帝国主義の攻撃のエスカレーションが、新たな戦闘的フェミニズムを呼び覚まし活性化させている。イラン、キューバ、パレスチナ、レバノンなど、抵抗の最前線、すなわち階級闘争の最前線に立つ女性たちである。抵抗のフェミニズムは、ただ抵抗するだけでなく、「抵抗を必要とする条件を変革すること」すなわち資本主義社会の変革を求め、自らの解放を求めて闘っている。
帝国主義フェミニズム批判の最新の論説の中から、今回は「反帝国主義攻勢におけるグローバル・サウスの女性:イラン、キューバ、パレスチナ、レバノンからの教訓」(アルマヤ・ディーン紙に掲載されたキューバ外交官ペドロ・モンソン・バラタ、2026年4月27日)を以下に紹介する。リベラルの右傾化が進み、「ガラスの天井」を破ったと極右高市軍国主義政権をもてはやすブルジョア的・小ブル的・帝国主義フェミニズムなどとは対極にある、私たちが学び連帯すべき階級闘争の最前線に立つ反帝フェミニズムである。氏は男性だが、国際的に活躍した外交官の経験から、「ジェンダーや女性の人権」が欧米の侵略や制裁の道具として乱用される危険を告発する。
彼女たちは、「救われるのを待つ被害者」でも「外国の慈悲によって救われる受動的な犠牲者」でもない。レーニンが述べたように「労働者女性の解放は労働者女性自身の仕事でなければならない」ことを、実践している女性たちがここにいる。求められているのは、憐みや同情ではなく、敬意と連帯である!
グローバル・サウスの闘争における女性たちの役割
パレスチナ人民へのジェノサイドに続いて、2026年は米帝による資源略奪のためのベネズエラ爆撃で幕を開け、帝国主義の侵略が激化した。元キューバ大使のバラタ氏は、「帝国主義的なあらゆるエスカレーションが、より組織化された強力なフェミニストの反応を生み出す」と主張している。キューバを絞め殺そうとするエネルギー封鎖は前例のないレベルに達し、レバノンでは南部の村々が破壊され絶え間ない爆撃にさらされ、政権転覆を狙ったイランへの攻撃は病院や学校、重要インフラを容赦なく破壊し人々を苦しめているが、そのこと自身が新たな戦闘的フェミニズムを生み出している。
バラタ氏によれば、「グローバル・サウス」とは地理的な区分ではなく、「植民地支配、略奪、強制的な従属状態に苦しめられてきた人々をさす、政治的な概念」であり、こうした搾取の歴史において「女性たちは特別な位置を占めてきた」という。彼女たちの肩には「帝国主義に対する抵抗運動の重荷がのしかかり、今もその重荷を支え続けている」と主張する。それは、西洋中心主義的な視点から、「女性たちを犠牲者に矮小化したり」「反帝国主義運動において不可欠な要素であったにもかかわらず、彼女らを無視したり、偏った形で描いたりする性差別的な傾向」を厳しく批判している。「彼女らの解放は、彼女らの民族の闘争や社会主義と切り離して考えることはできない」のである。
この考察は、コムーナで活躍する女性たちについて語る、ベネズエラのセイコウ・イシカワ日本大使の言葉(4月4日講演)にも通じる。
レジリエンス=回復力
バラタ氏は、グローバル・サウスの闘争における女性たちの役割を、レジリエンス=回復力という概念を用いて語っている。この概念は、労働力の再生産の主な担い手である女性たちの、家事・育児・介護などの無償労働に新たな光を当てている。それは労働者を支え、「資本家によって可能な限り低コストで新世代の賃金労働者を育て」、そのことが「現代の家庭が築かれる家庭内奴隷制の基盤」となっている。帝国主義の攻撃のエスカレーション、危機、封鎖、戦争等々の下で、「女性たちは物資の欠乏の主要な管理者となり」、この労働は「帝国主義的侵略にさらされた人々の崩壊を防ぐ社会的な緩衝材」となっている、というのである。
女性の強さは、「苦しみを組織化し、喪失を闘争へ、抵抗を政治的攻勢へと転換する能力にある」、それが、氏が誇らしげに強調するレジリエンス=回復力であり、グローバル・サウスの女性たちはその能力をいかんなく発揮している。しかもそれは「女性的本質」などではなく、女性たちが社会から否応なく求められてきた役割であり、その変革は「資本主義社会の変革を必要とする」のである。
例えばキューバでは、トランプ政権によるエネルギー封鎖に対して、女性たちが即刻立ち上がって抗議の声を上げ「封鎖を解除せよ」のスローガンを掲げて闘いを主導した。その一方で地域の連帯を組織し、電気を使わずに炭を使った調理から屋上庭園の管理まで、生活を維持するためのあらゆる代替策を模索している。
劇的に状況が悪化しているパレスチナでは、女性たちが物々交換ネットワーク、屋上庭園、相互扶助システムを組織し、絶え間ない攻撃下での集団生活を耐えている。孤立、裸になることの強制など組織的な屈辱を目的とした刑務所制度の中でも、屈することのない抵抗闘争が闘われている。
