はじめに
前回(上)はジェイソン・ヒッケル最新論文『世界経済における労働の不等価交換』から、今日の世界総生産を担っているのが圧倒的に南の労働者であること、労働(時間)の不等価交換が南北貿易を通じて生じていることを紹介した。今回(下)では、いよいよ新論文の核心部分、北の消費の半分は南の労働者の収奪による、途上国収奪の根本原因は南北の賃金の圧倒的格差にあるということについて紹介する。なお、筆者らの「北」の定義は、IMFの指針を参考に、G7を中心とする30カ国、南はそれ以外としている(備考欄参照)。
(編集局)
[3]北の消費の半分は南の労働者の収奪による
(1)北の豊かさと成長の秘密 ~「幽霊労働者」の存在
こうして筆者らは結論に入る。最終節「議論」の冒頭にその総括的記述がある。「国際貿易とグローバルサプライチェーンにおける不等価交換を通じて、あらゆるスキルレベルとすべてのセクターにわたって、南から北への具現化された労働の大規模な純移転が発生し、2021年には合計8260億時間に達したことを示している」。図3、図4の2021年の数字を参照。
そしてこの8260億時間の労働(時間)の純収奪という結論は、北の総労働消費(consumption of labour)のほぼ半分(46%)にあたる。第5図のdの右端の棒グラフの濃い部分の46%がそれだ。

https://www.nature.com/articles/s41467-024-
49687-y/figures/3

https://www.nature.com/articles/s41467-024-
49687-y/figures/4

https://www.nature.com/articles/s41467-024-49687-y/figures/5
*濃い灰色は、南からの純収奪労働時間を表す。薄い灰色は、北で消費されたその他のすべての労働、すなわち家事労働、北間の貿易、南との等価交換による労働を表す。パネルaは高技能労働の消費、パネルbは中技能、パネルcは低技能である。パネルdは北における全労働の消費(a~cの合計)を示す。
北による南の労働の純収奪の大部分は中技能労働者によるものであるものの、高技能の純収奪も重要な役割を構成している。北の南からの高技能労働者の純収奪(2021年520億時間)は、北間の貿易を通じて獲得・消費する高技能労働者の純収奪(310億時間)を上回っている。
この8260億時間は、3億6900万人に相当する(南の1人あたり年間平均労働時間2236時間で計算)。何と、米国と欧州連合の総労働者数を上回っている。北は、本国の労働(時間)に匹敵する労働(時間)を南からの収奪で余分に消費していることになる。すなわち、北の高い消費水準と富(high levels of consumption and wealth)の半分は南の労働者に支えられているのである。この目に見えない「半分」の「南の労働(時間)」を筆者らは「幽霊労働者」(ghost workers)と名づける。中国は、この「貢献」の6分の1を占めている。
純収奪された賃金価値は、総額でいったいどれだけの金額に相当するのか? 技能水準を考慮した北の価格で何と16.9兆ユーロ(20兆ドル、2200兆円)である。これは1995年の2倍以上だ。1995年から2021年までの27年間では、合計310兆ユーロ(4京円)に上る。
筆者らは強調する。「幽霊労働者」の巨大な存在を考えると、北の発展モデルはまったく非人間的である、と。それはまさに古代奴隷制を彷彿とさせる。古代ローマ、ギリシャのアテネでは、上級市民のほとんどと中下級市民の一定部分は生産的労働を行わなかったと言われている。
筆者らはこうも指摘する。「北の人々は、不等価交換を廃止して現在の消費を維持しようと思えば、単純に労働時間を2倍に増やす必要がある」と。
上記の3億6000万人は南の1人あたり年間平均労働時間によるものなので、北の労働時間ではその約1.26倍、すなわち約2.5倍になる。また、国内の土地、資材、エネルギーを生産に大幅に投入する必要もある。でなければ、ある種の生産(例えば、エリート層向け消費財の生産)を放棄したり、より少ない労働供給形態(例えば、自家用車ではなく公共交通機関)に移行したりする必要がある。
*筆者らはこれ以上触れていないが、北による南の労働(時間)の不等価交換という事実は、先進国の時短問題は途上国収奪と密接不可分ということを意味する。この観点からも、先進国労働者階級と途上国の労働者人民の団結の重要性が浮かび上がる。
(2)南の貧困の原因、南は北の収奪型発展モデルを真似できない
筆者らは、北の消費と発展が南の労働の収奪に依存することは、逆に言えば、不等価交換によって南の労働が一方的に収奪されることで、大量の生産力が北に流出している(奪われている)と批判する。著者らの推計では、労働(時間)の観点から見ると、その総生産能力の9~16%が毎年奪われている。
これは何を意味するか? この収奪がなければ、2021年には、8260億時間、3億6900万人が南の生活に追加的に貢献できたのだ。住宅や栄養のある食べ物を生産するため、あるいは病院や学校を建設して職員を配置するために動員することができ、それによって人々のニーズに応え、必要な開発目標を達成することができた。しかし、純収奪によって、発展の可能性が奪われたのである。このことはまた、北の帝国主義的・収奪的な開発モデルは普遍化できないことを意味する。すなわち今日の帝国主義時代においては、南は北のような他者の収奪による成長、消費、蓄積は不可能だというこということである。

