特定したすべての児童生徒への鑑賞の強制。東大阪では民族学級への議員による攻撃、フジ住宅ヘイトハラスメント裁判での会社側の居直り、等々。一方で、武蔵野市では外国籍住民を含む市民投票条例に対する全国の極右勢力からの集中攻撃によって条例否決に追い込まれる言語道断の事態が起こった。排外主義、ヘイトクライム・レイシャルハラスメントへの毅然とした批判と世論形成が重要だ。

[3] 一線を超えさせるな 9条明文改憲は対中先制攻撃戦争に道を開く

(1) 対中軍拡・対中戦争準備を推し進める日本が9条改憲をしたらどうなるのか。自民党や改憲勢力は、国民の間に自衛隊は認められているのだから現状を追認するだけでなんの変更もない、と主張する。しかし、それはウソだ。
 自民党歴代政権は、9条の条文上、自衛隊が明らかに違憲状態にあるのに、「戦力ではない」「日本を守る実力組織」「専守防衛」「集団的自衛権は認められない」等の屁理屈をこねて自衛隊を正当化してきた。そんな自民党が「変化はない」と言うのである。自衛隊はいったいどのような危険な変質を遂げるのか。それを考えねばならない。
 2014年、安倍内閣は閣議決定によって、従来憲法違反とされた集団的自衛権を合憲とし、翌年の戦争法強行制定で、集団的自衛権を前提に存立危機事態、武力攻撃事態、武力攻撃予測事態等を設定し、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ」と、法案上は「存立に関わる限り」という条件で自衛隊の参戦への道を開いた。朝鮮有事への自衛隊参戦、海外派兵、武力行使が可能となった。しかし、まだ自ら攻撃をしかけ戦争を遂行することはできない。
 ところが、戦争法成立後、米帝国主義が対中戦争準備を加速する中で、日米同盟=日米安保体制は実態面で対中戦争準備を強めていく。自衛隊は米軍および欧州やオーストラリアなど他の帝国主義軍隊との共同演習・一体化を進め、これらの国々が中国と戦争を開始すれば参戦する「自動参戦体制」を作ってきた。さらに敵基地攻撃能力の名のもとに中国に先制攻撃をする能力を追求し始めた。これら全ては日本の防衛とは何の関係もない。
 今、9条改憲をするということは、日本と自衛隊を対中戦争の先兵とすることを意味する。

(2) 戦後9条は掘り崩され、空洞化されてきた。にもかかわらず、なぜ自民党や極右勢力は、さらなる9条改憲を要求し続けているのか。それは、集団的自衛権を認めるまでズタズタにされても、9条が最後の一線、米軍と共同で他国への侵略攻撃をすることを縛っているからである。
 アフガニスタン戦争とイラク戦争で、日本の自衛隊は、戦後初めて、現に闘われている戦争に協力するため自衛隊を派兵した。アフガニスタンでは有志連合軍への海上給油活動を、そしてイラクでは戦後初めて陸上自衛隊を海外派遣し、南部の都市サマワで「復興支援」と「給水活動」を行った。だが憲法9条と整合性を持たせるために政府はトリックを使わざるを得なかった。前線と後方支援(兵站)を分離し、後方は戦場ではないと強弁し、サマワを「非戦闘地域」と言い、戦争に参戦したのではないと言い張った。
 日本は明らかに侵略戦争に協力し、米の大量殺戮に加担した。しかし給油や「復興支援」「給水活動」にとどめたのは、明らかに憲法9条の縛りであった。日本政府は自動的に9条に従ったのではない。9条を盾に自衛隊派兵に反対した反戦運動、イラク違憲訴訟、反対世論が強く、そうせざるを得なかったのである。しかし、この当時、もし9条が明文改憲されていれば、間違いなく空爆に参加し、市街戦でイラク民衆と銃撃戦を行い、人々を殺し、自衛隊員が戦争で殺されていたであろう。
 世論調査で自衛隊を認めているからと、安易に考えるのは間違っている。「何も変わらない」は、改憲勢力の悪魔のささやきである。

[4] 9条と人民生活は直結 軍事費を大幅削減し、人民生活を守ろう

(1) 9条が縛っているのは自衛隊の侵略行動だけではない。憲法は戦争放棄を前提に9条を軸に構成されているが、それは生活と密着している。だから日本の反戦運動は、「軍事費削減と人民生活擁護闘争を結合しよう」を戦略スローガンとしてきた。
 軍事費GDP1%枠、非核三原則、攻撃的侵略的兵器の導入の制限や戦争を前提とした有事研究の制約、「敵基地攻撃能力」や「核戦力」の不保持等々は、9条が日本政府と自衛隊に押し付けてきた「専守防衛」の基本的枠組みの結果である。それは無制限の軍事費の膨張を抑え、福祉や文教予算を圧迫することを防いできた。この事実が忘