爆撃と破壊が続くレバノンでは、女性たちが破壊された南部の農業管理を引き継ぎ、種子バンクや伝統的な灌漑システムを組織して、包囲下での食糧崩壊を防いでいる。また、共同のキッチンや地下室に仮設の学校をつくり、早期警戒ネットワークを設置している。病院では看護師や医師たちが新たな爆撃の脅威の下で電気なしで手術を行っている。彼女たちは抗議活動を組織し、戦争犯罪を記録するための記録ネットワークを築き、国際社会の沈黙に抗っている。等々。
これらすべては、西側メディアが黙殺してほとんど報道されることはない。 以上が主としてバラタ氏論説の内容である。以下では、同論説が提起する問題意識を手がかりに、帝国主義フェミニズム批判の代表的な議論を補足的に紹介したい。
白人・西洋中心主義の帝国主義フェミニズム
帝国主義フェミニズムとは、主流の白人・西洋中心主義的なフェミニズムが植民地主義や人種差別と無自覚に結びついたものであり、上中流の西洋(白人)女性を基準として、途上諸国、非西洋・有色人種の女性たちを見下し、「救済すべき対象」として捉えようとする。それは、帝国主義的な政策、とくに軍事的な攻撃・侵略を「救済」「解放」であるかのように粉飾し正当化する口実として用いられている。
インド出身のフェミニスト、チャンドラ・タルパデ・モハンティは、西洋女性を「基準」として、アジア、アフリカ、中東などの女性を「教育を受けていない」「伝統に縛られた」「家父長制の被害者」といった均質で受動的な「救済されるべき」被害者として描く西洋のフェミニズムを、無自覚に自らの植民地主義的傲慢と特権を強化していると厳しく批判している。
また、同じくインド出身のガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクは、西洋の知識人が途上国の女性たちに「代わって語る」ことは、結果として本当の声を抑圧し、自分たちに都合の良い「肖像」を描きかねないと論じ、帝国主義者が女性の権利を「救済」という大義名分を利用し植民地支配を正当化した構造を暴いている。
日本ではほとんど知られていないこれらの論者の厳しい指摘を、私たちは謙虚に受け止めるべきであろう。
「女性を救済する」で侵略を正当化
帝国主義フェミニズム批判の理論家の一人、レイラ・アブ・ルゴド(米国・人類学者)は、2001年のアフガニスタン侵攻に際して、米・ブッシュ政権が「抑圧されたムスリム女性を救う」というフェミニズム的言辞を用いて軍事侵攻を正当化する口実としたと分析している。当時の米大統領の妻ローラ・ブッシュは、「テロリストとの闘いは女性の尊厳と権利のための戦いである」と宣言し、華々しく旗振り役を演じた。日本を含む西側諸国のフェミニストの多くがこれにからめとられ、大合唱となってアフガニスタン侵攻を後押しした。爆撃と暴力が、「女性を救う人道支援」であるかのようにすり替えられ、「救済」の物語に書き換えられたのである。
2026年初頭から始まったイラン侵略戦争においても同じレトリックが使われている。「黒い布をまとうことを強制され抑圧された可哀そうな女性たちを救え」と。西洋で「抑圧の象徴」とされるブルカやヒジャブやチャドルは、現地女性にとっては宗教的帰依やプライバシー保護の意味があり、ときに社会進出のための「動く壁」ともなる、多様な選択の結果である。その意思を尊重することも考慮もせず、知ろうともせず、西洋(白人)女性を基準とした、西洋的な価値観を押しつけるのが帝国主義フェミニズムである。
フェミニズムに接近する極右
ヨーロッパでは、極右が性暴力を移民問題や人種差別に結びつけて、反移民政策があたかも「女性を守る」ように見せかけて女性層を取り込んで勢力を拡大する動きが顕著である。これについて、フランス在住で哲学を学ぶ森野咲氏は、「文明」と「野蛮」を対置する植民地主義的な構図が、「女性抑圧の遅れたイスラム」と「解放された進んだ西洋」の図式で再生産されていると指摘し、西洋の「優越性」を前提として、それを押しつける「帝国主義フェミニズム」であると語る。それが現代の極右政治の中で再利用されている、というのである。(『ふぇみん』連載「極右とフェミニズムの不幸な結婚」2026・6・15より)
極右のフェミニズム接近・利用は、候補者の半数近くを女性が占めた極右・参政党や高市政権の登場など、日本も例外ではない。私たちは、階級的見地を鮮明にするだけでなく、帝国主義的特権を享受していることへの自覚なしには、帝国主義フェミニズム批判を語ることも、自らをこれと峻別することもできないことを、改めて突きつけられている。
(祈)
