【主張】
抗日戦争・反ファシズム戦争勝利80周年を記念する
○中国人民の抗日戦争の歴史を学び取ろう
○加害責任を追及し、日中平和友好へ

[1]対中・対露・対中東戦争の緊迫化の中での戦勝80周年

(1)戦勝記念大会で露わになった政治的・階級的立場

 平和か戦争か――人類は岐路に立たされている。誰が戦争とファシズムに反対し、誰が戦争を推し進めているのか。9月3日に北京で開催された中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年記念大会は、対立する2つの政治的・階級的立場を露わにした。

 西側帝国主義の首脳は誰も参加しなかった。日本政府は、参加を拒否し、「反日色が濃い」として出席しないよう各国を脅迫し、露骨な妨害・敵視を示した。支配層とメディアは、「反ファシズム戦争」についても日本の侵略と加害の歴史についても、全く報じなかった。それどころか、加害国日本が被害者であるかのように描き、逆に中国を「警戒すべき国」と脅威論で塗り固めた。

 天安門広場の記念大会に参加したのは、ロシアと朝鮮を先頭に、ベトナム・ラオス・キューバの社会主義国、社会主義指向のベネズエラ、さらにイランなど米帝国主義の戦争と介入、新たなファシズムを阻止しようと最前線で闘う反米・反帝勢力、そしてかつて共に戦った旧植民地国である。習近平国家主席は、「再び人類は、平和か戦争か、対話か対抗か、共栄かゼロサムかの岐路に立っている」と訴えた。中国人民は歴史の正しい側に立ち平和的発展の道を歩むと宣言し、参加各国もまた帝国主義の戦争策動に反対し、平和と平和共存を求める強い意志を示した。誰が平和勢力か、誰が戦争勢力かを全世界に見せつけたのだ。

(2)米帝主導の「4正面戦争」阻止が人類の喫緊の課題に

 米帝主導の西側帝国主義による帝国主義戦争を阻止することが、今日の進歩勢力と国際共産主義運動の喫緊の課題に浮上している。米帝は西側諸国全体を従属・結束させ、露骨な侵略性・好戦性で、世界覇権体制(軍事、政治、ドル・金融、ハイテク、メディア)と新植民地主義支配の後退を食い止めようとしている。中東ではイスラエルを尖兵にガザ全面占領と飢餓・大量虐殺を共同で推し進め、イランなどに新たな侵略を目論んでいる。ウクライナ代理戦争では、ドイツと英仏を先頭に対露超軍拡、軍事費急増と福祉切り捨てを本格化させている。アジアにおいては、朝鮮に対する米日韓の挑発的な合同軍事演習、米英豪加の艦船の台湾海峡通過など対中軍事挑発をエスカレートさせている。さらにトランプは「麻薬密輸」を口実にベネズエラ侵略を企て、これまでの「三正面戦争」を「四正面戦争」へと拡大し始めた。

 それだけではない。トランプの移民排斥と国内での派兵策動、欧州の極右勢力台頭、日本における極右排外主義政党の急伸など、打倒したはずのファシズムが、形を変えて再び台頭し始めている。侵略性・好戦性をむき出しにした帝国主義の暴虐、差別・民族排外主義の嵐が吹き荒れている。

 これに対してかつて反ファシズム戦争を主導し勝利へと導いた中国とロシア、そしてこれと結びついた反米・反帝・反植民地主義のグローバル・サウス諸国が結束して、帝国主義の横暴を必死に押しとどめようとしている。われわれは、中国が主導する反米・反帝・反植民地主義の側に立って帝国主義の戦争策動、「四正面戦争」を阻止するために全力を注がなければならない。

[2]抗日戦争勝利の世界史的意義――世界反ファシズム戦争における決定的役割

1)天皇制ファシズムは中国人民の抗日戦争に敗北した

 日本で流布されている第二次世界大戦観では、中国人民の抗日戦争は無視されるか徹底的に周縁化され、その意義は過小評価されてきた。日本敗北に決定的役割を果たしたのは、米軍のミッドウェイ海戦、空襲、沖縄戦、そして原爆投下だというものだ。多くの日本人が、日本は米国に敗北した、米国が日本を単独占領したのは当然だと信じ込まされている。それは、欧州戦線における、ソ連と赤軍の無視・過小評価、ノルマンディー上陸作戦がナチス打倒の決定的役割を果たしたというデマゴギーと一対のものだ。だが歴史の真実は全く異なる。

