3月28日は歴史的な日となった。全米3500以上の都市や町で900万人が街頭に繰り出し、「ノー・キングス」抗議運動の第3弾が展開された。これはトランプ政権に対するこれまでで最大の動員であり、主催者側の集計によると、米国史上最大の人民大衆の抗議行動となった。

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民主党の思惑を打ち破った大衆行動
「ノー・キングス」運動の主催者は、この運動を民主党政治の枠内に封じ込め、大衆の高まる怒りを2026年の中間選挙へと向けることを目的としていた。しかし、大衆はその枠組みを突き破った。
公式主催者がイランに対する米国の戦争を公のメッセージで軽視したり無視したりする一方で、ほぼすべての抗議活動で反戦のプラカードやシュプレヒコールが見られた。公式ウェブサイト「ノー・キングス」には、医療制度から汚職、億万長者に至るまで様々な不満が列挙されていたが、イラン戦争については言及されていなかった。複数の都市の主催者は、イラン戦争をプログラムから除外し、演説者が審査された集会では、反戦の声が封じ込められた。これはイラン戦争との決別を拒む民主党への主催者の政治的依存を反映したものだった。
しかし、大衆はそのシナリオ通りには行動しなかった。「ICE反対、戦争反対」がその日最もよく叫ばれたスローガンだった。対イラン戦争停止は、プラカードにも横断幕にもそして何百万人もの人々の声となって街中に轟き、公式の計画では受け入れられない反対意見として存在していた。
それが今の運動における最大の矛盾点である。政治基盤は民主党と結びついている一方で、街頭で展開される政治はそれを超越しつつある。主催者の「インディビジブル」とその同盟グループは、膨大な怒りを26年の中間選挙に向けた有権者登録運動やメッセージ発信に注ぎ込もうとした。集会に出席した民主党関係者は、危機の背後にあるより深い構造についての説明も、通常の選挙手続きを超えた今後の道筋も示さなかった。その一方で、コード・ピンクなどの反戦団体は、主催者のイラン戦争黙殺を厳しく批判しながら、独自の「イラン戦争反対」「パレスチナ連帯」の要求を掲げてデモに参加し、反帝国主義の声を上げた。さらに、シアトルからニューヨークまで、数千人規模のパレスチナ連帯の人々が集結した。
3月28日に全国各地で見られたイラン反戦・親パレスチナの政治的大衆的運動は、上からではなく、草の根から湧き上がったものであった。主催者の方針に真っ向から反するものだった。その代表的なものがイラン反戦のスローガンだった。さらにベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領夫妻解放の運動と連動した。キューバでは封鎖が強化されており、連日の停電、燃料不足、そして2月には武装侵入未遂事件が発生した。
3月26日、「ノー・キングスⅢ」の2日前には、マンハッタン南部で数百人が集まり、マドゥーロ大統領とシリア・フローレスの解放を要求した。この集会は主流メディアの報道を得られず、ノー・キングスの主催者からも何の反応もなかった。しかし、パレスチナとイラン問題でも主催者の思惑を超えたこの運動は、ベネズエラ・キューバとのつながりを作り出す可能性を秘めている。
ミネアポリスから5・1ゼネストの呼びかけ
移民・関税執行局(ICE)との全人民的闘争に勝利したミネアポリスのステージから、現地のノー・キングスの主催者たちは、次の闘争方針について「メーデーをゼネラルストライキへと転換する」と発表した。5月1日は、仕事も学校も買い物も一切行わない「ナショナル・シャットダウン」で闘おうと宣言したのである。
ノー・キングス運動Ⅲは、抗議行動の規模において最大であっただけではない。意識の面においても変化が生まれ始めている。現在の危機は単に一人の悪しき指導者や腐敗した政権の問題にとどまらず、そのような指導者を必然的に生み出すシステム(体制)の問題ではないかと問いかける。ワシントン州ベリンガムでの先住民ルミ族の演説は、いかなる選挙や政権よりもはるかに深い米帝国主義の歴史的連続性の中にこの抵抗運動を位置づけ、結集した6000人の人々に強い影響を与えた。ノー・キングス運動は王も戦争もいらない社会体制の構築へ歩みを止めない。
(W)