れられている。
 徴兵制は違憲(18条)、文民統制(66条)、人権が公益・国益に侵害されない(13条)、思想・良心・信教・表現等人権諸条項等々も、9条の戦力不保持と戦争放棄を前提とした諸規定と関連付けられている。学校教育における憲法教育(戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重の憲法三原則)、自衛隊募集の学校からの排除、大学と軍需産業との結びつきや軍事研究の拒否、テレビ等メディアでの制服組・自衛隊員の露出の制約など、様々な場面で、自衛隊は違憲という認識が教育現場や市民生活を守ってきた。これらは、今も急速に掘り崩されていく深刻な状況にあるが、9条が変えられれば一挙に深刻な事態になるだろう。

(2) 日本国憲法に「国家緊急権」がないのは、戦争を放棄しているからだ。国家緊急権は戦争に国民を総動員するために不可欠だ。緊急事態条項は、「非常時」に限定しながら人権が国益・公益に優先するという日本国憲法の性格を根本転換する。コロナを理由にこの条項を憲法に加えて私権制限、強制措置、情報統制等を正当化しようとしている。しかしコロナ対策、感染症対策は法整備で行うべきことだ。コロナの失政を憲法に責任転嫁するものだ。もともとこの条項は東日本大震災が理由にされた。しかしそれもデタラメだ。自治体レベルでの法整備や適正な運用による事前の準備こそが災害の起こったときに役立つ。真のねらいは、コロナや災害につけ込み、「公益」を根拠に人権を剥奪し、メディアと情報を統制し、国家の意のままに国民を管理・監視することである。「国家緊急権」を憲法条項に盛り込まれるといつでも独裁政権に移行できる。法律で要件を付け加え、際限なく権力を強化できるのである。
 「教育の環境整備」も同じ根を持つ。自民党は維新を引き込むために改憲4条項に教育を組み込んだが、「教育環境の充実」であり無償化ではない。そもそも教育無償化を憲法条文化しよううとは考えていない。「国に役立つ人材づくり」を憲法に明記することは、個人の「人格形成」ではなく、教育の政治支配、教育の国家への奉仕、愛国心教育だ。また、私立学校への補助の「適正化」の名の下に朝鮮学校を補助対象から排除することを憲法で明記することだ。教育の権利は日本に住む「すべての人」ではなく、「国民」に限定するつもりである。

[5] 国民投票法反対 地域・職場から改憲阻止の声を

(1)  日本維新の会は「改革幻想」を振りまいて支持を拡大し、改憲でも主導権を取ろうとしている。9条と緊急事態条項に「教育無償化」を加えた改憲案の策定に乗り出した。維新の「教育無償化」は、政府施策を超えた私学授業料を無償化することで公立・私立間の競争を煽り、定員割れの公立高校を廃校にしてきた。教育の民営化と新自由主義的教育、愛国心教育、人事考課制度による教員統制、「日の丸・君が代」強制、歴史修正主義、日本の戦争責任の否定、朝鮮学校の無償化からの排除等とセットである。教育の政治支配であり、公教育の解体である。
 大阪府と読売新聞大阪本社は昨年末、包括連携協定を結んだ。情報発信や教育・人材育成など8分野で「連携」するという。既に大阪府は、吉本興業はじめ大手コンビニや飲料、運送、保険等の独占企業と同協定をむすんでおり、大阪府・市を掌握する維新が巨大メディアをも直接影響下に置き、宣伝機関として利用しようとしている。これにIRとカジノの巨大な利権が結びついている。テレビや新聞、街のいたるところに官民連携を口実に維新の宣伝が垂れ流される。最大の狙いは改憲だ。読売新聞は独自の「憲法改正試案」を出している。維新とタッグを組んで改憲をリードしようとしている。絶対に許されない。

(2) 改憲のための国民投票法は、政権=改憲派に圧倒的に有利かつ反対派弾圧のための法律だ。「公務員・教育者の地位利用による国民投票運動の禁止」条項、潤沢な資金力を持つ民間企業などの有料広告などは野放し、テレビ・ラジオ等に「虚偽」や「偏向」報道の禁止規定、外国人の国民投票運動禁止、最低投票率の規定がないなど、国民投票に持ち込まれれば、反対派は決定的に不利になる。国会で改憲案が提案されても国民投票で決着を付けるというような甘い考えはできない。
天皇をはじめ、政府閣僚や議員、公務員は憲法遵守義務を負う。「国家権力を縛る規範」を変えられるのは国民だけだ。改定を権力者が提起すること自体が間違っている。
 「安倍4項目」による改憲策動は、反戦平和にとどまらず、教育、医療、労働組合、反原発、部落解放、女性差別反対、排外主義反対、戦争責任追及等、すべての分野で問題になる全人民的課題である。改憲反対の声を、あらゆる分野で、あらゆる職場・地域から上げていこう。

2022年2月6日 『コミュニスト・デモクラット』編集局


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