 天皇制ファシズムは誰と戦争し、誰に負けたのか? 「米国だけでなく、中国にも敗北した」という認識も過小評価だ。なぜなら、明治維新直後の台湾出兵(1874年)に始まり、朝鮮植民地化の端緒でもあった日清戦争と台湾植民地化、1931年から14年間に及ぶ中国侵略で、天皇制日本は継続的に中国の資源略奪と植民地化を推し進めてきたが、それが71年後の1945年に遂に終止符が打たれたからだ。米国は、米英仏蘭の植民地の資源と領土を侵害するまで、同じ帝国主義列強の仲間として、石油と貿易を通じて天皇制日本を支援してきたのである。日米戦争は4年にすぎない。日本は中国人民の抗日戦争に敗北したのだ。この歴史を正面から認めなければならない。

 われわれは従来、9・18事変(満州事変)に始まる日本帝国主義の中国・アジア侵略を「15年戦争」と捉え、その残虐な所業と戦争犯罪を暴き批判してきた。しかし被害者である中国人民の抗日戦争と捉える視点はきわめて希薄であった。その意義を真正面から考えたこともなかった。

 われわれは、学校やメディア・映画・文化等を通じて刷り込まれてきた西洋中心主義イデオロギーの歴史観・戦争観を一から問い直し、学び直さなければならない。

(2)東方主戦場の貢献と歴史的役割

 中国は戦勝80年にあたり、「世界反ファシズム戦争における東方主戦場の偉大な貢献」として抗日戦争勝利の意義を提起した。これを積極的に学ぶことを呼びかけたい。
http://www.news.cn/politics/20250905/4490cdac7d4f437e80e29c9ca470b6b7/c.html

 第1に、世界反ファシズム戦争は1931年9月18日、日本帝国主義の中国東北部侵略(柳条湖事件)に対する、中国人民の抗日戦争で始まった。1939年のナチス・ドイツのポーランド侵攻が、第2次世界大戦・世界反ファシズム戦争の始まりではない。まずはこの常識からの転換が必要だ。中国人民の抗日戦争は、世界で最も早くファシズム侵略と闘い、最後まで最も長く闘い抜き、最も多くの犠牲を出して、日独伊枢軸国=ファシズム国家の一角をなす天皇制日本軍国主義を決定的に挫いた闘いに他ならなかった。

 第2は、抗日戦争は第二次世界大戦における東方主戦場として決定的な貢献をした。東方主戦場抜きに、世界反ファシズム戦争の勝利を語ることはできない。

 抗日戦争は、日本陸軍の精鋭・関東軍の主力約100万人を中国大陸に釘付けにしたことで、反ファシズム戦争勝利に決定的な貢献をした。一方で、日本軍の「北進」計画を挫折させ、その結果、ソ連は西部戦線でのナチス・ドイツとの戦いに集中することができた。他方で、「南進」計画を遅らせ、東南アジア・太平洋での戦争拡大に必要な兵力を動員できず、米英の戦闘を容易にした。こうして日本の対外膨張戦略と日独枢軸の連携を麻痺させ、日本ファシズムの「大東亜共栄圏」によるアジア支配の野望を根底から打ち砕いたのだ。それは、ソ連が独軍の大半を引き受けて欧州西部戦線を援護したのと相互補完関係にあった。これらは抗日戦争が世界反ファシズム戦争の不可欠の一部であることを端的に示している。

 ソ連軍が1945年5月9日、西部戦線でナチス・ドイツを打倒した結果、迅速に精鋭部隊の最先端機械化軍隊157万人を東方へと移動・集中させ、ソ連軍と中国紅軍が日本軍を挟撃し、日本の降伏を早めた。原爆投下は日本降伏の決定打ではなかった。ソ連の参戦こそが天皇制支配層の一縷の希望を打ち砕き、無条件降伏を押しつけたのだ。