https://www.nature.com/articles/s41467-024-
49687-y/figures/6
[4]途上国収奪の根本原因は南北の賃金の圧倒的格差にある
(1)南から北への純流出の規模と時系列変化
筆者らは最後に、3つの節「不等価交換を通じた賃金価値の横領」、「賃金動向」、「GDPに占める労働分配率」に言及する。筆者らはこれらの節で、前記に述べた2021年に北の総労働消費のほぼ半分に当たる8260億時間の労働(時間)の純収奪は何が原因なのかの解明に移る。
「不等価交換を通じた賃金価値の横領」でその結論を図6に示す。この図は南から北へ流出した賃金価値の規模と時系列変化を示している。2021年に南から収奪した賃金価値は16兆9千億ユーロにのぼる。当時の為替レート(1ユーロ130円)で何と2200兆円である。当時の日本のGDP553兆円(2024年)の約4倍だ。
時系列変化を見れば、2021年は1995年の2倍以上となっている。大幅な増加は1990年代後半に発生し、1980年代の新自由主義的構造調整期に始まった上昇基調を引き継いでいる。2000年代初頭から2015年にかけては横ばいとなり、2018年以降さらに増加している。また、1995年から2021年にかけて、純収奪の賃金総額は310兆ユーロに達する。
(2)純流出の根本的原因は賃金格差~南は北のわずか1割
この膨大な流出規模は何が原因なのか? 次に筆者らは、その原因が南北の圧倒的な賃金格差にあることを実証する。
筆者らは、次の節「賃金動向」で南北の賃金格差を論じている。2021年時点で、南の賃金は、同じ技能レベル、すなわち「ILOの定義による同一労働」でみても北の賃金より87~95%低い。高技能労働者の場合は87%低く、中技能は93%、低技能は95%低い。南の高技能労働者は、北の低技能労働者より68%少ない賃金しか受け取っていない。同じ技能レベルの北の労働者は南の労働者よりも8~19倍多く消費することができる(高技能労働者の場合は8倍、中技能は14倍、低技能は19倍)。賃金格差は、全部門において、あらゆる技能水準で大きい。農業では、南の賃金は北よりも、どの技能水準でも85~91%低い。鉱業では93~98%。製造業では89~94%、サービス業では83~90%低い。
(3)賃金格差はさらに拡大している
南北の賃金格差は、絶対値で見るとさらに拡大している。北の平均時給は12.60ユーロから24.95ユーロへ12・35ユーロ上昇したが、南は0・46ユーロから1.62ユーロへと1.16ユーロ上昇しただけだ。すなわち北の賃金上昇率は南の11倍なのである。「追い上げ」は起こっていない。しかも全ての技能レベルで南北の賃金格差が拡大しているのである。
逆に劇的な乖離が見られる。平均時給1.62ユーロ(210円)の南の労働者が、世界経済の生産の大部分(90%)、貿易品の生産の大部分(91%)、そして北の成長と消費のほぼ半分(46%)を担っているのである。

上は北の賃金、下は南の賃金 https://www.nature.com/articles/s41467-024-49687-y/figures/7
(4)南における労働分配率の低下
筆者らは最後の節で「GDPに占める労働分配率」を論じる。2017年から2021年の5年間、世界全体でGDPに占める労働分配率は平均51.6%であった。わずか半分である。それ以前の1995年から1999年の54.7%から低下している。
とりわけ南の労働者は、2017~2021年の平均が47・5%で、世界平均を大きく下回っている。一方、北の労働者は54.7%で、世界平均よりも高い。労働者の地位は1990年代後半以降より、南では1.3ポイント、北でも1.6ポイント悪化している。
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以上が新論文の概要である。最後の節「議論」の最後は、著者らの提言で締める。「本研究の結果は、世界的な貧困と低開発の持続は、その大部分が不等価交換による収奪の影響であり、ひいては周辺地域における賃金抑制や所得デフレの影響であることを示唆している。南の人々は消費を抑制され、労働力、資源、財が北の国家や企業による横領に利用されやすくなっている。このダイナミズムは、中心と周辺の間に根強く残る不平等を理解する助けにもなる。不等価交換、つまり貧しい国の生産が豊かな国の消費に収奪されるという条件下では、収束を達成することは不可能である。
開発と貧困撲滅、そして世界的な不平等を是正するための妥当な軌道には、南北間の力関係の転換が必要である。この目的のためには、国際的な賃金下限と資源最低価格の設定が価格格差の縮小と価値移転の抑制に役立つだろう。不等価交換を終わらせるには、金融分野における構造調整条件の撤廃と、グローバル経済ガバナンス機関の民主化も必要となる。これにより、南諸国の政府は産業政策・財政政策・金融政策を自由に活用し、主権的な発展を追求するとともに、北側資本への依存を軽減できるようになる。しかし、こうした改革は上から与えられるものではない。20世紀の反植民地運動に匹敵する規模の、国家の自決権と経済主権を求める政治的闘争が必要となるだろう」 このように最後は、社会主義中国主導のBRICS・SCOの闘いと民族解放闘争の呼びかけで終わる。
【参照記事】
途上国収奪の定量的分析(連載・補論)ジェイソン・ヒッケル氏らの不等価交換研究(3)上南北貿易を通じた労働(時間)の不等価交換 | コミュニスト・デモクラット
途上国収奪の定量的分析(連載その1)途上国収奪の増大とマルクス主義「従属論」の復活 | コミュニスト・デモクラット
途上国収奪の定量的分析(連載その2)アンドレア・リッチ氏の不等価交換研究(下) | コミュニスト・デモクラット
途上国収奪の定量的分析(連載その3)ジェイソン・ヒッケル氏らの不等価交換研究(1)南北の為替レート格差に基づく途上国収奪の推計 | コミュニスト・デモクラット
途上国収奪の定量的分析(連載その4)ジェイソン・ヒッケル氏らの不等価交換研究(2)生態学的不等価交換理論に依拠し、物理学的収奪から推計する | コミュニスト・デモクラット
途上国収奪の定量的分析(連載その5・完)ギレルモ・カルチェディ、マイケル・ロバーツ氏の研究4つの経路を通じた途上国からの剰余価値収奪を解明 | コミュニスト・デモクラット