(3)抗日戦争勝利は社会主義と民族解放に新たな道を開いた

 第3に、抗日戦争勝利は、中国の解放にとどまらなかった。戦後のアジア・アフリカ諸国の植民地解放・民族独立運動に強烈な推進力を与えた。日本の敗戦は、アジア各地での独立の気運を一気に高めた。日本が占領し植民地支配していた朝鮮は解放された。東南アジアでは、日本軍駐留中に独立準備を進めていた勢力が相次いで決起した。ベトナムでは、ホー・チ・ミン率いる独立同盟(ベトミン)が8月革命を成功させ、9月に独立を宣言した。ベトナムと朝鮮は中国に続き、社会主義革命に発展した。インドネシアは1945年に独立を勝ち取り、インドは1947年に、マレーシアは1957年に独立を達成した。中国人民の勝利と日本軍国主義の敗北がアジア解放の連鎖を呼び起こしたのだ。

 われわれは、第二次世界大戦を、ソ連社会主義と帝国主義との体制間戦争、枢軸国と連合国との帝国主義間戦争、帝国主義と植民地・半植民地・従属国との間の戦争、ファシズムと反ファシズムの戦争、この4つの異なる階級的性格を持つ複合的戦争と捉えてきた。だが、この捉え方だけでは決定的に不十分である。われわれは、中国人民抗日戦争=反ファシズム戦争とソ連社会主義のナチス・ドイツに対する反ファシズム戦争、この2つの結合こそが、一貫してこの複合的戦争のヘゲモニーを握り、勝利を主導したことを特別に強調したい。このことは、社会主義と共産主義こそが、戦争を阻止し、平和を実現する原動力であることを示している。

[3]歴史的転換点となった抗日戦争勝利――「屈辱の世紀」に終止符

(1)抗日民族統一戦線を主導した中国共産党

 日本では右派メディアなどの一部が、「日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党」などとして、共産党の役割を真っ向から否定する。史実は違う。われわれは抗日民族統一戦線と、そこで中国共産党が果たした決定的かつ歴史的役割を学ばなければならない。

 第1に、抗日民族統一戦線を呼びかけ、統一と団結を守り勝利へと導いたのは、中国共産党である。蒋介石は終始、消極的・動揺的・敵対的姿勢であった。蒋介石は日本軍の中国東北部(満州)占領を黙認し、中国共産党と紅軍(八路軍、新四軍など)への攻撃・壊滅を最優先させた。軍閥、封建地主と買弁資本の利益を第一にしたからだ。対日宣戦布告したのは、日米開戦直後の1941年12月9日であった。これに対し、中国共産党は1931年9・18事変直後から武装抵抗の旗を掲げ、1935年8月には抗日民族統一戦線の結成を呼びかけた(「八・一宣言」)。西安事件(1936年12月)の和平解決をテコに、共産党は蒋介石に「一致抗日」を働きかけ、第二次国共合作(1937年)で抗日民族統一戦線が成立した。蒋介石が認めたのは、張学良や愛国将軍が西安事件で抗日を迫り、日本軍の破竹の侵攻で中国支配層と人民大衆の抗日意識が沸騰していたからだ。国民党はその後も、共産党への攻撃を繰り返し行うなど統一戦線分断を図ったが、共産党は「抗戦団結優先」姿勢を取り続けた。国共合作と全民族抗戦体制こそが、日本軍に全面的に抗する体制を築き上げ、最終的な勝利への道筋を切り開いたのだ。

 第2に、抗日民族統一戦線は、コミンテルン第7回大会(1935年7~8月)が戦略的に提起した反帝国主義統一戦線の樹立方針を具体化するものであった。それを主導したのが毛沢東と中国共産党である。第7回大会の最中、「八・一宣言」で内戦停止と民族統一戦線を提唱し、同年12月の瓦窰堡会議で抗日民族統一戦線を樹立する方針を確立した。この基礎には、当面する主要矛盾が一国内の階級矛盾から日中民族矛盾に転化したという、毛沢東の鋭い理論的洞察があった。

 第3は、マルクス主義に基づく中国共産党の的確な情勢把握と正しい戦略・戦術の策定である。毛沢東は1938年5月、『持久戦論』で長期的な持久戦によって勝利するという戦略的展望を確立し、党員と紅軍が確信を持って人民大衆を徹底的に組織・動員する人民戦争を展開した。正面戦場では国民党とともに正規戦で戦い、敵陣後背地では抗日根拠地を構築し、遊撃戦(ゲリラ戦)で日本軍を翻弄し消耗させたのだ。中国共産党によるこの持久戦・人民戦争路線こそ、日本軍が軍事的に圧倒的に優位な非対称戦争での勝利を決定づける原動力となった。

 第4に、抗日民族統一戦線の過程で、中国共産党は、広範な中国人民からの圧倒的支持を勝ち取った。1945年8月の勝利で、中国国内の政治・階級勢力の相互関係は一変した。長期戦の中で腐敗した国民党の権威は失墜し、弱体ぶりが露呈する一方、艱難辛苦の抗戦を闘い抜いた中国共産党は組織として鍛え上げられ、その指導能力を人民大衆に実証して見せたのだ。抗日戦争勝利後の国共内戦=人民解放戦争では、蒋介石は完全に支持を失い、共産党と人民解放軍への支持・信頼が一気に高まり、中華人民共和国の成立へと結実した。アジアで最初の社会主義国家の誕生であった。抗日戦争勝利は、中国共産党こそが国家建設を託すに足る政治勢力であることを証明した。

(2)中華民族の衰退から復興へ

 中国人民の抗日戦争勝利が、いかなる意味で歴史的転換点であったのか?

 日本のわれわれが真に理解するためには、侵略者・加害者としての徹底的な反省と自己批判と同時に、アヘン戦争以来100年以上にわたって中国が置かれてきた「百年の屈辱」を理解することなしには不可能である。
 抗日戦争勝利は、9・18事変以来の天皇制ファシズムに対する勝利にとどまらず、この「百年の屈辱」に決定的な終止符を打つものであった。近代以降、半植民地・半封建社会へと転落した中国は、四方八方ほぼすべての列強からの侵略と略奪によって、その国家主権と領土保全が完全に浸食され、民族滅亡の危機に陥った。凶暴極まる天皇制ファシズムの中国大陸全体の蹂躙は、西洋列強とは比較にならない大量虐殺と焦土をもたらした。抗日戦争勝利によって、帝国主義の不平等条項は廃止され、中国東北部(満州)、台湾、澎湖諸島など日本が奪取していた領土はすべて中国に返還された。中国人民は初めて、外国侵略者への完全勝利を収めたのだ。

 抗日戦争の勝利は、「偉大な抗戦精神」を創出し、中華民族を目覚めさせた。幾度となく敗北と屈辱を味わわされてきた中国人民は、民族的自信、民族的尊厳を取り戻し、「二度と祖国を蹂躙させない」決意をうち固めた。中国共産党が主導した抗日戦争勝利は、中華民族の衰退・滅亡の淵から、中華民族復興への大道を歩み始める歴史的転換点となったのだ。

(3)抗日戦争勝利と新たな国際秩序の構築

 世界反ファシズム戦争の勝利は、国連創設等を通じて、ファシズムと侵略戦争を許さない国際的秩序を作り出したはずだった。だが米帝と西側帝国主義は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機と冷戦政策、核軍拡競争、アフガニスタン・イラク戦争、等々、侵略戦争と植民地主義的介入を繰り返してきた。80年を経て、かつての反ファシズム戦争を牽引した中国とロシアが中心となって、BRICSや上海協力機構(SCO)などで新たな国際秩序の構築に踏み出している。米帝主導の世界覇権体制を突き崩し、主権尊重・平等互恵を原則とする新たな多国間主義国際秩序への歴史的転換が進み始めているのだ。戦勝80年記念大会を、天津SCO首脳会議およびBRICS首脳オンライン会談と一連のものとして評価しなければならないのは、そのためである(参照上海協力機構首脳会議~広範な多国間協力で「西側世界秩序」からの脱却へ)。

 1万人以上の人民解放軍兵士と最新鋭兵器による軍事パレードは、いかなる侵略も二度と許さないという社会主義中国の断固たる決意を示すものであった。それは、西側が言う「軍事的威圧」などではない。帝国主義に蹂躙され続けた過去への決別と、侵略や主権侵害・内政干渉を許さない軍事力、今日と未来の平和を保証する実力を誇示したのである。植民地支配と帝国主義的覇権の苦難を経験し、反米・反帝・反植民地主義の最前線で闘う諸国にとって、それは深い共感とともに大きな自信と安心感をもたらしている。

[4]加害責任追及と日中友好で反戦運動を再構築しよう

(1)日本軍国主義の新段階と闘おう

 2つの好戦主義的傾向が急速に拡大し、これと結びつく形で従来とは段階を画す日本軍国主義の危険性が一気に高まっている。

 第1は、政府・支配層と与野党の急速な右傾化、排外主義・ネオファシスト政党の伸張、メディアによる反中・嫌中イデオロギーの拡散の中で、かつての侵略戦争を否定し美化する歴史修正主義が再び闊歩し始めていることだ。それは、対中軍国主義を正当化するイデオロギー装置となっている。自民党の極右・高市新総裁の誕生は、この危険性を倍化させている。

 第2は、左翼・リベラル勢力と反戦平和運動において、加害責任追及の取り組みが後退し、ことさらに被害者意識に訴える傾向が支配的になっていることだ。敗戦80年の今夏、中国・朝鮮・アジア太平洋諸国に対する侵略戦争と植民地支配の加害責任追及は無きに等しかった。原爆被害や空襲被害はそれ自体、米帝国主義による大量殺りくであり戦争犯罪だ。満州引き上げをめぐる悲劇、特攻隊の悲劇、軍隊での暴力も語り継ぐべきだ。だがわれわれは、加害責任の抹殺と忘却が今再び、日本を中国への侵略戦争へと突き動かしている現実を直視しなければならない。加害の歴史とその痛恨の反省抜きに、日本を被害者と捉えることからは、対中侵略戦争を阻止することはできない。過去の天皇制軍国主義、天皇制ファシズムの暴虐を徹底的に暴き出すことこそが、今日の日本帝国主義の好戦性の暴露につながる。

 他方、反戦平和運動の中で、加害責任は口にするが、日中平和友好は口先だけでしか語らない、あるいは全く語ろうとさえしない部分が存在する。中国脅威論に絡め取られ、運動内部に反中イデオロギーを持ちこんでいる。加害責任を徹底的に追及し、教訓を継承するためには、日中平和友好を積極的に訴える以外にない。加害責任の徹底追及と侵略の歴史を記憶し継承すること、そして真の日中平和友好を追求することは車の両輪であり、日本の軍国主義化・戦争国家化を阻止し、東アジアの平和と平和共存を築く前提だ。

(2)加害責任追及と対中戦争阻止で日中友好へ

 米トランプ政権は、「台湾有事」策動で日本に先制攻撃させ、対中戦争の最前線として日本列島を戦場にするつもりだ。自公政権もまた、米の要求を丸呑みし、米と一体となって軍事費大幅増で歯止めのない軍国主義化で暴走し始めている。

 無謀な対中戦争準備は、戦後の労働運動・人民運動が闘いによって作り出してきた医療・社会保障制度を根底から破壊し、人民負担を過酷な段階へと引き上げ、人民生活を極度に悪化させることは不可避である。ブルジョア議会の翼賛化と対決消失、労働組合運動の退潮、反戦平和の中央組織後退の下で、労働者・人民が声を上げ、起ち上がる時は必ず来る。その条件は成熟している。

 反基地の市民運動の形で、弾薬庫と長射程ミサイル配備を阻止しようとする闘いが広がり始めている。その中で、「中国は敵ではない」「日中平和友好」を積極的に訴える気運も高まりつつある。日本の侵略戦争・植民地支配を反省し加害責任を追及する粘り強い闘いも存在する。最近では排外主義と外国人差別に抗して、在日中国人・外国人などから積極的に声を上げる動きが徐々に広がっている。

 加害責任抜きの日中友好はあり得ない。過去の侵略戦争と植民地支配の加害責任を追及する運動を再興しよう。加害責任追及と日中平和友好を柱に反戦運動を再構築しよう。

2025年10月6日
『コミュニスト・デモクラット』編集局

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